第2話 文司とカンザシ
「おはよう!」
突然、大きな声で背中から挨拶をされた。小春が店の中に帰ろうとしたときだ。小春は肩をびくっとさせて振り返った。
「お金を取りにきたよ」
声の主は、店の前の床几に勢いよく座った。腕を高い位置に組み、不機嫌そうに顔を歪めている。
「
彼も借金取りだ。
小春より四つ年上の十八歳で近所に住んでいる。手習いも一緒だったから、幼馴染といえばそうで、小春は軽く首をひねった。そして、奥に入ってお茶を淹れて戻ってきて、床几に座る文司にお茶を差し出した。
文司を幼い時から知っているが、こんなに怖い人だとは最近まで知らなかった。借金取りとなってから、鬼のような顔になって金を取りに来ている。わずかな救いは、文司は声こそ大きいが言葉遣いだけは乱暴ではなかった。朝に日替わりでやってくる借金取りたちは、若い侍が支払う百本の団子代を狙ってくるのだが、文司はそれを狙わず、気まぐれにやってきて金を迫り、「文司さん、きょうは来なければいいのに」と、小春はいつも思っていた。
「ぬるい!」
ちっ……と、文司は舌打ちをして、打ち水をするように湯飲みを逆さにして路上にお茶を捨てた。
小春はお盆を抱えて眉尻を下げて固まった。
「お金!」
文司は手のひらを広げて出した。
「さあ、お金を払って」
「すみません……」
「お か ね!」
文司はぐいぐい手をつき出した。だが、無い袖はふれない。先ほどやってきた借金取りに渡した四つの銭の束のほかに渡せる金は無かった。
店の前を通りかかった町娘の二人組が、文司を見てはにかんで笑顔を送った。その様子を小春は見た。文司は二枚目だから女性に人気があることを小春も知っている。
「助六みたいだ」
と、文司が言われているのを小春はよく聞くのだ。助六とは芝居に出てくる登場人物で、ケンカに強くて純情、意地っ張りでオシャレ。そういう設定で演じられる若者で、女性に大変な人気がある。
「お金!」
横に立って固まっている小春を、その二重の大きな瞳で文司が睨んだ。そういえば、芝居がかった流し目で小春を見て、女性に人気があるのもわかる気がした。鼻筋が通っていて、形の良い唇を持っている。
「うん?」
と言って、文司が手を伸ばして小春の頭に触れようとしてきた。小春は殴られると思って反射的に身を逸らした。
「そのカンザシ、君のじゃないだろ」
「カンザシ……?」
「どうしてそれを君が?」
「はい……」
文司も同じ団子屋だ。ただ、向こうは昔から繁盛していて文司は育ちが良い。借金取りなどうんざりだが、小春は文司の上品な物の言いは嫌いではなかった。ただ、今日は少し言葉遣いが乱暴。殴ろうとしたのではなく、小春のカンザシに触れようとしたようだ。
小春のカンザシは、銀スダレの中に小さなツバメが数羽飛んでいる凝った趣向のカンザシで、ツバメは青や黄色に着色されている。カンザシが動くたびに銀スダレも揺れて、スダレの中のツバメが生きているように踊って見える。借金で苦しむ団子屋の娘にしては良い物だった。
「姉さんから……」
「どういうこと?」
文司がまた腕を伸ばしてカンザシに触れようとしてきて、小春はしゃがんでその手を避けた。頭の上を文司の腕が風を切って通り過ぎる。
「おっ? 君って忍者? クノイチなの」
「ちがいます……」
「ふっ、知ってるよ」
文司が笑って、小春もその笑顔に安心してちょっぴりだけ笑った。文司は幼い時から知っていて、家族というわけではないが、慣れているために小春の表情は他の借金取りを前にするよりは柔らかくなっている。
「姉さんって綾さんから? まさか貰ったの?」
「……はい」
「嘘をつかないで。そんなわけないよね」
「あ、あの……」
「なに?」
「あの……あ……」
小春は顔を赤くして下を向いた。
文司は隣の
「そのカンザシ、綾さんに僕があげたものだよ。どうして君が使ってるの」
「姉さんに貰ったので……」
「勝手なことをしないで。君が使うなら返してもらうよ」
