私、大安売りっ!

「安いよ安いよ」

 昇降口で上履きからローファーに履き替えていると、幼馴染のカヅキが腰を落としてじりじりと近づいて来た。ほんのり明るい短めのポニーテールとスカートから伸びる白い足。紛れも無い女子高生のはずだがしかし、その構えは野生のタヌキを捕獲する老婆にそっくりである。気持ち悪いのと怖いのとちょうど半分くらいだ。やや気持ち悪いが勝つ。一体何が安いと言うのだろうか。あの時一緒にテレビで見たタヌキの命は確かに安かった。あまりに芸術的な編集により、暴れ回っていたタヌキが五秒で鍋になっていた。

 今の俺の状況は、そのタヌキに酷似している。

「どうすればいい」

「へ?」

「どうすればお前に殺されずに済む」

「そんな事言ってないんだけど……」

「……じゃあ何?」

「何って、わからないのっ?」

 今日の私! と言うと彼女は無い胸をムンと張る。腰がバキボキ音を立てる。

「……凄く体が固い」

「ち~が~う! 今日は私の誕生日イブでしょ?」

「誕生日ってイブあんの?」

「あるでしょ! 全ての前日はイブと名乗っていいんだよ!」

 期末試験イブとかあるじゃん、と怒っているが、そんなもんは初めて聞いた。期末試験イブなんて意識したら胃がいくつあったって足りやしない。

 カヅキはそこそこ頭が良いものだからそれを拗らせてしまい、期末試験が楽しみになっているという変態である。クリスマスと期末試験の区別もつかない阿呆だが、教師の評価は概ね優等生という事になっている。

 大人から見える面なんてほんの一部だ。氷山の下には類い稀なるトンチキが溢れているというのに。

「それで誕生日イブだと何が安いんだ?」

 毎年プレゼントを強要されてもう高校二年になるが、俺は既にプレゼントを買っている。今年のプレゼントは二ヵ月前から欲しい欲しいと仄めかされていたイヤリングだ。店員さんと一緒に二時間も掛けて選んだ逸品である。

 中学一年の時に周囲の目が気になり、一度プレゼントを渡さないで済まそうとした年があったのだが、泣きながら放たれた回し蹴りに鳩尾を貫かれて以来、絶対に忘れないと心に決めている。しかしイヤリングの良し悪しなどわからないから選ぶのが大変だった。今は丁寧にラッピングして、家の抽斗の中である。だから、今日することは何も無い。

「誕生日当日は私は主役になるじゃない?」

「まぁそうだな」

「だから、私が牛乳を飲みたいって言ったら、リツト君が取って来たりしてくれるわけよ」

「まぁそうだな」

「逆に明日、私はいくら言われても冷蔵庫から何かを取ってきたりしない! ソファに寝転がって映画を見る」

「まぁそうだな」

 こいつはいつも誕生日にポップコーンを山盛りに作って映画を見る。

「つまり! 私を明日動かすにはとてもコストが掛かる! 時給が高い!」

「動かなきゃいいじゃん。てかいつもぐうたらしてるだろ」

「違うってもぉ! だから今日は明日から見ると安いって言ってんの! だから今日なら私を使い放題だよって!」

「使い放題って言ってもなぁ~」

 正直に言ってカヅキは勉強以外はポンコツのポコである。よくこうして俺に何かを指示させたがる節があるが、試しに焼きそばパンを買って来いと言ってみると、五分後に買って帰って来たのはカルピスだった。何か違う物を買ってくるかもしれないなと覚悟していたが、まさか液体を掲げて誇らしげに走って来るとは夢にも思わなかった。せめて固形物にして欲しい。他にも卵焼きを作らせてみたら、真っ黒になった事もある。焦がすのはいいが、何故全てが漆黒に染まるまで見つめ続けていたのかわからない。恐怖を感じる。普通は焦げ臭くなったら火を止めるものでは? 備長炭職人にでも目覚めたのかと思った。実際、表情は真剣そのもので、職人にも負けてはいなかった。職人に怒られればいいと思った。

