七色ウンコ


 二日ぶりの快便に気分を良くして、我が成果を覗くべく便器に目を向けると、そこには七色の物体があった。

 便器の中にあるという事は、俺の尻から出た物で間違いないはず。

 しかし、俺が知っている色ではない。

 少しカーブを描いて横たわるそれは、左から赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、と等間隔で綺麗に色分けされている。

 俺は昨日と一昨日食べた物を咄嗟に思い出してみたが、心当たりは全くなかった。そもそも色合いがとてもビビットで、食べ物の色とは思えないのだ。例えば青色なんて、今日の空よりも爽やかな青をしている。

 俺はスマホを取り出して、『ウンコ 七色』『大便 七色』などと思いつくワードを検索してみる。しかし検索結果で出てくるのは、手塚治虫の七色インコか、子供向けの絵本かそれくらいだった。

 救急車を呼ぶか? いや、別に腹が痛くなったわけではないし、むしろ調子はかなり良い。かといってこのまま見なかったことにするには強烈過ぎる。

 その時俺は、#7119という電話番号がある事を思い出した。救急を呼ぶかどうか判断が付かない病状を相談できるダイアルだ。消防署の壁にポスターで宣伝されているのを見た時は、いったいどのタイミングで使えばいいのか想像がつかなかったが、今こそ使うべきだと思った。こんなにどうすればいいかわからない事も無い。

『はい、救急相談センターです』

「あの、ちょっと排泄物がおかしくてですね」

『本人ですか? ご家族ですか?』

「本人です」

『排泄物というと大きい方ですか? 小さい方ですか?』

「大きい方です」

『腹痛などは?』

「ありません」

『なるほど……それではどのような症状でしょうか。血便などですか?』

「血便……血便かと言われれば、一部血便……みたいな?」

『……詳しく説明出来ますか?』

「はい。あの、赤い便は出ているんですけど、それだけじゃなくて。緑色とか、青色とかも混ざっていて」

『……はい』

「七色なんですよね」

『マーブル模様みたいな?』

「いえ、色ごとに順番に。理科の教科書みたいになっています」

『大便の話ですよね? ウンチの話をしてます?』

「はい。ウンチの話をしてます」

『ウンチが理科の教科書の様だ、とおっしゃっていますか?』

「はい。可視光を説明する図のページがそのまま便器に」

『詳細はいりません』

「はい」

 頓珍漢な英会話を翻訳したような文章が続く。電話の向こうの相手は苛立ったように小さく溜息を吐いた。こちらだって好きこのんでこんな日本語を言い放っているわけではないのだ。必死なのだ。

『失礼ですが、おいくつですか?』

「今年三十一になります」

 また大きな溜息。

『このダイアルは、救急医療が必要かどうかを相談するダイアルなのはご存じですか?』

「はい」

『もう三十歳を過ぎているんですよね?」

「はい』

『悪戯電話をするための番号ではないことくらいお分かりですよね? 本当に今、辛い思いをされている方が電話をしてくる番号なんですよ』

「はい。それはわかっています。だけどどうしたらいいかわからなくて……」

『反省してください。こんな電話をしたことを』

「え、いや、でも」

『ウンチが七色になるわけないでしょう!』

 耳をつんざくような怒鳴り声が響いた。思わずスマホを遠ざける。

「いや、でも本当に」

『まだ言うんですか。それでは住所とお名前を教えてください』

「え……どうして……」

『警察に相談させて頂きます!』

「いや、でも、本当にウンチが赤とか青とか」

『それが本当なら警察に見てもらってください! ほら、住所!』

 どうしよう。怖くて泣いてしまった。本当の事を言っているだけなのに。電話の向こうの女性は烈火の如く怒りを巻き上げ、その炎は収まりそうにない。

 スマホからの怒鳴り声に滲む視界。その滲んだ先に七色の大便。震えながら謝り続ける俺は、まだパンツも上げていない。

 人生とはかくも苦しいものなのか。生きづら過ぎる。

 嗚咽を漏らしながら謝っているうちに、唐突に電話がガチャリと切れた。

 どうしてこんな思いをしなければならないのだろう。

 俺はただ、普段通りにトイレを済ませただけなのに。

 途方に暮れながら便器を覗くと、七色のウンコはまだそこにある。

 俺は一思いにそれを流すことにした。

 もう、こいつに関わると碌なことはない。見なかった事にしよう。俺の尻から再び七色がひねり出された時に、改めて考える事にすればいいのだ。

「ピギャーーーーーーーッ!」

「……え?」

 俺の耳に、確かに聞こえた。

 全てが流れる直前に、鳥が潰れるようなおぞましい鳴き声のようなものが。


 それから一週間が経った。

 あの日から、俺のウンコが七色になった事は無い。

 時間が経つと、あの光景が白昼夢だったのではないかと思えてくる。しかしスマホの電話履歴が夢ではない事を教えてくれた。見ず知らずのお姉さんに、あんなにもこっぴどく怒られたのは若干トラウマになっている。

 食生活も変わらない、何か特別な事をしたわけでもない。

 あの七色ウンコはどうして俺の尻から出て来たのだろうか。

 ある日、ぼんやりとインターネットで科学情報記事を適当に眺めていると、リンク先で生命誕生を説明する記事を見つけた。

 その記事を見た瞬間、あのウンコが最後に上げた断末魔を思い出す。

『生命誕生の確率は』

 そんなタイトルの記事では、この宇宙で生命が誕生する確率が如何に低いかを説明していた。

 何でも、百億匹の猿が適当にタイピングをしてシェークスピアの戯曲を一字一句誤らずに完成させるのと同じ確率だとか、そういった例え話が載っている。

 その中の一つに、竜巻がゴミの山を掻き混ぜた時にポルシェが出来るのと同じ確率、というものがあった。

 竜巻、掻き混ぜる、その単語が引っ掛かる。

 俺の胃と腸で掻き混ぜられた有機物が偶然、シェイクスピアの戯曲のように――。

 いや、そんなまさか。

 俺は首を振って次の記事へと飛ぶ。

 その時、パソコンの通知が一つポップアップした。

『ニュース見てる?』

 友人からのメッセージだ。

『東京湾やばい』

 俺の家も東京である。

 我が家の下水は、然るべき処置をされた後、東京湾に放出される。

 俺はニュースサイトのリンクにカーソルを合わせた。

 しかし、それをクリックする勇気が、いつまでも出ない。

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