「でも……」
文司は小春のことを「君」と言った。「君」も「僕」も最近の若い侍を中心に流行している言葉だ。それが町人にも降りてきて、文司のような若い者が真似をしている。
「さあ返して。なぜ君が使ってるの」
「で、でも」
文司の手が届かないところに小春は下がり返さない意思を示した。大切そうにカンザシに手を添えて守る。
「姉さんに貰って、今は私のです」
「まったく」
文司はうつむき、額に手をやって溜息をした。そして、そのままだんだん姿勢が崩れて肩を揺すってうめき声を上げた。小春の姉に贈ったカンザシを、なぜか小春が使っている。その意味が文司にはわかったようだ。つまり、振られた。
「文司さん?」
心配して小春が文司の顔を覗き込むと、それは泣き真似だった。文司はにわかに復活して、近寄った小春の髪からカンザシを抜き取った。
「ふん」
文司は抜いたカンザシに鼻を寄せた。
「君の匂いしかしない。これっていつから使ってるの? 綾さんは家に戻って来たの?」
「か、かえしてください」
小春が手を伸ばすと、文司は床几から立ち上がった。右手を伸ばして天にカンザシをかざす。その姿勢が良い。着流しの文司だが、カンザシを高くかざす姿は何か強い意志があるものと誤解して、文司を好きな女性が居たら悲鳴を上げて喜ぶかもしれない。
「これはさぁ」
と、手を上げたまま、
「僕のもんなんだぜェ」
と、なぜか芝居調子で文司は言った。文司は役者のような二枚目というだけで、ただの団子屋だ。「助六さんみたい」と町娘に騒がれていて、小春の勝手な思い込みで芝居がかって見えてしまうのかもしれない。
「綾さんがさ、気に入らないならこれは返してもらうよ。君にはもったいない」
「そんな……」
「綾さんは今、家に居るの?」
「姉さんはまだ帰っていません。それに私、匂いなんかしません。毎日、お風呂に入ってますもん」
「そうなの」
文司は首を左右に振ってからカンザシの匂いを嗅いだ。小春は内心、首をひねった。ますます芝居がかって、わざとなのか、これが文司の癖なのか。
「やっぱり匂うなあ」
「それって、髪の香り油の匂いです。椿の匂いですよ」
「だから、それが君の匂いだよって言ってんの。こう言ったら悪いけど、安っぽい髪油の匂いだよ。子供の付けるやつ。このカンザシ、気に入ってんなら君にあげてもいい。子供の匂いが付いてケチがついた」
「本当ですか?」
四つしか違わないのに、文司は「子供」と小春のことを言った。文司はまだ十八歳だが、少し前に父親が亡くなって実家の池西町の団子屋を継いだから、使いっ走りの小春が子供に見えるのかもしれない。
「やっぱりやめた。こんなのはこうする」
「あ……っ!」
一瞬、喜んだ小春だが、その笑顔の花はすぐに萎れた。「えいっ」と、文司が言ってカンザシを折り曲げてしまったのだ。わっと小春が顔に両手を当てて泣いた。小春は自分の体が折り曲げられたくらいの衝撃を受けた。そして、小春がしばらく泣いてから文司を見ると、やり過ぎを反省したのか、必死にカンザシを元に戻そうとカンザシを伸ばしていた。
「ほら」
と、文司は小春にカンザシを持たせて、
「すまなかった」
と、謝ってきた。
小春が渡されたカンザシに瞳を近づけて見る。中央で歪んでいるが、なんとかカンザシとして使えそうだ。カンザシを両手で握った小春が横隔膜を痙攣させ、鼻をすすって文司を見つめる。
「さあ、それをやるから泣き止んで。そして、奥に行って綾さんを呼んできて。どんなカンザシがいいか本人に訊くから」
「……ひゃっ、くっ……姉さん、まだ帰ってません」
「まだ田舎で養生してるの? 病気は大丈夫? 遠くても様子を見にいってくる。場所はどこなの」
「あの、移るから……」
「親戚の家で臥せってるのは聞いたけど」
「はい」
「その親戚の人にだって移るかもしれないじゃないか。気を付けていれば大丈夫ってこと。そういうことでしょ。だから、僕もお見舞いに行ってくる。何か精の付くものを持って行ってあげるよ。早く元気になってもらいたいでしょ」
