第54話
やがて馬車が止まり、目的地に着いたことがわかった。
「着いたぞ」
ロープで縛られたまま馬車から降りると、ヒースは周囲を見渡した。
ここは……。
そこはアウラ王都の西の果てにある大地、通称”神々の棲む森”と呼ばれる神聖な土地だ。その名前は古来人々に信じられてきた、龍神伝説からついたと言われている。断崖絶壁にあるその場所は、アウラ王都でも神官や王族などが特別な儀式を行うとき以外、滅多に人が足を踏み入れることはない。
底が見えないほど深い崖の下を流れる川は、ヒースたちがいた村まで続いている。シュイと一緒に訪れたあの湖は、昔はこの川につながっていたとされるが、真偽のほどは定かではない。
「ここからは徒歩で移動する」
馬車から降りると、そこからは獣道になる。ゆっくりとした歩みとはいえ、ずっと地下牢に幽閉されていたヒースの身体にはきつかった。体力は落ち、少し歩いただけで心臓は破裂しそうなほど苦しい。
「くそっ、まだ先があるのかよ」
きつい経路に、若い兵士の一人が不満の声を漏らした。やがて視界が開けるように、目の前に広がる光景にヒースは息を呑んだ。
切り立った断崖の上に、白亜の神殿がそびえ立つ。澄んだ水の匂いがした。こんな場所に誰がいったいどうやってつくったのだろう。そのあまりの見事さに、ヒースは声もなくただ呆然と見とれることしかできない。
水の匂いは一歩踏み出すごとに強くなる。そのときヒースは神殿の中から出てくる数名の男たちの中に、ぐったりとしたようすのシュイを見つけた。
「シュイ……っ!」
はっと目を瞠り、シュイの元へと駆け寄ろうとしたヒースは、その場で兵士に取り押さえられる。地面に身体を押しつけられながら、ヒースは必死にシュイの名を呼んだ。
「シュイ! お前たち、シュイに何をした!」
マーリーン公たちの隣にいるシュイは、最後に会ったときよりも一回り小さくなった気がした。手には真新しい包帯が巻かれ、ヒースを見るその顔は血の気が引いたように憔悴しきっている。
「何をしたとはとんだ言いがかりですな。石さまがご自身を傷つけられたのですよ。何もなかったからよいものの、発見するのがあと一歩遅ければ危ないところでした。石さまが快適にお過ごしになれるよう我々が手を尽くしても、今度は護衛を唆して城から逃げ出そうとする始末。いやはや、まったく何をお考えになられているのか……」
「違う! お前たちがシュイにそこまでさせたんじゃないのか!?」
それは彼らだけでない、自分がシュイをそこまで追い詰めた。
――何をしても、おれがきっとヒースを助けるから。
あのとき、自分がシュイを止められていたら。ひどく思い詰めた目をしていたシュイを思い出し、ヒースは胸が張り裂けそうになった。フレデリックがシュイの護衛を外されたのも自分のせいだ。
「せっかくのチャンスを与えたのに、あなたにはがっかりしました。――大神官さま。この者がモンド村の生き残りです」
ヒースが顔を上げると、そこにはマーリーン公とメトゥス王の横に、丈の長い白い衣装を身に纏った、顔色が悪い禿頭の老人がいた。
大神官? この老人が……?
老人が着ている衣装には金の糸で豪華な刺繍が縫い込まれている。その姿は神官というよりかはむしろ豪商の主人と言ったほうが信じられるほどで、とても神職についているとは思えない。大神官はマーリーン公の言葉にうなずくと、地面に押さえつけられているヒースを小さな目でぎょろりと見下ろした。
「お前のような者が龍神さまへの捧げ物にされることを光栄に思いなさい」
大神官の物言いに、ヒースはかっとなった。そんなこと思えるわけがない……!
「ふざけるな! だったらお前がなるといい!」
ヒースの言葉に大神官は不快そうに眉を顰めると、まるで穢れた者でも見るような目で一歩下がった。
マーリーン公の合図で、兵士たちはヒースの腕を両側から引き上げるようにつかんだ。罪人のようにずるずると祭壇のある断崖へと引きずられる。マーリーン公は必死に抵抗するヒースを見ると、そっとささやいた。
「万が一この儀式が失敗したときは、……わかっていますね?」
この儀式が失敗したとき――それはつまり同時にシュイの死を意味する。ヒースははっとなった。自分はどうなっても構わない。だけどこのままでは儀式は失敗に終わり、シュイが殺されてしまう。
「やめろ! その手を離せ!」
ヒースは身をよじると、蒼白な顔で立ち竦むシュイを振り返った。
「シュイ! シュイ! 逃げろ!」
やめろ! 頼むからシュイだけは助けてくれ……! シュイ……!
断崖へと連れていかれたヒースは、兵士によって上半身の衣類を剥かれた。大神官は聖水が入った椀に束ねた月桂樹の葉を浸すと、ヒースの身体に振りかけた。
「龍神さま、この者の血と肉を大地に捧げましょう。どうか、我らアウラ王都に永遠なる祝福を」
大地に跪くように押さえつけられたヒースは、無防備なうなじを大神官の剣の前に晒した。呪文を唱えながら、大神官が剣を振り上げる。そのときだ。ピューイという鋭い鳴き声と共に、大空を一羽の鷹が舞った。ヒースははっとなった。
アズールだ……!
まるでヒースの心の声が聞こえたように、アズールは上空でさっと身を翻すと、地上目がけて急降下した。まずはヒースを捕らえる兵士を襲い、慌てて助けに入ろうとした兵士たちをその鋭い爪と嘴で次々に襲った。
「わあぁあ……っ!」
「何だ……っ、鷹が……っ! ぎゃあああ……っ!」
野生の鷹の急襲に兵士たちは剣を向けるが、アズールはそんな彼らを翻弄するようにその場をかき乱す。あたりは騒然となった。ヒースは顔を上げると、おろおろと立ち尽くす大神官の胸に頭突きをした。大神官が落とした剣を拾い、後ろ手に縛られていたロープを切る。逃げようとした大神官の服の後ろをつかむと、自分のほうにぐいっと引き寄せた。兵士たちが慌てて助けに向かうが、ヒースのほうが一歩早かった。大神官の首筋にぴたりと剣を突きつける。剣の先が首の薄皮を破り、血が滲んだ。
「無礼者! 何をする……っ!? ひぃー、い、痛い……っ! 痛いぞ……っ!」
兵士たちがどうするべきか躊躇う一瞬の隙を狙って、ヒースはシュイに向かって叫んだ。
「シュイ、こい……っ!」
ヒースの呼び声を合図に、シュイがたっと駆け出した。いまにも倒れそうな顔色で、しかしその瞳にはシュイの意志が表れるように、強い光を宿している。
「石さまをお守りしろ! 何としてもお止めするんだ!」
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