第3章:DNAが語る真実

真理子は、熱田神宮の古文書についての佐藤健太郎からの連絡を受けて以来、落ち着かない様子だった。「海の彼方より来たりし巫女」という記述が、彼女の頭から離れなかった。この古文書が、卑弥呼と邪馬台国の謎を解く鍵となるかもしれない。しかし、それを確認するには、まず目の前のDNA分析を完了させなければならない。


研究室に戻った真理子は、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。愛知県犬山市の朝日古墳から採取された人骨のサンプルが、最新のDNA分析装置にセットされている。彼女の指先が震えていた。


「先生、準備ができました。」鈴木明日香が声をかけた。


真理子は頷き、分析を開始した。画面に次々と表示されるデータを、彼女は食い入るように見つめた。そこには、2000年の時を超えて、古代の人々が語りかけてくるかのような情報が刻まれていた。


「これは...」真理子の声が震えた。「まったく新しいハプログループよ。」


彼女は興奮を抑えきれず、声を震わせながら説明を始めた。「見て、明日香さん。このミトコンドリアDNAの配列、これまで知られていない全く新しいハプログループなの。仮に『ハプログループY』と呼ぶことにしましょう。」


真理子はマウスを操作し、特定の配列を拡大した。「ここ、16223位置のチミンがシトシンに置換されている。これは非常に珍しい変異で、東アジアの他の集団では見られないものよ。特に興味深いのは、この変異が韓半島や中国東北部の古代のDNAサンプルと部分的に一致しているの。」


明日香の目が輝いた。「つまり、この人々は...」


「そう、独自の系統を持つ集団だったのよ。しかも、海外からの渡来人の可能性が高いわ。」真理子は頷いた。「そして、Y染色体DNAの方も興味深いわ。」


彼女は別の画面を開いた。「これは確かにハプログループD1cに属しているけれど、これまで見たことのない突然変異がいくつも見られる。特にY-SNP M407.1の下流に新たな分岐があるわ。」


「D1cといえば、縄文人に多く見られるものですよね?」明日香が口を挟んだ。


「その通り。でも、この亜系統は独自の突然変異を持っているの。」真理子は熱心に説明を続けた。「そして、最も驚くべきことは、この特殊な組み合わせが紀元1-3世紀頃の人骨に集中して見られるということよ。しかも、朝日古墳がある愛知県を中心に分布しているの。」


真理子は椅子に深く腰掛け、目を閉じた。頭の中で、2000年前の光景が浮かび上がる。独自の文化を持ち、特別な儀式を行う人々。そして、その中心にいる一人の女性...。


「卑弥呼...」真理子はつぶやいた。「あなたが残した痕跡が、ここにあるのね。」


彼女の心の中で、DNAの分析結果と熱田神宮の古文書が重なり合った。これらの発見が、日本の古代史に新たな光を当てることは間違いない。しかし、それはまた、多くの新たな謎も生み出すことだろう。


真理子は深呼吸をして、その意味を噛み締めるように言葉を選んだ。「つまり、これは邪馬台国の人々を示す遺伝的指標である可能性が高いの。そして、邪馬台国が愛知県にあった可能性を強く示唆しているわ。」


明日香は息を呑んだ。「それは...つまり...」


「そう、私たちは邪馬台国の人々のDNAを発見したかもしれないのよ。」真理子の目は興奮で輝いていた。「このDNAマーカーを持つ個体は、邪馬台国の中核を成す血縁集団だった可能性が高いわ。そして、その中心地が愛知県だったことを示唆しているのよ。」


真理子は立ち上がり、ホワイトボードに向かった。「これらの遺伝的特徴が意味することを整理しましょう。そして、熱田神宮の古文書との関連性も考えないと。」


彼女は矢継ぎ早に書き始めた。「ミトコンドリアDNAの特殊性は、邪馬台国の女性たちが独自の系統を形成していたことを示唆している。これは卑弥呼のような女性祭司の存在と関連づけられる可能性が高い。さらに、韓半島や中国東北部との関連性も見られるわ。」


「一方、Y染色体DNAの特徴は、」真理子は続けた。「邪馬台国の男性たちが縄文系の血筋を引きつつも、独自の文化を発展させた可能性を示唆しているの。これは、渡来人と在来の人々が融合して新しい文化を形成したことを意味しているかもしれないわ。」


明日香は熱心にメモを取りながら尋ねた。「では、現代の日本人との関連は?」


真理子は少し考え込んでから答えた。「この特殊なハプログループの組み合わせは、現代の日本人にはほとんど見られないわ。でも、一部の地域や家系、特に愛知県周辺に低頻度で残存している可能性はあるの。つまり...」


「現代の日本人の中に、邪馬台国の直接の子孫が存在する可能性があるということですね。」明日香が興奮した様子で言葉を継いだ。


「その通りよ。」真理子は頷いた。「この発見は、邪馬台国の人々の遺伝的特徴を特定し、彼らの移動や分布を追跡する重要な手がかりになるわ。そして、邪馬台国が愛知県にあったという新しい仮説を裏付ける強力な証拠にもなるの。」


真理子は窓の外を見つめ、遠い昔を想像するように言った。「私たちは今、2000年の時を超えて、邪馬台国の人々の足跡を辿り始めたのよ。そして、その足跡は愛知県に集中しているわ。」


彼女の頭の中では、すでに次の調査計画が練られ始めていた。この遺伝的証拠を基に、愛知県を中心とした地域の古代遺跡や現代の人々のDNAを調査することで、邪馬台国の実態により迫ることができるかもしれない。


真理子は決意に満ちた表情で明日香を見た。「さあ、私たちの本当の仕事はここからよ。この発見を基に、邪馬台国の謎に迫りましょう。そして、熱田神宮の古文書との関連性も明らかにしていくわ。」


「そして、人々がどのようにして愛知の地にやってきたのか、そして彼らの文化や伝統がその後の日本の歴史にどのような影響を与えたのか。それを明らかにするのが、私たちの次の使命よ。」


彼女はコンピュータに向かい、分析結果をグラフ化した。


「これを見て。」真理子は画面を指さした。「これらのデータが、2000年の時を超えて私たちに語りかけているのよ。そして、その声は愛知の地から響いてくるわ。」


明日香はグラフを食い入るように見つめた。そこには、彼らの発見が鮮やかに可視化されていた。ハプログループYの特異性、D1cサブクレードの新たな分岐、そして特徴的なDNAメチル化パターン。すべてが、邪馬台国の人々の特殊性を物語っていた。


真理子は静かに言った。「私たちは歴史の証人となったのよ、明日香さん。そして同時に、新たな歴史を作り出そうとしているの。邪馬台国愛知説。これが私たちの新しい仮説よ。」


部屋の空気が、期待と緊張で震えていた。彼らの前には、日本の歴史を書き換える可能性を秘めた発見が広がっていた。しかし同時に、この真実が世に出ることで引き起こされる波紋の大きさに、真理子はかすかな不安を感じていた。


彼女は窓の外を見つめた。そこには、2000年の時を超えて、邪馬台国の人々の声が聞こえてくるようだった。その声は、愛知の地から、日本の歴史に新たな光を投げかけていた。

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