最終章【恵パート】いらないコ

 わたしは、雨音がごうごうと響く中……包丁をキツく握りしめていた。


(どんな悠人君でも受け入れる覚悟はある。悠人君がニートになったって、自堕落になったって、DV男になったってわたしは受け入れられる。ただ、そうなると……)


 正直な話、受け入れたとしてもわたし一人では荷が重いと思った。


 とくに金銭面が問題になる。


 悠人君との将来を見据えて、今は単価の高い家庭教師のバイトをして、そこで得た資金を資産運用に回しているけれど……その額はまだまだ微々たるもの。悠人君と遊んで暮らせるほどの額ではない。


 その額になるころには、少なくともわたしはおばさんになってしまう……!


 起業するというのも一つの手ではあるけれど、でも、こんなご時世ではリスクが多い。それに安定もしていないだろうし、仕事に忙殺されて悠人君との時間が減ってしまっては元も子もない。


 でも……悠人君を独占したい……!


 ここで悠人君を独占しなければ、奴らに悠人君を食い物にされてしまう。


 そうなるくらいなら、いっそ悠人君と心中を……とも思ったけど、そうしたら嫌われてしまう!


 嫌われたら、では悠人君に相手にされないだろうし、そもそも、出会えるかも分からない。それに、あの世では包丁での脅しは利かないだろうし……


(働かない悠人君を、わたし一人で管理するのは厄介。下手をすれば彼が散財し放題で、稼ぎの限界を超える。ならどうする……?)


 そんな思考を巡らせていると、奈々海ななみが声を掛けてきた。


「恵、聞いて。ひとりであんな悠人を面倒見るなんて無理だよ」


「……何が言いたいの?」


 わたしは冷ややかな口調を保つ。


 包丁の柄を握る手に力が入るが、ここで無闇に刃を振り回しても意味がないのでかろうじて我慢する。


「悠人が本気でニートになったら、ギャンブルやキャバクラ、ソシャゲなんかで散財するかもしれないでしょ? 一人で払えるの?」


「い、いやあの……そこまで酷いことするつもりは……」


 悠人君が何かを言ってきたが、今はどうでもいいので、わたしは奈々海の意見を踏まえて考える。


 奈々海の言葉はもっともだ。わたしはごく普通の家柄だし、両親だって、働かなくなった悠人君をよくは思わないだろう。


「……じゃあ、あなたはどうするつもりなの?」


 わたしが静かに問い返すと、奈々海は肩をすくめた。


「もちろん、うちには莫大な資産があるからね。悠人君が望むなら、いくらでも食っちゃ寝させてあげるよ」


 さらに莉音が言ってくる。


「そもそもうちの両親も働いてないしね! ニートで引きこもりの悠人を責めるはずもないよ!」


「………………」


 これだから、資産家は……!


 わたしが歯がみしていると、奈々海が話を続けた。


「それにもし、悠人君が暴力を振るいたいっていうならエリナがいるし」


「え、ちょっとどういうことよ!?」


「い、いやあの、さっきのオレの発言はものの例えで……」


 エリナは、口調では拒否しているのに顔がもの凄く求めている。相変わらずの変態だ……これだけは、わたしは真似できないかもしれない。


 悠人君は、何かを訴えかけているが、やっぱりどうでもいい。


「あとは、そうだねぇ……」


 それから奈々海はしおりを見た。


「もし、陰湿なイジメをしたいっていうなら、しおりちゃんが喜んで受けてくれるし」


「どどど、どういう意味でしょうか!?」


「だから、そんなこと考えてもいないってば!?」


 しおりもまったく拒否せずむしろ喜んでいるし、悠人君は大慌てだけど、自分から言い出しておいてどういうつもりかしら?


 わたしが眉をひそめていると、奈々海は力強く言ってきた。


「だったら、最初からみんなで、悠人をすればいいでしょ? うちで自堕落悠人を養って、リナがDVを受けて、しおりが陰湿なイジメの捌け口に。これで悠人が理想とする将来像も万全ってわけよ!」


「そんな将来望んでもいないんだが!?」


 確かに……全員が協力したほうが、ニート悠人君でも養うことが出来る。けど……


「じゃあ……わたしは?」


 わたしのその問いかけに、奈々海が「え?」と声を出す。


「わたしは、悠人君の何を担当すればいいというのよ……!」


 つまり経済面は真島姉妹が担当して、精神面はエリナとしおりが担当する。


 だとしたらもう……


「わたし、いらないコじゃない!」


 思わず叫んだその台詞に、わたし自身がハッとする。


 ち、違う……


 わたしは、いらないコなんかじゃない……!


 わたしは常に、悠人君の一番なんだ!


 勉強だって一番出来た! 最近では莉音が追い上げてきたけど、でもそれでも総合点ではわたしのほうが上だ!


 運動だって一番出来た! 男子の悠人君にだって負けていないし、中学校のころは全国大会にだって出場した!


 なのに、どうして……


 どうしてこいつらは、いつも、わたしより注目を集めるの!?


