第28話 エンジェル・ハイロゥ

 柔らかい日差しが瞼越しに見える。

 星来はゆっくり目を開いて、あたりを見回してから飛び起きた。


「うわあっ、やっちゃった」


 昨日の自分を思い出して、しばらく自己嫌悪になる。

 尊敬する彗のところに押しかけて我儘をぶつけ、挙句の果てにソファで寝てしまった。

 メイクも落とさず、着替えもせず。


「私、ダメな子だ……」


 どんよりしていてハッとした。

 そういえば、彗はどこに行ったのだろう。

 毛布を畳んでソファに置き、病院リュックと彗を探した。

 間違って持って来てしまった病院リュックだが、急な宿直に備えて一泊分の備えが入れてある。そういう意味で言えばラッキーだったかもしれない。コーディネートは最悪だが。

 人の気配が無かった。

 試しに呼んでみる。


「あの……彗先生?」


 返事は無かった。

 留守ならとりあえず洗顔したい。昨日は顔色が悪かったので、ファンデーションやチークが一割増しなのだ。

 洗面所を借りてメイクを落としてみて驚いた。

 変なねぐせはあるが、顔に生気が戻っている。目の下のクマが消えていた。


「よく眠れたから……」


 それにしても何も無い洗面台だ。この家でどうやって生活しているのだろう。

 堕ちた天使の手――彼の心の空虚さを感じてしまう。今更ながら、よく自分の手術指導など引き受けてくれたと思う。

 彗が家に戻る気配は無い。

 あまりあちこち勝手に見ても失礼かと思い、ソファに戻る。

 よく見るとローテーブルに何かが置いてあった。銀色の手提げ紐がついた赤い紙袋だ。

 中には四角い箱と長細い箱が一つずつ入っている。

 二つに折ったレポート用紙がついていた。


『眞杉星来殿

 所用で数日県外に行く。

 家の中の物は好きに使っていい。

 戸締まりは受け付けに言ってくれ。

 明日は手術に立ち合いできない。

 すまない。

 これは土産だ。』


 彗らしいと言えば彗らしい。

 ぶっきらぼうな走り書きで書いてある。

 四角い箱には赤いリボンがかけてあった。

 開けると中にはプラリネ・チョコレートが入っていた。ちょっと高級っぽい。よく見ると『ロイヤル』的なフランス語が書いてある。ベルギーに行ったと言っていたから、ベルギー王室御用達なのかもしれない。

 もう一つの細長い箱は、オーガニック・ブランドのハンドクリームだった。結紮の練習で指が傷だらけなのに気づいてくれていたのだろう。


「わざわざ……買ってきてくれた……のかな」


 ……少しだけ特別扱い?