「はい……」
正しいことを文司は言っている。
しかし、それはできない。
このところ、同じような問答を二人は繰り返しているのだが、頑として小春は綾の居場所を言わなかった。
「まさか、危ないわけじゃないよね」
「大丈夫です。もう少しで良くなって帰ってきます」
「本当に?」
「はい」
「よし、じゃあ親父さんを呼んできて」
「お金……ですか?」
「呼んできて」
もちろん、この店先の二人の問答に久平も気付いているはずだが、いっこうに外に出てこない。もしかしたら久平は、小春が追い返すのを期待しているのかもしれない。ナカも奥に引っ込んで助けてくれないし、道の向こうを見ても、天水桶の影の伝八も助けてくれない。岡っ引きなどは、得にならないことには顔を出さないものだが。
「お金は、期限の日まで必ず返します」
小春はまじめな顔で言った。父親が外に出てこないから、自分が文司を追い返すしかしょうがない。
「まあね。貸した金は返して貰わないと」
「あと、
それが、文司の借金十両の返済期限だ。
「そうだけど、急にお金は用意できないでしょ。少しずつ返してもらわないとね」
「でも、あと三月……」
「言っておくけど、僕は僕の親父のように甘くはないよ。だから、今日はこの話をしに来たんだけど、心を鬼にして決めたんだ。今月から月に一両の金利を取ることにした。今まで金利なんて貰わなかったから別に構わないでしょ? さあ、今日は金利の一両だけでいい。それを払って。それを貰ったら帰るから」
「え……?」
小春は泣きそうな顔になった。それなら、借金が増えるということではないか。一両は大金だ。そんなものここにあるわけがない。団子を売ったお金はすぐに団子の材料費に消えてしまう。
「文司さん……。知ってると思いますけど、家にお金はないんです」
「だから金利だけだよ。今日は金利の一両だけでいいよ。さあ、出して」
「でも……」
「一両貰わないと帰れない」
なんとか三か月で十両を作ろうと思っていたのに、もっと金が必要なようだ。
父親の久平も中でこの会話を聞いているはずだが、やはり外に出てくる気配はない。久平は、いつも黙々と団子を作っている。朴訥で、浮世のことが苦手で、驚くべきことだが、まだ小春の方が社交性がある。
「お金はどうあっても返せない。なら、どうしたらいいと思う?」
「それは……」
小春は下を向いて黙った。実は、ここからが文司の話の本題なのだ。いつも同じことを最後に言う。
「ああするしか、やっぱりしょうがないよね。綾さんと僕が一緒になる。それがもう一番の方法だと思うんだよ」
そうすれば、借金をちゃらにするというのだ。
最初はもう少し物柔らかに「綾さんを嫁に貰いたいです」と、久平にお願いに来ていたのだが、久平は首を縦に振らない。それどころか、久平は文司を露骨に避けるようになって出てこなくなった。文司は十八歳ながら、すでに、あずま庵という団子屋を継いで独立している。独立したならば、店の切り盛りに嫁が必要なのかもしれない。と、小春なりに想像はしていた。
「何度も言ってるけどさ」
と、文司は顔をしかめて、
「与田屋へうちが貸した金は十両。借金を返せなければ店は僕が貰うよ。君たちは住む家が無くなる。無くなったらどうするの。それより、綾さんが僕と一緒になって借金が無くなる方がいいよね。夢のような話じゃないか。君の姉さんは幸せになる。借金はなくなる。ほかのところにしている借金は僕が返してもいい。すべての問題が解決するんだよ」
「でも……」
小春はどうしていいかわからず、そのまま文司の前で下を向いて固まってしまった。
「またそれか。君はさ、そうやって下を向いて黙っていれば済むと思ってない? そうだ。団子百本を買う侍はきょうも来たの?」
「……はい」
「気持ち悪い。あんなやつ来なければいいのに。あの侍、綾さんが目当てなんだぜ」
舌打ち交じりに文司が言った。
(そうかな?)
