8月編6話 私のダイアリー ②


▶︎▶︎  及寿美のすみ町 ファストフード店内


 私たちは、ファストフード店の小さなテーブルいっぱいに横須賀よこすかの観光マップを広げ、観音崎かんのんざきまでの行き方、そして、目的の黄色いステンドグラスの女神がある教会の場所などを調べていた。


 アニは勢いよくチーズバーガーにかぶりつきながら、しげしげとマップを眺めていた。


 私もつられてフライドポテトを少しだけつまむ。


「……うーん何しろ、じいちゃんに連れられてこの教会まで行ったのが10年前だからな。電車に乗ったのは覚えているけど、その後の記憶がちょっとなぁ……」


 アニは、コーラのストローを噛みながら眉を寄せ、遠い記憶を辿ろうとしていた。


「そうだよね……このマップを見ると観音崎に最寄もよりの駅がないから、多分京急線けいきゅうせんとバスなのかなぁ──」


 駅から観音崎までバスのルートをなぞっていた私の指が、ふとある地名で止まった。【走水神社はしりみずじんじゃ】というバス停の名前が目に飛び込んできて、思わず息を呑む。


 走水──母が関わる、例の白衣集団のラボ施設がある場所。


 観音崎と走水は、思った以上に近かった……


 ふとアニが、目ざとく私の表情に気付く。


「ん……?どうした?目が怖いけど」


「あ、なんでもないの。それで、肝心の教会だけど……観音崎のどこにあるのかわからないのでしょ?」


「そう、そこなんだよな。……灯台の横を通って、砲台跡みたいなのを2つくらい見たのは覚えているんだけどね」


「そうかぁ……この観光マップにも書いてないし、他に何か、横須賀の資料とかで調べたら良いのかなぁ」


「じゃ、またポラリスに行くか」


「あ……確か今日は、ポラリスは休館日だよ」


 アニはちょっとがっかりした様子でフライドポテトをひとつ口に放り込む。


「そっか、うーん、じゃ……学校の図書室か?」


「夏休みで空いてないよ。そもそも学校の図書館にそこまでの資料はないかもだよね……」


「うーん、そっか……でもまぁ、まだ約束の日までには時間あるからな」


 そう言って、アニはコーラを飲み干すと立ち上がる。


「悪い、ちょっとトイレ行ってくる」


「あ、うん」


 彼はひらひらと手を振って店の奥へと歩いていった。


 私はその後ろ姿をぼんやりと目で追う。


 歩くたびにぴょこんと跳ねる寝癖が、なんだか小動物みたいで可笑しかった。


 その時。


「つばめちゃん……?」


 不意に名前を呼ばれて振り返る。


 そこに立っていたのは──美術部副部長の藤倉綾乃ふじくらあやのだった。


「あ……綾乃先輩…!」


 驚いて声が裏返る。彼女と会うのは、消えたダビデ像事件の時以来だろうか?


 肩までのつややかな黒髪をひとつに結んだ綾乃は、アニが座っていた向かいの椅子にひょいと腰掛ける。


 そして、頬杖をつきながらニコリと笑った。


「久しぶり。──デート、楽しそうね」


 その言葉に、私は思わず頬を赤く染める。


「で、デート?!ち、ちがいますっ、今日は、えっと……探偵部の打ち合わせで……その……っ」


「ふぅん。打ち合わせね、そうなんだ。さっきから2人、とっても良い感じに見えるけどなぁ」


 綾乃はからかうように笑いながら、テーブルに広げた観音崎の観光マップに目を落とす。


 そして、私の目をじっと見て、優しく呟いた。


「……短い間に良い表情になったね。……良かった」


 私は言葉に詰まり、照れ隠しに質問を返した。


「え?あ、そうですか?せ、先輩は……どうしてここに?」


 綾乃は小さく唇を歪め、小悪魔っぽく笑った。


「つばめちゃんたちと同じ。……美術部の部長と、打ち合わせよ」


「あ……!」


 見ると、窓際の席に、立花悠真たちばなゆうまが座っていた。


 ダビデ像事件の時、あらぬ疑いを掛けられながらも沈黙を守り通した、綾乃いわく不器用で真っ直ぐな男。


 通称、沈黙の立花……


 その立花が、柔らかく微笑んで私に小さく手を振った。あの、無口で無愛想な彼が。


「……!」


 私が目を丸くしながら手を振り返していると、綾乃がアニのポテトをひょいと1本つまみながら言った。


「……やっぱり、悠真とつばめちゃんは似ているんだよね」


「え……?」


「ダビデ像事件の後もね、悠真、色々言われたのよ……無責任な人たちに。今も不器用で真っ直ぐ。でもね、彼、何か変わったと思わない?」


「うん。少し……いや、凄く変わった気がします」


「でしょ?……あの沈黙の立花がね、最近はよく笑うしよく喋るのよ。別人みたいに」


 綾乃はふふっと幸せそうに笑い、私の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥にある温かい何かが、胸にじんと沁みた。


「我ながら思うの……信じて支えてくれる人がいることで、人はこんなに変われるんだなって。……ううん、変わったんじゃない、本当の自分に戻れたんだよね」


 そう言って、綾乃はポテトをもう一本つまみ上げ──不意に、私の口に放り込んできた。


「んっ……?!」


「ふふ、つばめちゃんのその表情!2人のポテトのやり取りがすごく楽しそうでさ、さっきからずっと見てたんだ」


「えっ、さっきからって……ポテトから?!」


 あたふたしている私の視界の隅に、こちらへ戻ってくるアニの姿が見えた。


 それに気付いた綾乃は、すっと立ち上がる。


「それじゃ、私も悠真の口にポテトを入れてこようっと」


 そう言って、私にウインクして見せる。


「お互い、デート楽しもうね。そんな良い表情にしてくれる彼に巡り遇えたこと、それこそ奇跡なんだから……」


 軽やかな笑みを残して、立花悠真の元へ戻っていく綾乃の背中を、私はしばらく見つめていた。


 悠真先輩も変わったけど、綾乃先輩も変わったな……


 2人の姿が窓からの光に縁取られてキラキラと輝くるのを眺めながら、私はそっと呟く。


「……そうだ、奇跡……奇跡の出会いだよ……」


 そこへ、


「──お待たせ。どうしたんだ?」


 その声に振り向くと、アニが目の前に立っていた。 首を傾げた彼の寝癖がピョコンと揺れる。


 私は思わず吹き出す。同時に、胸の奥に温かいものが溢れる。


「ちょっと、また何を笑ってるんだよ」


 そう言って腰掛けるなり、アニは再びフライドポテトを3本まとめてつまみ、私の口元に差し出した。


 悪戯いたずらっぽい眼差しが、眼鏡越しにキラキラと眩しかった。


 私は慌てて何度か瞬きを繰り返す。そして咄嗟に差し出されたポテトをつまむと、彼の口にねじ込んだ。


「わっ!!ふぐっ」


「ふふっ、お返し!……美味しい?」


 目を白黒させながら、顔を赤らめて頷くアニを、私はアイスティーのストロー越しにこっそりと見つめる。


 店内の喧騒けんそうが遠ざかる。この一瞬、他の誰もこの世界にはいない、誰も入れない。


──ここは、私たち2人だけのための、奇跡の空間だった。

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