5月編7話 私のダイアリー
▶︎▶︎ 市立複合図書館「ポラリス」
「キミのコードネームはアニ」
先週の体育館2階のキャットウォーク、そこで思い付いた彼のコードネーム。
校則違反の現場を見つかりそうになり、焦った私たち2人はとっさに舞台奥に隠れて息を潜めた。
なんていうのか……あの時の、久しぶりに味わったスリルやドキドキ感。本当にいつ以来だろう?
一言で言うと、楽しかった。
高揚していた私は、彼と顔を見合わせた瞬間、心の内から自然に溢れ出た彼のイメージそのままのコードネームを告げた。
「アニ??アニって、どんな意味だよ?」
彼は突然の命名に驚いたように口をとがらせた。私は彼のイメージを言葉に訳す。
「いい?アニは頼り甲斐のあるアニキのアニ。頼れる探偵のボスだよ。我ながらそんな感じしない?」
私がもっともらしくそう言うと、彼は眼鏡を光らせ、腕を組んで何か考えていた。
頼れる探偵のボスならば本当はアニキなのだろうが、目の前の彼には、アニキと言う言葉が持つオーラが残念ながら今ひとつ足りない。
ただ私の中では、どちらかと言うと受け身な自分を良くも悪くも面白いどこかへ引っ張っていってくれる彼に、アニと言うコードネームはぴったりハマっていた。
彼は少しの間天井を見つめていたが、不意にキラキラした小学生のような目を私に向けた。
「──頼れる探偵のボスでアニか……うん、そうか。良いかもな」
難しいことを延々と話したかと思うと、驚くほど単純明快で即決なところもある。
彼はその簡単な私とのやり取りの中で、コードネームをいとも簡単に決めてしまった。
私はこういう自分の問題に関しての即決力がないので、その決断の早さに感心し、また尊敬もしてしまう。
この学校に来てから、いやアニと出会ってから3週間。彼はこの学校で、私の存在を証明してくれる人になりつつある。少なくとも私の中では。
──そこまで考えた時。携帯電話の着信音が部屋中に響き渡り、私の思考を中断した。
周りの人たちが一斉に私を見る。
焦った私は急いで携帯電話をバイブモードに切り替え、スカートのポケットに携帯を入れて全方向に謝罪のポーズをとる。
再び静寂が訪れた。聞こえるのは、微かな空調の音や本をめくる音、そして時々行き交う足音だけ。
──ここは学校からすぐ近くの市営図書館。中間テストまであと少しなので、ここ数日通いつめている。
学校にも図書室はあるのだが、古いし少々私語が多いしで、こちらを使っているのだが……
ここは落ち着いて勉強に集中できる居心地のいい大人の空間だ。1スペース毎に、計算し尽くされた優しい間接照明が周りを照らし出している。そして書籍の匂いがなんとも心地良い。
──その時、図書館中に能天気な声が響きわたった。
「あ、いたいた。おーい」
アニが入り口で無邪気に手を振っている。館内にいる人たちが一斉に彼を見、次に、手を振る先の私に視線が突き刺さる。
私は再び全方向に謝罪のポーズをとると、彼に向かい、黙って来て!とジェスチャーをする。
アニは何故か楽しそうに歩いて来て隣の席に座り、私の真似なのか謝罪のポーズをとる。
「遅れてごめんな、掃除当番でトラブルがあってさ」
「ここに15時半に集合って言ったのはアニだよ」
時間はすでに16時を回っている。門限を考えると、18時にはここを出なければいけないのに。
「いや、そのトラブルがさ。笑っちゃうんだけど……」
アニは必死で弁解しようとしている。しかし、そんな理由を聞いていて貴重な勉強時間を削るわけにはいかない。
「明日のお昼は焼きそばパンだね、それで遅刻の件は終わり。時間ないから早く勉強会しよ」
「え?明日はお前の当番だろ……」
言い合う私たちに周り中から咳払いの嵐が降り注ぐ。アニもさすがに周りを見回し黙りさ込んだ。
私はそんな彼を見て笑いを噛み殺し、真面目くさった顔を作ってひそひそ声で言う。
「──で、アニ。私がまず知りたいのは、この学校の出題傾向なんだけどね、古文の担当が同じ
「あぁ、ネルソンね。そうそうお前のクラスもそうだよな。1年の頃からあいつは結構引っかけ問題が好きでさ」
「え、ネルソン…?何そのあだ名?」
「ああ、あいつ、居眠りしてる生徒がいると『僕の授業で寝ると損しますよ~』ってニコニコして言うんだよ、ちょっと怖いよな。そんで、ネルソン」
「へぇぇ、うまいこと言うね」
「だろ?」
「……ってそれはいいから。ええと引っかけ問題?具体的にはどんな感じなの」
私たちはヒソヒソ声で、テスト対策をあれこれと話し合った。
転々と遊牧民族のような引っ越し生活が続く中で困るのは、各学校で教科書や授業の進め方が違うこと。
今回のように、5月初旬に転校してきて3週間で中間テストとなると、さすがに一から見直すのはとても無理だ。
もう、その学校の傾向と対策の情報を仕入れた上で最後はヤマをかけるしかない。
幸い今までは、この方法でヤマを当てて乗り切ってきた。
母は基本的に厳格だが、私のテストの成績に関しては他のことに輪をかけて厳しい。転校後すぐだろうがなんだろうが、数字を下げるわけにはいかない。
特に数学と英語、そして科学は……期待に応えないと……
私はシャープペンシルを机に置くといったん目を閉じ、全身で息をつく。それを見ていたアニが小声で
「どうした?勉強のしすぎで頭から煙が出てるみたいだぞ」
