骨から愛して

藤之恵

第1話 人の頭の骨を愛する人


「君、頭の形がとても綺麗だね。コピーしたいからCT撮らせてくれない?」

「は?」


 こんなことを言われたのは初めてだった。

 しかも、公園のベンチで怪我をして寝ている危ない奴に声を掛けるには、最悪の一言だと思う。

 あたしの目の前には、それはまぁ、綺麗な顔があった。

 年齢は上だろうけれど、その顔にはシワ一つなく年齢不詳の怪しい雰囲気を醸し出していた。

 肩くらいの長さの黒髪はサラサラで乱れもない。首元には真っ白で糊付けされたシャツが見えていた。

 それを覆い隠すように、ブランドの暖かそうなコートを着ている。

 上品なお姉さん。ぱっと見はそう見える人だった。じゃなきゃ、不審者だと思って逃げ出していた。

 あたしはお気に入りのオーバーサイズのズボンに、血に汚れた服なんて着ていたから、外から見ればあたしが不審者のようだろう。

 とにかく、まるで絵に描いたような左右対称の瞳がこちらを見ながら言ったことに、あたしは混乱していたのだ。


「喧嘩でもしたの? 女の子なのに顔から血が出るのは良くないね。傷が残っちゃうよ」


 ベンチの背もたれに寄りかかり浅く腰かけているあたしの前に、その人はしゃがみ込んで、こちらを見上げて来た。

 言葉としては心配している風なのに、彼女が見ているのはひたすらにあたしの顔だけ。

 それに少しだけもやっとしたものが胸の奥を曇らせる。

 結局、顔か。


「はぁ……いつものことなんで、少しの傷なら気にならないし」


 顔の傷だから目立つけれど傷は浅い。怪我していた方が、声をかけられづらいから助かるくらいだ。

 あたしがそう言うと、喧嘩なんてしたことがないだろうその人は目を丸くした。


「なんて勿体ない! 君の顔形はとても綺麗なんだから、喧嘩なんかで崩れちゃったらどうするの?」


 なんだ、この人、思ったよりしつこい上に変。

 あたしは本格的に逃げる準備をするために、背もたれから身体を離す。

 それから、まだしゃがんで人の顔を見て来る女の人にぐっと顔を近づけて睨んだ。


「顔形で褒められても嬉しくないんで……というか、この顔のせいで絡まれることも多いんで」


 すると彼女はきょとんとした顔で首を傾げる。


「え、顔の話じゃないよ?」

「は? 顔っていいましたよね?」

「わたしが言っているのは、頭を含めた顔。まあ、骨の形だね」

「骨の形……?」


 顔じゃなくて骨。その言葉が分からな過ぎて、あたしは首を傾げた。

 顔を褒められることは何度かあった。どうやら、あたしの顔は整っているらしい。

 だけど骨を褒められたのは初めての経験だ。


「あ、怪しい人じゃないよ。わたしは骨の研究をしてるの」


 逃げようとしていたのを察したのか、名刺を渡される。

 白い飾り気もない名刺には、顔写真と大学名、名前が書いてあった。

 日笠奈緒。目の前の怪しい人はそういう名前らしい。

 あたしの中ではその前に書いてある文字が信じられなくて、思わず確認するように読み上げてしまう。


「解剖学研究室、准教授?」


 教授と着くと偉そうなイメージだ。そして、堅そう。

 そのイメージと目の前で変なことを言う綺麗な女の人がバグを起こす。

 あたしの呟きに奈緒さんはただ微笑んだ。


「解剖学って知ってる?」

「まったく、わかんないです……解剖って人をバラバラにすることですよね?」

「うーん、ちょっと違うかな。怪我の治療もしないといけないし一緒に来てくれる?」

「はぁ、わかりました」


 怪我の治療という大義名分があるにせよ、奈緒さんの方が百倍怪しい。

 だけど、笑顔で手を差し出してきたその人にあたしが着いていってしまったのは、怪我で頭を打っていたせいとしか思えなかった。


 *


 着いてきての言葉通り、その大学はすぐそばにあった。

 この近くは良く通るのに大学だと知ったのは初めてで、でっかい公園か何かだと思っていた。

 初めて入る大学の構内は空気が違う気がした。あたしのオーバーサイズなズボンも、大分汚れたシャツも相応しくない。こういう所は、きっと洗い立ての仕立ての良い服を着た人が傷一つなく歩く場所なのだ。

 なんとなく、ブランド物のコートを着て歩く奈緒さんを見ながら、そう思う。

 解剖学教室というインクのはげかけた看板の下を通り、薄暗い廊下を進んでいく。

 まだ人が少ない時間、非常灯だけの暗さに足が竦んだ。


「大丈夫だよ。節電で暗くしてるだけで、幽霊とか出ないから」


 どうやらこの人は慣れているらしい。

 にこりと笑う奈緒さんは解剖の言葉とは正反対の人だった。

 その笑顔を見ていると、自分だけ怖がっているのが何だか恥ずかしく思える。

 二人並んで、ゆっくりと廊下を進む。似たような白い扉が等間隔で並んでいて、距離感がおかしくなりそうだった。


「人の頭の骨って見たことある?」

「漫画の絵とかならあるっすけど」


 人の骨を見ること自体、普通の人生ならないだろう。

 少なくともあたしの周りで骨の話となれば、バイクで事故って骨を折ったとか、そういう話だけだ。

 奈緒さんはあたしの言葉にうんうんと小さく頷くとドアノブを回して開いた。


「まぁ、そうだよね。じゃ、ちょっと驚くかもしれないけど、どうぞ」


 おずおずと中に入ったあたしを待っていたのは、壁の一面を木の箱が占拠している部屋だった。しかもその箱は一面だけガラス張りになっていて、その中には骸骨が並んでいる。


「人の、頭」

「わたしは人の頭の骨を中心に色々研究してるんだ」

「はぁ」


 呆然とこちらを見つめる骸骨たちを見ながら、あたしは何とも言えない息を吐いた。

 ショッキングな光景過ぎて、奈緒さんの言葉が耳を素通りしていく。

 人の頭の骨の研究って何?

 思えたのはそれくらい。


「だから、君の頭蓋骨もサンプルとして欲しいの。お金もちょっとなら出るしどうかな?」


 この状態に慣れているのか、奈緒さんはあたしの反応を気にせず、まるで体の良いアルバイトを紹介するみたいにそう言った。

 愛想よく笑う女の人がまったく違う人間のように感じたのは人生で初めての経験で、だからこそ、怪しさしかない奈緒さんの提案にあたしは頷いてしまったのだろ思う。

 人の頭の骨を愛する奈緒さんに散々振り回されるのは、これからの話だった。

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