彼女の場合

 夜、三時。草木も眠る丑三つ時が明けようとする時間。

 一人椅子の上で体操座りをし、両の手で自分をぎゅっと抱きしめて肩をぽんぽんと叩く。

形容し難い思いが溢れそうになった時にする行為。

 いつかの自分が母の膝の上で揺らされていたように、優しく、優しく身体を前後にゆらゆらと揺らす。

 ぎしっと音がする。腕の中に埋めていた顔を少しだけ上げ、音のした方へと目を動かす。

「何してるの」

 月と街灯によって少し明るくなった夜が満ちるリビングでうずくまるこちらに声をかけたのは、私の大切な人。

 あぁ、気付かれてしまった。気付いてほしくなかった。

 でも、気付いてほしい気持ちもあった。

「何にも」

 簡潔に答える。

 恐らく、君が求める答えには到底及ばない、不正解の答え。

「そっか」

 呆れた?失望した?見放す?そんな疑問が浮上してはゆっくりと沈んでいく。

 夜の明かりが満ちるリビングでも、照らしているのは床のみで、君の顔は暗闇で塗りつぶされ、どんな表情をしているのか分からない。

 ただ、君がそこにいるんだなとしか今の自分は知ることが出来ない。今の君はどんな表情をしているのだろう。

 ペタペタとフローリングに響く君の足音が段々と近付いてくる。

 徐々に広がる君の影を認めると、不安が広がってきた。沈殿していったものがまた浮かんでくる。今度はずっと水面に浮かんだまま。

 顔を腕の中にもう一度閉じ込める。

「あなたはいつもここにいたの?」

 上の方から声が聞こえる。目の前に立つ君の下肺にざわざわと心が揺らされる。

「うん。ここが私の逃げる場所」

「今までもそうしてきたの?」

「一番落ち着くから」

「そっか」

 沈黙が立ち込める。遠くの方でバイクの音がした。

 顔を少し上げる。目の前にはチェック柄の壁。君のパジャマ。

 こちらの顔を覗くようにしゃがんだ君と目が合う。明るい夜に照らされた君の顔半分。何か知らないものを見ている気がして、少し怖くなった。何を考えていくのか分からない、私の知らない君がここにいる。

「俺が知らないあなたが、ずっとここにいたんだね」

 君の手がそっと私の頭に乗せられる。ぽんぽん、なでなで。君の手の重量が心地いい。

 かつての自分が自分を慰めるためにしていた行為。誰かにしてほしいと望んだもの。

 どうして君には分かってしまうの? 私が何よりも求めていたものを。求めることを恐れたものを。

 視界が滲む。頬をつたって、腕に温かいものが馴染む。

 君は撫でていた手を止めて、私の涙を指で救い上げた。君の指から伝わってくる君の優しさをもっと感じたくなり、君の掌に頬擦りをする。温かい。

 どれくらい経ったんだろう。瞼が段々と重たくなった。自分で揺籠をするよりも早いのではないだろうか。加えてとても心地がいい。

 君は何も言わず、親指で私の頬を撫でていた。

 思考に靄がかかっていく。眠る前兆。君も私も明日がある。もうそろそろ戻らなければ。

 君の手を放し、丸めていた上体を起こす。彼が触れていた頬が外気に晒され、冷気が頬に張り付く。

「ごめんね、付き合わせて」

「謝らないで。俺がしたかったことだから」

「……ありがとう。助けられた」

「ん」

 暗闇の中で少し微笑んだ気配がすると、君は私の手をぐいっと引っ張って立たせてくれた。思考は依然として蕩けたまま。

 君に手を握られたまま寝室へと向かい、のそのそとベッドの中に潜り込んだ。すぐに君は私の横に来ると、布団を肩までかけ直してぽすぽすと布団の上から私のことを叩いた。

 さっきまでのことを頭の中で反芻しているうちに────

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