「遠慮しておこうかな」

「ええええ! どうして、ど~して!」

 出口へと向かう俺の腰にカヅキの腕が巻き付く。ベルトに親指を引っ掛けていて、ちょっとやそっとじゃ離れない。そのまま無理矢理歩いていると、花の女子高生とは思えない逞しい低音で「うおお」と出口扉に足を引っ掛けて抵抗している。何が彼女をそこまで駆り立てるのか。もう帰れよ。そうか、帰らせればいいんだ! 今日こいつは安いのだから。

「わかった! わかったから離せ!」

「本当? これで帰ったら怒るからね。明日パンチだからね」

 カヅキのパンチはポカポカと女の子がよくふざけてやるじゃれついたパンチではない。ドラクエⅥに出てくるハッサンというキャラクターの正拳突きを知っているだろうか。腰を深く落とし、ドラゴンなどを一撃で粉砕するアレである。マジでアレなのである。

 腕を離されたので、一度落ち着いてズボンを上げる。もうあと一息でわいせつ罪というところまで下がっていた。

 カヅキは不安気に俺を見ているが、どちらかと言うとお前は捕食者であって、その表情は俺に相応しい。しばらく俺がベルトを締め直すのを待っていて「何だか面倒くさいねベルトって」とか宣っているが、面倒くさくした張本人は黙っておけ。

 俺が逃げなかった事で若干機嫌を良くした(俺はこういう時、結構逃げる)カヅキは、期待に満ちた目で俺の目を見つめている。何故こいつはこんなにも俺に指示を出させたがるのだろうか。

「え~、今日は誕生日イブだということで。安いカヅキさんにお願いがありまして」

「はい何ですかね。仕方ないですね」

「一人で家に帰れ」

「やだ!」

 何なんだよコイツ! 言う事聞けよ! 安いんじゃねぇのかよ!

 もう付き合ってられん! 断られたそのまま、俺は踵を返して出口へとダッシュする。そして下がって来たズボンに引っ掛かって盛大にずっこける。いつの間にかベルトが抜かれていた。振り向くと、ベルトを手に誇らしげな悪魔の姿。どういう芸当? 手品師か何かか?

 カヅキは駆け寄ってくるとそのまま俺のズボンの裾を引っ張ってぶらぶらと揺らす。

「やめろお前、脱げるだろ馬鹿! や~め~ろ!」

「じゃあ帰れとか言わない?」

「言わない言わない!」

「じゃあ今日泊れって言って! おばさんのオムライス食べろって言って!」

「はぁ? 何で急に?」

「だって最近泊ってないし! 私は別に泊まりたくないけど、リツト君がどうしてもって言うなら言う事聞くしかないなって思うなぁ!」

 自分からは積極的に懇願しない恥じらいを持った乙女のようなことを言っているが、この間も俺のズボンの裾を持って、台風が直撃したこいのぼりのようにバンバカ振っている。下手をすると俺の膝の関節が増える。台詞と光景が合っていない。こういうのはお願いとか駆け引きとは言わない。脅迫と言う。

「わかった! わかった! 今日来い! うち泊まれ! 泊ってくれ!」

 ええ~? と途端に頬に手を当ててニコニコ笑い出すカヅキ。急に離されたので俺の両膝は地面に叩きつけられる。とても痛い。

「そこまで言われると断れないなぁ~。でも今日の私は安いからね、仕方ないね!」

 ルン、と効果音が付きそうな足取りで、カヅキは昇降口から飛び出す。

 まだ傾き始めたばかりの太陽がカヅキを照らす。ご機嫌な彼女には太陽がよく似合う。髪に天使の輪が出来ていた。悪魔でも天使の輪は出来るらしい。

「早く行こうよ!」

 むやみに拳を突き上げている。

 俺はズボンが脱げた状態でそれを見ている。

「わかったからベルト返せ」

 何が安い日だ。

 一番高いじゃねぇか。

 だけどクリスマスもイブの方が金使うこと多いな。

 そんなどうでもいい事を考えながら、ズボンの砂を払った。

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