「うん、出てるかもね。しょうがないよ、前の学校と教科書違うし、4月の授業はここで受けてないから……頑張らないと」
「俺だったら、それを言い訳にするけどな……で、思いっきり遊ぶ」
私はアニの言葉に笑い出しそうになるのをこらえ、咳払いをする。
「……アニはいつも楽しそうで良いね」
「あ、今上げてるようで下げただろう?」
「そんなことないよ、アニの爪の
「爪の垢?」
「そう、時々ね」
アニは私の言葉を聞くと、キラリと眼鏡を光らせて自分の両爪をジッと見る。何か嫌な予感がし、手を伸ばして彼の手を遠ざける。
「いや、ホントには飲みたくないから。それ以上はやめてね」
「え?」
「え?じゃなくて」
「今、飲みたいって……」
「やめて、本当に」
「どっちなんだよ、煎じ方を真剣に考えちゃっただろ?」
「アニはもう、本当に……」
私は今度は我慢できなくなり笑い出してしまう。
すると再び、周囲から一斉に咳払いの集中砲火が……
私たちは首をすくめ、バツの悪い顔を見合わせる。
「ちょっと10分だけ休憩するか」
アニの言葉に、私は腕時計をちらりと見てから頷いて立ち上がった。
▶︎▶︎ 市立複合図書館「ポラリス」同階ベランダ
この図書館は5階構造になっていて、各フロアに休憩用の談話エリアが設置されている。
私たちのいたフロアの談話エリアにはベランダがあり、外の空気を吸えるようになっていた。
「ふぅ、やっぱり外の空気は気持ちいい」
私は思いっきり伸びをして深呼吸する。そして、ベランダの手すりにもたれて空を見上げる。
5月も下旬。空はどこまでも青く澄み渡り、吹き抜ける風にもまだ梅雨の気配は感じられない。白い雲がゆっくりと形を変えながら流れてゆく。
ふと先ほどの母からのメールを思い出す。
私は携帯電話を取り出すと、恐る恐るメールをチェックしてみる。
いつもの母からの定時連絡であった。
──早く帰りなさい──
「ふぅ……」
私は安堵と諦めの入り混じったため息をつく。
「──えっと、コーヒーとお茶はどっちが良い?」
その声に顔を上げると、アニが両手に飲み物の缶を持ってベランダの出入り口に立っていた。私は携帯をポケットにしまうと、迷わずお茶を指差す。
「ありがとう。ジャスミン茶が好き」
「ほら…!」
アニはジャスミン茶の缶を放る。私は慌てて、そのひんやりと冷たい感触を両手で受け止める。
「コーヒーは苦手?」
アニがチラリと私を見てからコーヒー缶のプルトップを開け、美味しそうに一口飲む。
「うん、苦いのは苦手……」
「そっか、ハードボイルドじゃないな」
「ご心配なく、ハードボイルド目指してないから」
私はすまして言うと缶のプルトップを開け、お茶を一口含む。口の中にジャスミンの香りが漂い、ホッと気持ちが落ち着く。
アニは私と同じように手すりを背にして空を眺める。
「早くテスト終わって探偵の世界に浸りたいなぁ」
「そうだね、消えたダビデ像事件もまだ未解決だもんね」
「それだよ!あんな大きい物が突然消えて、しかも目撃者もいない。あの事件には、大きな組織の影が見えるね!しかもだよ……」
頬を紅潮させ、メガネを光らせて隣で熱く語るアニを、私は何となしに眺める。
先ほどの試験対策の時も彼は楽しそうだったが、今の彼ときたらどうだろう?まるで瞳をキラキラさせた小学生。
『何かに夢中になれるって羨ましい……』
それに引き換え私はどうだろう?私には、趣味と呼べるものがない。時間を忘れて打ち込めるものが何もない。
強いて言うなら人間ウォッチングか?しかしあれは
先日の秘密のアジトの時のようなスリルやドキドキ感はない。心踊るようなものではないのだ。
繰り返す引っ越しの中で、母の期待に応えようと色々なものを諦めて来た。いや、諦めるしかなかった。
色々なものって……?そう、友だちとのあんなこと、こんなこと、忘れていた感覚、忘れようとしたあの気持ち。
あの気持ちが、アニのキラキラした表情を見ている今、再び呼び覚まされるのを感じる。
「……ちょっとだけなら、いいよね……」
せめて少しの間でも、終わってしまうとわかっていても今だけは……
私はジャスミン茶をもう一口飲み、風で乱れた髪を軽く整えながらアニを見る。
「──早くテストが終わると良いね」
アニもコーヒーを一口飲むと大きく頷き、
「テストが終わったら、お前のコードネームも決めないとな」
「そっか、コードネームか……」
「そっかじゃないよ、お前が提案したんだろう?」
「そうだね、私が提案したんだね」
「しっかりしてくれよ、お前に似合うやつを考えないとな」
口をとがらせムキになるアニを見て、私は思わず笑い出してしまう。
「うん、期待してるよ、頼りになる探偵のボスのアニ」
──つがいだろうか?空には
「
無意識に私の口からその言葉がこぼれた。
「え?何だそれ……?」
「……アニ、ネルソンの授業ちゃんと聞いてた?ここは試験に出ますよって念押ししてたよ」
「お、それはヤバイな!もう一度言ってみてくれよ」
「
「燕が?……えっと、メモメモ」
「……ウソ。これは試験に出たりしないよ」
「え?何だよソレ」
ぽかんとした顔で立ち尽くすアニに背を向けて、私はベランダの手すりに頬杖をつく。
「……」
アニも隣に並んで手すりにもたれ、空を見上げる。
──残り少ない
6月編1話 俺のダイアリー へ続く。
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