と、小春は思った。
あの若いお侍は、ナカが言うように、お役目で毎日のように団子を百本買い求めるのだ。どこで消費されているのかわからないが、団子が大好きな家庭があったとしても、毎日百本などを買うわけがない。裕福そうな人には見えないし、綾に恋心を抱いて来店するなら、もっと少ない団子を購入すればいいはずだ。
「あの侍、綾さんが居るかって、毎回しつこく聞いてくるでしょ?」
「たまに聞かれますけど毎回ではないです」
「でも、聞いてくるだろ」
「はい……」
たしかに、聞いてはくる。しかしそれは、今まで綾が店先に立っていたからだ。それが急に小春になって、挨拶代わりに聞いているだけだと小春は思った。
「綾さんは?」
と、あるとき若い侍に聞かれて、小春が返事もままならず、下を向いて蟻の数を数えるように地面を見ていたら、ナカが中から出てきて、
「病気で療養中だよ」
と、言ってくれた。
それを聞いた侍は、特に動揺する様子はなく、普通に団子を買い求め、その後も団子を求めにくる。綾と店先で長話に花を咲かせることもあったようだが、綾に特別な感情を抱いていれば、病気の心配くらいしてくれるのではないか。
小春が店先に立ってからも、変わらず若い侍は与田屋に通ってくれて、それどころか、前は数本しか団子を買い求めなかったのに、今では毎日のように百本の団子を購入してくれて、大得意の客になってくれた。綾が目当てなら、そういうことは起らないはずだ。それを、一生懸命に文司に伝えたら、
「あやしい」
と、文司は顎に手を当てて考え込む仕草をした。
「あの侍が百本の購入を止めたら、君の店はどうなるの」
「はい……」
小春は少し考えて、
「潰れます」
と、正確に答えた。
なにしろ、店の売り上げの半分は、あの若い侍が買う団子だ。急に来なくなったら潰れてしまうだろう。
「それがあいつの手なのさ。急に買うのを止めて、団子を百本を買ってほしかったら、綾さんを嫁に寄越せ。いつかそう言うよ」
「まさか」
小春は笑ってしまった。
文司は真顔で冗談ではないようだが、毎日団子を百本求めて、綾が欲しいばかりにそういう手の込んだことをするだろうか。それに、相手は侍だ。若い侍の身分は服装からして高くはなく、それならば町人出身の娘とも吊り合う可能性があるにはあるが、あの若い侍は綾に特別な関心があるようには思えない。近頃は団子を買い求めに来ても、綾のことなどまったく聞いてこない。
「まあいいや。僕は帰るから一両出して」
また、文司は手のひらを差し出してきたが、出せる金などはない。小春は返す言葉もなくなって、頭を下げた姿勢のままでいたら、
「まずい団子屋なんか辞めちまえばいいんだ」
と、文司は吐き捨てるように言って、ようやく帰っていった。
文司は店の前にずいぶんと居座っていて、気づけば早朝とはもう言えない時間で人通りが多くなっている。文司の背中が人ごみに紛れて小さくなり、文司の青い着物が太陽の明かりを反射して目立っている。
「あっ」
小春は大空を見た。
黒い雲はいつの間にかまばらになり、雲の隙間から太陽が顔を見せていた。
若い侍の言ったように天気が回復したのだ。
店の向こう側を見れば、天水桶の影に居た横の伝八の角ばった顔はない。いつの間にか消えていて、これでよくやく団子を売ることに集中できる。小春は、やれやれ……。と思って肩で大きく溜息を落とした。
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