 それは思い上がりだ、と首を振った。

 コミュ障で上がり症、元ゲームマニアで童顔の陰キャラだ。


 ……でも、とっても可愛いプレゼントだな。


 昨夜の事を思い出すと、ちょっとドキドキしてくる。


「いやいや、プレゼントなどと。私のくせに。私の分際で。これはお土産、お土産だから。弟子への思いやり……彗先生、ありがとうございます」


 雑念を祓うべく、誰もいない部屋でうやうやしく頭を下げた。


「彗先生は神……私は鳩……いやペンギン」


 我ながら変な事をしている。だが、徐々に動悸が収まってきた。

 唐突にリュックから電話の着信音が鳴った。


「ひゃっ!」


 病院からだ。慌てて出る。


「もしもし、眞杉先生ですか?」

「どちら様でしょう……?」

「整形外科の野田だ」

「あ、野田先生……」

「休み中にすまないが、今から急いで大学病院に来てくれないか」

 余裕が無い感じの早口だった。

「神場君がいなくなった」

「また……ですか」

「今回は事情が違う。電話に出ないし、院内放送をかけても戻って来ない。それと…」途端に歯切れが悪くなる。「昨夜、同室の子供が急変して亡くなった」

「え……?」


 星来は身支度もほどほどに、彗の部屋を飛び出した。

 タクシーを呼んで大学病院に駆けつける。

 研修医室のロッカーで白衣を引っかけ、整形外科の病棟に向かった。

 看護師詰所ナース・ステーションの前に人が集まっている。

 PHSで電話をかけている野田が見える。


「はい、そうですか……そちらにはいませんか。ありがとうございました」


 かけては切り、かけては切りを繰り返している。他、数名の看護師も同じようなことをしていた。院内の各所に電話をかけて蓮を探しているのだ。


「……野田先生」

「ああ、眞杉先生。休日中に呼び出して済まない。君の顔見知りと聞いていたものだから」

「いえ……蓮くんはいつから?」

「看護師さんが最後に見かけたのは十時過ぎくらいだ。いつも昼食の配膳までには戻ってくるのに、まだ戻ってこないのでおかしいということになった」

「そうすると……」

 PHSの時計を見た。

「三時間くらい前ですね」

「うん。院内のあちこちに電話をかけているが、見かけたという人がいない」

「病院の外……でしょうか」

「そうなるとお手上げだが、車椅子だからな。行けるところは限られているはずだ……」

「あの! すみません! この度は息子が大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」


 見ると、神場が立っていた。

 休日なのでラフな恰好だったが、汗まみれだ。知らせを受けて駆け付けたのだろう。


「どこに行ったんでしょう……」

「お父さんに心あたりは?」

「さあ……検討もつかない。元妻の実家まで電話したが、どこにも来ていない。その、亡くなった同室のお子さんは……蓮と同じ病気なんですね?」

「はい……もちろん個人情報の観点からも、我々が言う事はありませんが、子供たちは仲良くなると互いに察してしまう様ですから……」


 嫌な予感がする。


「屋上庭園は?」


「まさか……?」神場が青ざめる。


「大丈夫、乗り越えられないフェンスがありますから……」飛び降りたりは出来ない、という言葉を野田は飲み込んだ。


「さっき守衛さんに確認してもらいましたけど、屋上にはいませんでした。あと、病院のタクシー乗り場でも目撃されていません」

 看護師が報告する。


「ふわぁ……」


 大きなあくびをしながら麗美がやって来た。


「当直明けだけど、大騒ぎになってたから来たよ」


「麗美、蓮くんが……」


「ふむ、話は聞いたよ。今、部屋も見てきた」


 眠そうなギャル研修医に看護師達の抗議の視線が突き刺さるが、本人は意に介さない。


「大丈夫、自殺する様な子じゃないって」

 皆が気遣って口にしない言葉をズバリと言ってのけた。


「そんな、不謹慎な」

 看護師長が目を吊り上げる。


「今日、この時間にいないんでしょ? 病院の屋上庭園は?」

「さっき守衛さんが見てくれました!」

「じゃあ、誰も直接行ってないのかぁ」

「誰が行っても一緒でしょう!」

「誰か、貯水槽の上見た?」

「あ……」


 師長は野田と顔を見合わせた。


「しかし、あそこは柵が……」

「プロアスリートのフィジカルを舐めちゃ駄目だって。しかも中身はイタズラ男子。星来、行ってみよ」

「う、うん。でも、何で?」

「今日は地元チームの、J1昇格プレーオフの試合があるじゃん。病院の中でサッカースタジアムが見えるの、ヘリポートの上とあそこだけだもん。庭園の中は木で見えないの。多分スマホで観戦しながら眺めてるよ」


