第17話 夢淵の音楽

「こちらも姿を捉えた。黒崎マリア、そのまま歌い続けてくれ」


 圷の言葉に頷く。マリアの歌声は一層厚く響き渡るようになる。マリアの目にも異質な翼の生えた幼馴染が捉えられた。皇の言っていたことが本当だったのだと胸が苦しくなる。

 変わり果てた幼馴染の姿を捉えた途端に皇の姿が一瞬にして現れた。どういう原理かわからないが、皇には瞬間的に移動する手段があったらしい。おそらくはそれを使うために目視での位置情報が必要だったのだろう。そのために、わざわざマリアに歌わせたのだ。

 しかしわからないのはマリアがを使用した次の瞬間に視界を遮っていたカモフラージュが解かれたことだ。魔術というものを根本的に知らないマリアにはなぜ自身の歌声があれに影響を及ぼせたのかわからない。


「歌とは祈りだ。そして祈りというのはまじないだ。かつては歌こそが魔術における呪文だったんだよ。まあ、僕には到底理解できないものだったけれど、僕の師匠がそう言っていた」


 マリアの知識を補完するように圷が説明を下す。けれど、完璧な回答ではなかった。なぜ、カモフラージュを解いたのか。それに該当する答えは、やはり皇にしか説明は難しそうだ。

 そうしている間にも1人、皇の登場に臆せずマリアたちの方へ直進する黒い仮面の男性がいる。到着時刻は十数秒。距離があるというのに恐るべき早さと言えるだろう。マリアは歌に専念しなければならないため戦いには参加できない。が、聞くところによれば圷には戦う力がないという。

 歌うことをやめ、共に戦おうとするマリアを右手で制する。あと少し遅ければ歌を完全にやめているところだったが踏みとどまった。


「奴は僕が倒す。君は、歌え。これは僕の役割で、それは君にしかできない役割だ」


 一瞥。

 淡白な物言いからは言葉以上の優しさを感じる。何かが変わっていた。圷という存在のが。それを言葉にするのは難しいけれど、マリアにはそう感じた。

 マリアを制した右手が自身の師匠の墓へと伸びる。そして何かを手繰り寄せるように引っ張ると、その手には錆びた白銀の剣が握られていた。小さく圷の口が動く。マリアの持つ読唇術から察するに借りるよと言ったようだ。


「やはり貴様らはあの時殺しておくべきだった!」

「それはこちらのセリフだよ」


 クロの拳と圷の剣が衝突する。激しい衝撃波を伴いながらもクロの直進は完全に止められた。驚くべきは圷の膂力ではない。錆びてはいるが鋭さの残る剣と衝突しても傷1つつかないクロの肉体強度だ。歌い続けるマリアはクロの強度をおそらく”リビングタトゥー”によるものだと推測する。彼女の推測を裏付けるのは背から光が漏れ出しているからだ。

 ”リビングタトゥー”の絵はマリアからでは見えない。きっと圷からも見えてはいないだろう。”リビングタトゥー”の性質上、絵がわかれば能力も自ずと割れてくる。それさえわかれば能力の封じられた圷でも勝機は十分にあり得るはずだ。

 だが、そのようなことはクロも考えていた。対策をされる前に、雄叫びを上げて更なる能力の向上を見せる。


「私の信仰心を見よ!!!!!! 私の肉体は刃を通さず、どのような困難をも打ち破る剛力の肉体なり!!!!!!」

「無理やり押し通る気かい? なるほど化け物を神に据える頭のおかしい奴らは、行動をもおかしいらしい。全くもって滑稽だ」

「まだ足りないか! 私の信仰心よ!? ああ、私たちの神よ!!!!! 目の前の障害を打ち破る力を!!!!!!」

「足りない? ああ、足りないとも。君と僕とでは、覚悟に差がありすぎる」


 拳と剣が一旦離れる。2度目の衝突を前にした勢い付けだ。2度目の衝突は先ほどの比にならない衝撃波を起こすだろう。近くにいるマリアも立っていられるかわかったものではない。彼女は耐える姿勢をとったまま歌い続ける。彼女の歌がなくなれば、この作戦は無に期してしまう。

 そんなことは圷にもわかっていた。だから、彼はずっと温存していた本気をここで出す気だった。やがて2度目の衝突がやってくる。クロの全力をとした右拳と圷の振り下ろされる剣がぶつかるかというとき、彼の剣がふわりと後ろへ引かれる。全力の大振りだったクロはその行動に反応できない。まるで彼に釣り上げられるように前のめりに体が飛ぶ。

