6月編
6月編1話 俺のダイアリー ①
▶︎▶︎
関東地方に梅雨入り宣言が出された。まぁそれは仕方ないのだがそれ以来、まぁホントに馬鹿正直に毎日雨が降るもんだ。
──俺は中間テストの数学の解答用紙をさっさと埋め終わると、窓際の特権を活かして、一面
腕時計を見るとテスト終了まであと15分。
『なんて言うか、完璧じゃないか』
近所のカッコ良い図書館、名前はえっと何だったか? そうそう「ポラリス」だ。
あそこでアイツとテスト対策に励んだ数日間のおかげか?どの教科にも十分な手ごたえを感じている。
ハードボイルドに欠かせないものはまずは勇気だが、同時に自然とにじみ出る知識や教養は必須なのだ。
このぐらいのテストでつまずくようじゃ、命がいくつあっても足りないというものだ。
アイツも──普段は無愛想と言うか表情が
しかも最近は、真実を見極める俺の熱い魂が少し移ったのか、時々……少し。うん、何て言うか……良い表情を見せるようになった。
俺は頬杖をつき、一週間前の「ポラリス」でのことを思い返す──
──テスト対策の息抜きにアイツと一緒にベランダに出ようとした俺は、最近お気に入りの缶コーヒーが目の前の自販機にあるのを発見したのだ。
その秀逸なラベルが俺の心を揺さぶるハードボイルド仕様だ。その名も「ダンディコーヒー」。
俺は間髪入れずにお金を投入し、購入ボタンを押そうとした。
──その時。
「……」
ベランダの手すりに寄りかかって大きく伸びをするアイツの姿が目に入った。
風になびく柔らかそうな肩までの黒髪とセーラー服の紺色のスカート。そして、何とも言えないあの女神のような表情……まるで何かから解放されたような……なんて言えば良いのか?
──そう、輝いていた。
不覚にも時間が止まってしまい、俺はしばらく彼女に魅入られてしまった。そして、指先が何かに触れた。
ガラガラガシャン。
自販機の缶が落ちる音。
「あ……」
取り出してみるとそれはダンディーコーヒーには程遠い、ロマンチックな花柄のジャスミン茶だった。
「──押し間違えたか、俺としたことが……」
俺は苦笑いし、缶の花柄をしばらく眺める。
……カッコ良いコードネームも考えてくれたしな……
俺はアイツの方に向き直り、名前を呼ぼうとした声を飲み込んだ。
「っと……」
彼女はベランダの手すりに背をあずけ、携帯でメールを見ているようだった。
うん?なんだろう?
何故かその姿を見ていると、モヤモヤした気持ちが湧いてくる。
メールの主は誰なんだ?
どんな事が書いてある?
メールの主とは……どんな関係なんだろう?
ふと、彼女の顔を見た。心なしか表情に影が差し、先ほどの女神のようなオーラはすっかりと消えている。
代わりに彼女はまるで何かに怯えているようだった。
痛っ……!
俺の胸にズキンと痛みが走った。
なんだこれは──?
──その時。テスト終了のチャイムが校内に鳴り響き、俺の回想が中断された。
「おっと、俺としたことが……」
教室は一斉に安堵と後悔の声と叫びであふれかえる。担任の
「さて、これで思う存分にハードボイルドの世界に浸れる。待っていろよ!消えたダビデ像……!!」
俺は大きく伸びをした後、テストの回収係の
その時、渡した解答用紙から何かがひらりと落ちた。
「あ?」
俺は床に落ちた何かを凝視する。
そこには……未記入の【もう一枚】の解答用紙が落ちていた。
「えぇ?」
驚愕する俺。嶋咲は水泳部で鍛えたその逆三角形ボディーをそびやかしてポンと俺の肩を叩き、床の解答用紙を拾う。
「お気の毒、ハンパボイルドくん」
真面目くさった顔でVサインの挨拶を返し、奴は呆然と立ち尽くす俺の元から去って行った。
▶︎▶︎ 及寿美高校 体育館キャットウォーク
──降り続く雨が窓に当たり、時折パラパラと乾いた音を立てている。
3種のバケツに溜まりつつある雨水に雨漏りの
時計を見ると正午過ぎ。微かにカビ臭い体育館2階のキャットウォーク。ここも今日は俺好みのブルーがかったグレーの世界だ。
その中に際立つ鮮やかな赤いフレームの眼鏡をかけたアイツと、俺は今日の【解答用紙のトリック】について話し合っていた。
「だって、アニ……解答用紙は3枚あるからって、テストが始まる前に言われなかった?」
アイツは持ちづらそうなハムレタスサンドを器用に口に運びながら、少し呆れ顔で俺を見る。
「うーん、記憶にないなぁ……」
「どこのクラスでも言っているはずだよ、それに3枚目って2枚目にくっついていたの?」
「それなんだよ、巧妙なトリックでさすがの俺もさ……」
──俺はコーヒー牛乳の入った紙パックにストローを刺す。一口吸い込み、ストローを咥えたまま力なく体育館の天井を見上げる。
天井の鉄筋の隙間には、誰がやったのか知らないが、バレーボールが3個芸術的に挟まっていた。これは絶対に意図的だ。
「──数学の対策、せっかくポラリスで念入りにやったのにね……」
「だよなぁ、お前は大丈夫だったのか?」
「うん、まぁ大丈夫だと思うけど……」
「なんだ、あまり自信なさげだな」
「──そう見える?」
「そうだな、お前も俺みたいに変なトリックに引っかかったような顔に見えるけどな」
俺の言葉に、サンドイッチを噛んでいたアイツはプッと吹き出し、軽く咳き込んだ。
机に置いてあったハンカチで口を押さえ、息を整えると、自分のコーヒー牛乳を急いで口に運ぶ。
「もう、それってどんな顔なの」
「まぁ少なくとも、テストの結果が楽しみ♪って顔じゃないよな」
アイツは俺の言葉に素直に納得したようだ。サンドイッチが入っていた袋を丁寧に畳んでテーブルに置いた。
「──アニの言う巧妙なトリックかは知らないけど、ヤマが少しだけ外れたかなぁ……そこが少しね」
「お前、数学と英語と科学は特に力入ってたもんなぁ」
「まぁ、うん……」
「将来はそういう仕事を考えてるのか?」
「ん……」
アイツは数回瞬きをすると、
──確かにコイツは以前より表情が豊かになった気がする。子猫探しの時、そしてラムネの時もそうだった……
ただ、先日の「ポラリス」でメールを見ている時のような、時折見せるあの表情は、何なのだろう?
深い海の底を見つめるような、深淵の表情──俺たち10代という世代が本来絶対に作れないような──をアイツは時々見せる。
まるで全てを悟ったような、全てを諦めたような。
そんな、ある意味大人の顔が何かの時に現れるのを俺は見逃さない。
新学期から1ヶ月後という妙な時期に転校して来たコイツの家庭は、多分何かワケありなのだろう……
その時、アイツがふっと息を吐いた。薄く開いた唇から、かすかに吐息がこぼれる。
「……」
赤いフレームの眼鏡越しに映る瞳は、雨に濡れた窓の光を微かに映しながら、遙か遠くを見ている。
長いまつげが静かに伏せられ、指先が軽く牛乳パックをなぞる。
その仕草に……その、なんだ。気付くと俺はまた見惚れていたようだ。
そして──
痛っ……!
──また?
胸の奥がズキンと痛む。比喩でなく本当に痛いのだ。
おぃ何なんだ、この感じ……。
俺は正体のわからないまま痛む胸を押さえながら、ただ、アイツにかける言葉を探していた。
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