 言いながら麗美は歩き出した。野田と神場が後に続く。


「電話に出ないのは……」

「そこはやっぱり、気持ちかな」


 エレベーターで七階に上がり、屋上庭園に出た。風が冷たい。

 フェンスを背にぐるりと建物の方を振り返ると四角いタンクが見える。

 よく見れば繁みの陰に乗り捨てられた車椅子があった。

 野田が防護柵の鍵を開けてはしごを登る。上まで登ると渋い顔で振り向いた。


「……いた」

「いやぁ、実は、貯水槽の上からスタジアムが見えるって、アタシが教えちゃったんだよね」

「き、貴様……」

「こら、蓮! 皆さん心配してるぞ。降りてきなさい」


 神場が叫ぶと、タンクの縁から蓮がひょっこり顔を出した。


「あ、ごめん。もう少しで終わるから」


 しばらくすると、「あー、駄目だった!」という声がして蓮が降りてきた。


「蓮君、無理はするな。俺でよかったら聞き役ぐらいはさせてくれ」

「いやぁ、スミマセン。ちょっと臨場感に浸って試合が見たかっただけなんですけど」


 蓮は笑って星来たちを見回す。野田はホッとした顔で病棟に報告している。神場は野田に何度も頭を下げていた。


「あの……星来ねーちゃん、話できる?」

「私……? 野田先生、良いんですか?」

「代わりができればやっている。言われるまでもない。君を希望しているんだ。頼む。……だが、くれぐれも言葉には気をつけてくれ」

「星来ちゃん、宜しく」


 星来を残して三人は病棟に戻って行った。蓮は「よっこらしょ」と言いながら車椅子に座る。腰を庇っているのが分かる。癌性疼痛用の鎮痛剤を使っていても相当痛そうだ。


「大丈夫?」


 近づくと蓮は立ち上がってみせた。頭半分ほど星来より背が高い。


「へぇ、ねーちゃんが小さくなった」

「蓮君が……大きくなったんでしょ。もう……十年も経ったんだから」

「そっか……今日は可愛いカッコしてるね。もしかしてデートだった?」

「そ、そんなんじゃ……ありません」

 まさか昨日から着替えていないとは言えない。


「ねーちゃん、陰キャだからな。そりゃそうか」

「もう……失礼だな」


 蓮は車椅子に座ると、ゆっくり屋上庭園の端に移動した。


「ここは寒いよ。もう戻ろう」


 返事は返って来なかった。早足で追いつく。


「でも、どうして私なの?」

「……だって、野田先生、ディフェンスというか、ガードが固そうじゃん」

「……どういうこと?」

「あのさ。みんな、はっきり言わないけどさ、俺の病気って、実は相当ヤバいんでしょ?」

「それは……」


 困った。鳥栖教授や野田がどこまで詳しく説明しているのか分からない。


「脚が動かなくなる可能性とか……死んだりとか。カッちゃんみたいにさ」


 カッちゃんとは亡くなった同室の子供の名前だろう。蓮はうっすら笑みを浮かべながら、訥々とつとつと話した。


「一応一通り聞いてるけど……でも、明日の手術も……手術そのものが、結構……危ないんでしょ?」

「危ない?」


 心臓が跳ね上がる。


 ――その手術を執刀するのは。


「だって……俺、入院する前に聞いちゃったんだ。父さん……親父が珍しく、離婚した母さんに電話しててさ。言ってたんだ」


『……ああ、どうかどうか、俺の命を奪ってでも、あの子の命が救われます様に』


「親父……泣いててさ」


 星来は胸が張り裂けそうになった。


「手術で死んじゃう、なんてこと無いかな」


 蓮の手は小刻みに震えていた。

 大丈夫、と言おうとしてやめた。彼の周りの多くの大人たちが、同じ様に「大丈夫」と言ってきたはずだ。それは蓮が今求めている言葉ではない。


「あ……」

「あ?」

「……安心、して。私が、そんな事させないから」

「ねーちゃんが? ねーちゃん、まだ研修医だろ?」


 それでも自分を気遣う気持ちが嬉しかったのか、蓮は少し笑った。


「あのね」


 星来は蓮の前に廻って屈み込み、かろうじて笑みの形を作っている目を覗き込んだ。


「この病院には、天使がいるの。病気を治してくれる天使」


 真剣に見つめると、瞳がたじろぐ様に揺れる。


「天使なんて、そんな。俺、ちっちゃい子じゃないんだぜ」


 拗ねた様に抗議する顔が、一瞬幼い頃の姿と重なった。


「こうすれば……まだ……」


 両手で頭を抱え、抱きしめた。


「……蓮くんの方が小さいよ」

「ねぇちゃ……」

「……だから信じて。私を、信じて」


 私があなたを死なせない。


「……」


 蓮は低く静かに嗚咽していた。

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