 圷は体を捻りながらしゃがむ。振り下ろしたはずの剣はいつの間にやら下段からの斬り上げへと変貌していた。剣はクロの右肋骨らへんを強打するだけで傷はつけられなかった。しかし、クロは大きく後方へと飛ばされた。


「やはり硬いな。区道流防剣術”ほむら”をまともに受けても傷ひとつ付かないなんて」


 全てを見ていたマリアは驚くことしかできなかった。もちろん歌は続けている。それでも一瞬だけ歌をやめてしまいそうになるほどに驚いた。圷の体の動きはとても綺麗で、しかし全て計算された努力を感じさせたから。何よりその圧倒的な身のこなしを涼しい顔で行える彼をとても素晴らしいと思ってしまったから。

 その実、圷は剣術の天才だった。だったというのはそれが幼少期の彼の才覚と比較すると、今の彼が霞んでしまうほどのものだったからだ。それを理解している圷は手に握られている剣を見て、剣についた錆の重さを痛感していた。

 遠く背後に飛ばされたクロが立ち上がる。傷は付かずとも少しは痛手を負っていて欲しいところではあったが、その様子はない。弾き飛ばされた事実に驚いているばかりで、むしろ闘争心に火がついたと言ったところか。


「いいぞ。このようなことはここ数年なかった! 昂りだ。今、私は昂っている! もっと私を昂らせろ、堕ちた王!」

「堕ちた王……か。本当にその通りだ。全盛期の僕ならば、今の一撃で勝負はついていただろうに。ここまで弱ってしまった自分自身が嫌になるよ」

「何をごちゃごちゃと! 神聖なる闘争の前に、思いに耽っている時間があるとでもいうのか!」


 まるで獣のような俊敏な動きでクロは圷へと駆ける。 ”リビングタトゥー”の能力に飲まれているのか、それともこの狂乱状態が彼の本来の姿なのか。どちらでも彼の動きが良くなっているのに違いはない。

 対する圷は冷静に動きを見ていた。剣を構え、呼吸を整える。剣は中段へ置き、右足を半歩前へ。造形美とでもいうべき完成された理想的な構えだ。そこに獣が喰らいつく。

 クロの強化された顎による噛みつきは確実に圷の喉笛を噛みちぎるはずだった。マリアの目にもそう見えていた。だが結果は違う。彼は喉をやられるどころか一歩も動かずにクロ攻撃を回避してみせた。その様子はクロが彼をすり抜けたかのよう。


「なぜえ!」

「区道流防剣術”陽炎かげろう”。簡単な話、中段に構えられた剣の切先で君の攻撃の重心をわずかにズラしただけだよ。言ったところで君には理解できない芸当だろうけれどね」

「クソ、くそ、くそおおおおお! もっとだ! より強固で! より速く! より強靭に! 神よ!!!!!!」


 クロの背の輝きが増す。ようやく彼の背がマリアに向いたことで”リビングタトゥー”が露わになる。 ”剣を持った天使”だ。彼の背には”天使”が描かれていた。その能力のベースは身体強化だと彼女は記憶している。ありふれた能力だが、その使用感はどの”リビングタトゥー”と比べても扱いやすさで右に出るものはない。しかしひとつだけ、彼女の記憶通りならあの”リビングタトゥー”にはここまでの出力はなかったはずなのだ。

 それもそのはず。白伊と同じく、クロの”リビングタトゥー”もまた通常の液体濃度を遥かに超えた特殊な液体で構成されている。人体に甚大な影響を及ぼす代わりに、同じ絵でも出力は桁違いに変わっているのだ。今の彼のように理性が吹き飛ぶがその代償はより強大な力を呼び起こす。

 時が経つほどに強さを増していくクロを前にして、圷は未だ動揺せず。静かに様子を伺っていた。今、彼の心の中では昔を呼び戻すための最適な後退が起こっている。


「踏み込みが浅い。昔はもっと深く行けたはずだ。10年のブランクは伊達じゃないか。いや、10年前より筋肉量は増えている。意識より体の方が戻り切っていないのか。どちらにせよ、あと数回で辿


 一息。


「さあこい、獣。ウォーミングアップの続きをしよう」

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