よみがえる記憶

第53話

 ヒースが地下牢に戻ってから、警備はますます厳重になった。逃げられないよう、戻ったときに折られた足の指が紫色に腫れ上がり、熱を持っている。

 そのとき、ざわざわと騒がしくなった。誰かがヒースのいる地下牢へと下りてくる。それも一人ではない、複数いるようだ。兵士たちは鍵を開けると、ヒースのいる牢へと入ってきた。


「立て」


 若い兵士に乱暴な仕草で鎖を引かれる。


「う……っ」


 けがした足に自分の体重がかかり、ヒースはバランスを崩すと、受け身が取れないまま石の床に強く胸を打ちつけた。


「……っ!」

「こいつ……!」


 先ほど鎖を引いた若い兵士が鞘に収まった剣を振り上げる。新たな痛みが襲ってくることを覚悟して、ヒースは床に転がったままとっさに身を縮める。だが、おそれていた痛みは襲ってこなかった。目を開けると、若い兵士の腕を三十代後半、顎髭を生やした碧眼の兵士がつかんでいた。


「不必要な拷問は必要ない」

「だけど……っ」

「フレデリックさまはそんなことを望んではいない」


 フレデリック? あいつの部下か?


 聞きなれた名前に、ヒースは彼らの会話に耳をすませる。


「そのフレデリックさまはこいつに会いにいった後でおかしくなって、石さまの護衛から外されたんじゃないか!」


 ヒースははっとなった。フレデリックがシュイの護衛を外された?


「フレデリックが石さまの護衛を外されたとはどういうことだ!? それが本当なら、いま石さまの傍には誰がいる!?」


「きさま……っ!」


 若い兵士はヒースの言葉にかっとなったようにつかまれた手を振り払うと、再び剣を振り上げた。


「やめろっ! フレデリックさまが降格されたとしてもお前の上司は誰だ!? その上司の命令に背く気か!? もういい、お前は表に出ていろ!」


 先ほどヒースへの暴力を止めた碧眼の兵士が、若い兵士を怒鳴りつけた。若い兵士は悔しさを滲ませながら、しかし上官の命令には逆らうこともせずに踵を返す。


「すまない、部下が失礼した」


 碧眼の兵士は謝罪の言葉を述べると、床に横たわるヒースを助け起こした。だが謝罪の言葉など、ヒースにはどうでもよかった。それよりもフレデリックがなぜシュイの護衛から外されたのか知りたい。


「教えてくれ! フレデリックはなぜシュイの護衛から外されたんだ!? いったい何があった!? 石さまは無事なのか!?」


 碧眼の兵士は手を止めると、ヒースの顔をじっと見た。


「なぜそんなことに興味を持つ?」

「それは……っ」


 言い掛けて、ヒースは口をつぐんだ。自分への暴力を止めてくれたからといって、この男が信用できるかはわからない。


「それは?」


 男の眼光はどんな些細な嘘も許さないように、ヒースを見据えていた。ヒースは気まずげに顔を背けた。だめだ、この男が信頼できるかわからない以上、何も漏らすことはできない。


 じっとりと冷や汗をかくヒースを男は眺めると、鎖を外し、後ろ手にロープで縛った。


「いくぞ」


 螺旋階段を上がり、地下牢を出て新鮮な外の空気にほっとしたのも束の間、馬車に乗せられる。


「いまからお前を別の場所に移送する」


 碧眼の兵士は自らも馬車に乗り込むと、ヒースの正面の席に腰を下ろした。おそらくは逃げられないためだろう、ヒースを間に挟んで数名の兵士が隙間もなくみっちりと席を埋める。その中には先ほどヒースへの暴力を上官に叱責された若い兵士もいた。


「いいぞ。出発だ」


 碧眼の兵士が声をかけると、がたんという振動と共に、馬車が動き出した。


「どこへ向かっている?」


 ヒースが行き先を訊ねても、当然のように答えはなかった。荷台自体が幌で覆われているため、外の景色は見えない。だが、それでもわかることはある。


 いったいどこへ向かっているのだろう。ヒースは馬車に揺られながら、少しでも情報を得ようとする。どこか西のほうへ……、いや違う、郊外へ向かっているのか……?


