第49話

 それから更に長いときが過ぎた。日の光が届かない地下牢にいると、一日が果てしなく長く、時間の感覚が曖昧になっていく。


 フレデリックは自分の頼みを聞いてくれただろうか。たとえ専属護衛とはいえ、フレデリックはもともと王都側の人間だ。その彼が自らの身を危険に晒してまで、シュイを守ってくれるだろうか。


 きりきりと心臓が痛んだ。こんなところで鎖に繋がれたまま、何もできない自分をヒースは呪った。


「くそ……っ」


 牢の中を、ネズミが走る。ネズミは冷たい石牢に横たわるヒースの顔のすぐ前までくると、黒い瞳でじっと見た。


「……お前、俺を食う気か……?」


 掠れた声で呟いたとたん、ヒースは咳き込んだ。胸に刺すような痛みが走る。ネズミはぱっと身を翻して逃げていった。


 冷たく固い石の床は、消耗したヒースの身体の熱を確実に奪い取ってゆく。薄い毛布に包まってがたがたと震えながら、ヒースは少しでも体力を温存しようとする。シュイの治療のおかげで化膿していた傷は治ったが、ひどく具合が悪かった。熱のせいなのか、それとも別の理由があるのか、咳をするたびに頭ががんがんと痛んだ。


 このままここで自分が死んだら、シュイがきっと悲しむ。そして自分のせいだと責めるだろう。そんなシュイは見たくない。だけど――。


 自分はここで死ぬかもしれない……。


 ヒースの脳裏に、少しずつ死というものが身近に迫りつつあった。できることならばもう一度外の新鮮な空気が吸いたい……。


 突如ヒースの中に、死にたくなんかないという強い思いが沸き上がる。このまま何もできず死んでいくのは嫌だ……! せめて、シュイだけは何としてでも助けたい……!


 からからと小石が転がる音が聞こえた。誰かがヒースのいるこの牢に近づいてくる。


 誰だ……?


 顔をうつむけながら、ヒースは全身でその人物を探ろうとする。ヒースははじめ、ついにそのときがきたのかと思った。その人物は牢に近づくと、がちゃがちゃと扉の鍵を外す音が聞こえた。それから鉄の扉がキィと軋む音も。その人物は、牢の中にまで入ってくる。


 ……?


 ヒースは顔を上げた。朦朧とする意識の中、懸命にピントを合わせようとしたヒースの視界がようやく焦点を結ぶ。それは牢番でも王室専用の兵士でもなく、この場にいるはずのない人物だった。その人物はヒースのすぐ側まで近づくと、ぴたりと立ち止まった。感情がいっさい窺えない緑青色の瞳が、冷たくヒースを見下ろしている。


「……アルド?」


 ここへくるまで当然見張りの兵士がいたはずだ。いったいどうやって……?


 声に出したつもりが、ちゃんと音になっているのかわからなかった。それに気がついたようにアルドが片方の眉を上げる。本人は気づいているのかわからないが、何か気にくわないことがあったときにする癖なのだろう。どこか人をおちょくったようなしぐさに、ヒースはふいに懐かしさを覚えた。


 なぜこの男がここにいるのかわからない。どうやって見張りがいるのをすり抜けたのかも。だけど、どこか人間離れしたこの男ならそれも可能な気がした。


「王都は……、いまどうなっている? シュイは……、石さまは、無事か?」


 身体を動かすたびに息が苦しかった。ヒューヒューと漏れるような息と共に、長い間まともに話をしていなかったせいで思うように声が出ないのが歯がゆかった。必死なようすで自分に話しかけるヒースを、アルドは無言で眺めている。その表情からは彼が何を考えているのかわからなかった。


「アルド。頼む……、知っていたら教えてくれ……!」


 手を伸ばし、震える手でアルドの上衣をつかむ。脂汗が滲み、起き上がるのさえつらかった。胸の奥に鋭い痛みが走り、ヒースは堪え切れずその場に嘔吐する。だが、つかんだ上衣は離さなかった。


 理由なんてものはない。ただ厳重に管理されたこの地下牢に、誰にも気づかれず忍び込むことのできるこの男なら、きっと知っていると確信があった。


 アルドは舌打ちした。面白くなさそうな顔で口を開く。


「あんたの大事な石さまならまだ生きているよ。自ら命を絶とうとして、失敗したんだ」


 シュイ……!


「なんてばかなことを……!」


 シュイが自ら命を絶とうとしたと聞いて、ヒースの顔からざっと血の気が引いた。


「それでシュイは? シュイのけがはひどいのか?」


 必死な形相で詰め寄るヒースの手をうるさそうに引きはがすと、アルドは冷たく言い放った。


「だから言っただろ、あの小僧ならまだ図太く生きてる。十分すぎるくらい傷の手当を受けて、いまは自ら命を絶てないよう厳重な見張りがついてるよ」

「そうか……」


 ヒースはほっとした。シュイは昔からけがをしても、人より早く治った。ちゃんとした手当を受けているのなら大丈夫だろう。


 アルドはそんなヒース見ると、袋の中から薬草と液体の入った容器を取り出した。


「……それは?」

「熱に効く薬草だ」


 それは雪蓮花だった。ヒースが驚いたように凝視していたからだろう、アルドは微かに眉を顰めると、その口元に皮肉な笑みを浮かべた。


「信じられなければ飲まなくていい。毒かもしれないしな」

「……いや、雪蓮花が効くのは知っている。昔、シュイと一緒に摘んだんだ」


 シュイの名前に、アルドははっきりと不快の表情を浮かべた。しかしそれ以上文句を言うことはなかった。


 アルドに背中を支えられながら、ヒースは薬草を水で流し込む。


「お前は……、やっぱりシュイのことが好きではないのだな」


 以前から薄々感じていたことをヒースが告げると、アルドはむっとした表情を浮かべながら何も答えなかった。子どもみたいなアルドのようすに、ヒースはこんなときなのにおかしさを覚えた。


「こんな辛気くさい場所にいると気が滅入っちまう。さっさとこんなとこ出るぞ」

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