ほろ酔い幻想記

泡沫 希生

出迎えるは、美しき人外。

 にゃあ、にゃあと鳴きながら、ゆきみは走っていた。馴染みの道はすっかり薄い雪に覆われており、気を抜けば滑りそうになる。

 早朝だから、灰色の猫が雪道を走っているのに気づく者は誰もいない。

 この町は冬でも雪が積もることは少ない。積もったのは、自分が立成たちなりに拾われた時以来だと、ゆきみは思い返す。


 ゆきみが覚えている最初の記憶は、凍えるほどの寒さだ。体中が冷えて、どうにもならなかった。


『なんだろう、この箱は』


 ぼろぼろの木箱が開かれて、中にいたゆきみの目を陽光がさした。ゆきみがパチパチまばたきをしたら、箱の中を誰かが覗き込んでくる。快活そうな日に焼けたその少年こそ、立成だった。


『猫だ!』


 汚い風呂敷に包まれていたゆきみを、立成は着物が汚れるのを気にすることなく、抱き上げた。その温かさが嬉しくて、思わず一声鳴いたら立成は笑った。

 立成は、久ノ国ひさのくにでも名のある武家の息子だ。だから、屋敷も立派で、町で拾った子猫を屋敷に入れるのを、家の者たちは拒んだ。

 立成はそれを跳ね除け、「ゆきみ」と名付けると、お湯で体を洗ってくれた。自分の父と母にも頭を下げて、ゆきみが屋敷で暮らしていけるようにした。


『これからはこの家で暮らすんだぞ、ゆきみ』


 その時の立成は十歳で、ゆきみはそれから六年間一緒に暮らしてきた。

 背がどんどん伸びたくましく成長し、性格が明るい上、武芸だけでなく知力にも秀でた立成は、周囲も認める存在になっていった。

 十六歳となった今では、化け物との戦いに行くようになり、その度に立成はゆきみを名残惜しそうに撫でる。


『必ず、無事に帰ってくるからな』


 いつも約束していたのに。立成は今日、死んでしまうかもしれない。


「そんなの嫌よ!」


 勇ましく鳴いてみたものの、ゆきみのつま先は冷えてきた。仕方なく走るのはやめたものの、足は止めずに歩き続ける。

 久ノ国は長い間、外から来る強大な敵、化け物と戦ってきた。目がいくつもある牛や大きな蛇など、色んな化け物の話を立成はしてくれた。

 化け物との戦いは危険だと、ゆきみにもわかっていた。でも、まさかこんな日が来るとは。

 どうにか家来が屋敷に連れ帰ったものの、立成は今、化け物による大怪我で死にかけている。

 寝かされている立成の手にゆきみが触れても、目覚めることも、その手が反応することもなかった。それほどに弱っている。このままでは死んでしまう。

 家来に、立成が寝ている部屋から追い出されながら、ゆきみはあることを思い出した。


『町外れに、腕の良い術師がいるのを知ってるか?』

『知っております。素性が知れぬ若い男で、失せ物や迷い子を見つけてくれると民の間では評判のようですが。それがどうかされましたかな、立成様』

『この前、田池家の奴が言っていたんだ。なんでも、その術師は死者の魂を呼び戻した事もあるって』

『噂に尾ひれがついただけでは。死者を呼び戻すなど信じがたいことです』

『だよなあ、流石さすがに』


 それから、立成と家来は術師の家について話していた。ゆきみはきちんとそれを覚えている。町には何度も散歩に出ているから、町外れの方向もわかる。

 話の内容から、術師というのは、奇妙な道具や技を用いて人助けをする者らしかった。

 もし、死者を呼び戻した噂が本当なら、その術師が助けてくれるかもしれない。立成の場合はまだかろうじて生きているのだから。

 立成のそばにいたくても、家来に追い出されてしまう。だからもう、ゆきみにできるのはこのくらいしかなかった。

 ずっと何かをしたかった。立成がいなければ、あの日ゆきみは死んでいたに違いない。命を助けてくれた立成に何かを返すとするなら、今しかない。



 屋敷を出て、四半時しはんとき(約三十分)は経っただろうか。ついに、ゆきみはたどり着いた。

 町外れにある竹林のそばに、その小屋はあった。所々補修した跡も見られる小屋は、耳をそば立てても中から音はしない。

 勢いで来たものの、どのようにして立成のことを伝えるべきか。猫の言葉は人に通じない。ゆきみは、自分の無謀さにようやく気づいた。

 せっかくここまで来たのだ。とりあえず中に入ってみようと思い、冷たい空気と疲れに身を震わせながら、ゆきみは木戸に近づく。

 すると、木戸がいきなり開いた。咄嗟とっさに、小さく跳ねて身構える。


「おや、これはこれは愛らしいお客様だ」


 男の人の声だった。立成よりも低くて耳の中をくすぐるような響きがある。

 頭を上げると、そこに二十歳ほどの男が立っていた。柄付きの羽織がふわりと風に揺れる。

 ゆきみは猫だから、人の容姿の良し悪しはよくわからない。しかし、ゆきみは思わず丸い目をさらに丸くしていた。

 男は背が高く、一つ結びの長髪は深緑で、何より金色に光る目が目立つ。その顔は恐ろしいほど整っており、見た者に「美しい」と思わせる何かが男にはある。


「美しいとは嬉しいねぇ。そういう君もとっても可愛いけどね」


 男は、ゆきみの思ったことがわかったように話しかけてきた。反射的に、ゆきみは問いかける。


「私の言葉がわかるの?」

「わかるとも。俺は残念ながらだから」

 

 男はかがみ込んで、ゆきみの前足に触れた。冷たいつま先を包み込む手の温もりが心地よい。

 男の手に鼻をつけて匂いを嗅ぐ。嫌な感じはしない、信用できるだろうか。


「あなたが術師なのね?」

「そうだよ。寒いのによく来たね。さあ、お入り」


 術師は身を起こすと、中に手招きをした。ゆきみは少し考えてから、雪で濡れた体を振り水分を落として、中に入った。

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