 どうしてわたしより、悠人君に愛してもらえるの!!


「ダメよ!」


 だからわたしは、包丁の切っ先を四人に向ける。


「悠人君は、誰にも渡さない! 悠人君はわたしだけのものなのよ!」


 そんなわたしに──


 ──奈々海は、小さく微笑んだ。


「だから、あなたに譲るよ」


 不意にそんなことを言われて、わたしはますます混乱する。


「譲るって、何をよ!」


「正妻の座、といえばいいかな?」


「………………は?」


「つまり悠人との結婚はあなたに譲る、って言ってるんだよ」


「な………………?」


 わたしの疑問をよそに、奈々海は他の面子を見た。


「ねぇみんな、いいでしょ? 悠人と結婚するのは恵。その上で、恵一人じゃ面倒見切れないを、全員で面倒見るの」


 すると莉音は、満面の笑顔になる。


「もちろんいいよ! わたしはお兄ちゃんの妹だもん! もとから結婚には興味ないし! ずっと一緒にいられればそれでいいの!」


 しおりは小さく頷く。


「と、当然ですよね……わたしなんかが、悠人さんと結婚なんて畏れ多いですし……優秀な恵さんとが当然だと思います……」


 エリナは苦々しそうに視線を逸らした。


「わたしは反対よ! でも……そうなると、悠人とわたしは不倫関係になるわけで……ふふ……わ、悪くないわね……」


 やっぱり、エリナは一番どうかしていると思う。


 というかそれ以上にどうかしている奈々海が、その憎たらしいほどに大きな胸を張ってわたしに向いた。


「どうよ! これであなたの独占欲も、少しは満たされるでしょ!」


「………………」


 わたしはしばし呆然とする。


「あなたたちは……それでいいの……わたしに、殺されそうになったというのに」


 わたしは包丁を一瞬見つめ、そして雨でぬかるむ地面に視線を落とした。


 そんなわたしに、奈々海が答えてくる。


「まぁ本当は悔しいけど、わたしはお姉ちゃんだし。恵とだって長い付き合いだから、もう妹みたいなものだしね。ワガママな妹には、お姉ちゃん、甘いのよ」


「…………そう」


「でもだからといって、悠人を身体的に独占するのはナシだからね。これまで通り、わたしたちが側にいることを認めること。そうしないと支援しないからね!」


「………………」


 感謝する気はない。


 むしろ、何か裏があるんじゃないかと疑ってしまう。


 でもわたしのほうだって長い付き合いだ。奈々海達が、嘘をついているようには見えない。


 それに、みんなで悠人を囲い込む方向が固まれば、わたしが正妻の立場を得たうえで、ラクな暮らしも手に入るのだ。


 そう思うと、もはや刃を握り続ける必要はなかった。


 雨で冷えた指先が痛いほどだが、ゆっくりと包丁を地面に置いて、後ろへ足で押しやる。


「分かったわ……でも、結婚の話は必ず守ってもらいますからね」


「もちろんだよ」


「っていうかちょっと待て!?」


 話がまとまり掛けたところで、悠人君が慌てふためいて言ってくる。


「オレ自身のことなのに、なに勝手に話を進めてるんだ!?」


 まったく悠人君は……


 まだそんなことを言っているの?


 わたしが呆れていたら、奈々海がにこやかに言っていた。


「あはは〜。悠人、あなたまだ、自分に選択肢があるとでも思っているの?」


「な、なんだと!?」


 さらに莉音も、怖いくらいの笑顔を悠人に向ける。


「そうだよお兄ちゃん! わたしたちから逃げられるなんて思わないことだね!」


「……!?」


 確かに、追跡能力と盗撮盗聴能力があるあの子達から逃げるのは困難だろう。


 そこでしおりは、また泣きそうな顔で悠人に言った。


「ゆ、悠人さん! わたしたちから逃げるつもりだったんですか!? そ、そんなわけ、ありませんよね……うふふ……」


 しかもしおりの蒐集癖は、悠人の痕跡を見つける能力に直結する。つまり仮に悠人が逃げられたとしても、名探偵のごとく悠人を見つけるかもしれない。


 そんなことを考えていたら、エリナが悠人を指差した。


「もう観念しなさい悠人! あなたは、わたしたちから逃れられない運命なのよ! どうしても逃げたいというのなら、その足でわたしを踏んづけて……いえ超えてみせなさい!」


「もはや変態を隠す気もないなお前は!?」


 そうして悠人君は、わたしに視線を向ける。


「い、言っておくが! 本人の合意なく結婚なんて出来ないんだからな!?」


「へぇ……そうですか」


 そうしてわたしは笑顔になる。


 いつものように、満面の笑顔に。


「悠人君は、このわたしとの結婚に合意しないというのですね? このわたし相手に、あくまでも突っぱねると。へぇ……そうなんですね……」


 そうしてわたしは、笑顔のまま、地面に置いた包丁に視線を向ける。


 それだけで──


 ──悠人君は、尻もちをつくのだった。



(エピローグにつづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る