二人だけの穴

「お願いがあるんだけど……」

 授業が終わり荷物を纏めていると、同じクラスの四ノ宮カオリが話しかけて来た。

 一緒に風紀委員をやることになってまだ二ヵ月ほど。委員を通して会話はすれど、個人的に話し掛けられたのはこれが初めてだった。

「どうした?」

「ピアスを開けて欲しくって」

「……は?」

 毛量の多い黒髪は肩の上でわずかにうねっているが、全体的に艶やかでストンとまとまっている。前髪が長く目が隠れているが、前髪の長さについては校則には載っていない。膝下までの長いスカートも規定に則っており、リボンもしっかり学校指定のものだ。もちろんアクセサリーもしていない。少し丸まった背中も相まって若干おしゃれっ気が無いとも言える。

 その四ノ宮がピアス?

 教室にはまだ二三人生徒が残っているが、こちらに注目している人はいない。今の彼女の発言は誰にも聞かれていなかった。

「どうしていきなり……いいのか風紀委員」

「風紀委員の先輩でも何人か開けてるのを見てね。だから大丈夫だろうなって」

「でもどうして俺?」

「風紀委員だから内緒にしてほしくて」

 共犯にしようって事か。四ノ宮カオリ、見た目に寄らずなかなか強かである。

「別にそんなん目くじら立てないよ。告げ口もしない。だから勝手に開けなよ」

「でも自分だと見えないからさ。やってもらいたいんだ」

「友達にやってもらえば?」

「……」

 途端に黙り込む四ノ宮。そういえばこいつは休み時間も一人で読書をしていることが多かった。放課後に友人と一緒に帰っている姿も見たことが無い。というか、誰かと喋っているところを見たことが無い。彼女が喋った場面を思い出そうとすると、全て風紀委員の仕事上の会話であった。つまり、俺と以外喋っているところを見たことが無いのだ。どうやら地雷を勢いよく踏み抜いてしまったようである。

「わかった、わかった。ピアス開ければいいんだな!」

 気まずい空気を払わんと明るく言うと、四ノ宮の表情もパッと明るくなった。

「うん……!」


 屋上に続く閉め切られた扉の前。

 雑然と並べられていた予備の机と椅子の一つに四ノ宮が座った。

「……こんな埃っぽい所でいいのか……?」

「うん」

 一応、見られないようにさ。

 そう言って自分の髪を掻き上げる四ノ宮。普段は見えない首筋と耳が露わになる。わずかに赤みがかっているのは、階段を上って来たせいか。

 受け取ったピアッサーを当てると、四ノ宮が唾を飲み込むのが見えた。

 ピアスを開けるのは一瞬だ。予め印がつけられた耳たぶに針を当て、ピアッサーを握るだけ。

「お願いします」

「わかった」

 バチン。

「んうぅ……」

 四ノ宮が震えと共に微かな吐息を漏らす。

 その瞬間、あ、と思った。

 心臓が跳ねあがったあと着地に失敗する。潰れたトマトのように冷たい血を垂れ流す。

 何も考えずに協力してしまったが、ピアスを開けるというのはそんな簡単な事では無いのではないか。四ノ宮の耳たぶに、穴が出来た。一生塞がらない傷が今開いたのだ。

 心臓がじわじわと鼓動を速くしていく。

 視線の先には、小さくて白いクリスタルがあしらわれたファーストピアス。

「へ、へへ……」

 四ノ宮は行儀よく椅子に座っている。耳の周りを擦りながら、漏れ出る笑いをこらえている。

「三上君」

 俺の手からピアッサーを取る時に、四ノ宮は数秒、俺の手に触れたまま動かなかった。

「これからも風紀委員、よろしくね」

 そうして四ノ宮はふわりと匂いを撒き散らすように階段を降りて行った。俺はその後姿から目を離せない。

 心臓の鼓動が、収まってくれなかった。

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