「逃げるなんてばかなことを考えるんじゃないぞ。時間の無駄だ」


 正面からかけられた言葉に、ヒースはぎくりとした。鋭い眼光がヒースの考えていることなどお見通しだと告げているようだった。やはりこの兵士は他の者に比べて隙がない。


「そんなこと考えていない」


 碧眼の兵士はヒースの言葉に眉を顰めると、それ以上は何も言わなかった。


 もともと貴族などが移動に使うための乗り物ではなく、荷物などを運ぶためのものなのだろう。荒れた道を進むたびに、馬車は上下左右に激しく揺れた。やがて雑踏のざわめきが遠ざかり、馬車はますます荒れた道を進む。そのときヒースは静謐な水の匂いを感じた。


 川? もしかして森へ向かっているのか?


「しかし、生贄にされるなんてお前何をやったんだ。俺ならごめんだ」


 顔を向けると、先ほどの若い兵士が意地悪くヒースを見ていた。まだ少年といってもいい兵士の言葉に、ヒースは思わず「生贄?」と問い返していた。


「そうだ、お前まさか知らなかったのか?」

「アシュリー」


 碧眼の兵士に咎められても、若い兵士に反省したようすはなかった。その瞳には弱者をいたぶるのを楽しむような、残忍さが滲んでいる。


 ――ああそうか……。


 アルドから話を聞いていたからだろう、生贄にされると聞いてもヒースは驚かなかった。ただそのときがきたのかと思っただけだ。もちろん恐怖がないといったら嘘になる。だけど逃げるつもりならアルドが迎えにきたとき、とっくに逃げていた。しかしあのときといまでは明らかに状況が違う。


 フレデリックがシュイの護衛を外されたのは、シュイが自らを傷つけたことと関係あるのだろうか? 俺の知らない間にいったい何があった? シュイは無事なのか?


 腋の下にじっとりと冷たい嫌な汗をかく。ヒースはアシュリーと呼ばれた若い兵士を盗み見た。それから馬車にいる別の兵士たちを。やはり隙があるとしたらアシュリーだ。ヒースはそっと息を吐くと、さりげなさを装ってアシュリーに話しかけた。


「石さまの護衛を外されるなんて、フレデリックはいったいどんなへまをやらかしたんだ? 偉そうにしてたくせに情けない」

「きさま……っ!」


 ヒースの挑発に、アシュリーはまんまと乗ってくれた。馬車の中で立ち上がり、顔を背けたヒースの胸ぐらをつかむ。


「フレデリックさまはお前の牢にいってからおかしくなったんだ! まさか石さまを逃がそうとして、マーリーン公に捕まるなんて……!」

「アシュリー!」


 上官の鋭い叱責にアシュリーは悔しそうに黙ると、つかんでいた手を乱暴に離した。


 フレデリックがシュイを逃がそうとして、マーリーン公に捕まった? それはいつの話だ?


「それは本当なのか!?」


 驚くヒースに、アシュリーは憎むような目を向けてきた。ヒースは愕然とした。ヒースがフレデリックに王都側の奸計を話したのは、万が一自分に何かあったとき、彼ならシュイを守ってくれると考えたからだ。それがどうして……!


 同時に、必要以上に自分に突っかかるアシュリーの態度もそれで納得した。きっとフレデリックが捕まったのは、ヒースのせいだと考えているのだろう。ある意味それは間違いではない。だけどそれが本当なら、いまシュイの傍には誰がいるのだろう。いざというとき、誰がシュイを守ってくれるのか。


 何か見えない大きな力が働くように、自分たちではどうしようもできないところへと流されてゆくのを感じる。


 どうしたらいい、どうしたらシュイを助けられる? だめだ、考えろ……!


 ヒースは真っ青な顔で一心に考え込んだ。

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