第4話 ビスコッティが寝込んだ日

 ビスコッティの孤児院にぶったまげた金額の寄付が寄せられ、あまりの衝撃で寝込んでしまった。

「おーい、ビスコッティ。まだ、ダメ?」

 こんな時くらい私室に帰ればいいのに、研究室じゃないと落ち着かないと、一番奥の部屋に置いてあるベッドで、布団にくるまってガタガタ震えているビスコッティは、食事もそこそこに使い物にならない状況になっていた。

「師匠、あのお金はなんですか。分かっているなら教えて下さい。確かに、王都最大の慈善団体からでしたが、確認しても間違いないというし、怖くなってしまいました」

 ビスコッティが呟くように問いかけてきた。

「私が知るわけないじゃん。それより、借金返済の薬作りしなくていいの?」

 いきなり大金が入ったとはいえ、ビスコッティもそこはわきまえているようで、そこには手をつけずに、自分で稼いで返すらしい。

「はい、分かっていますが、今日は無理です。しばらく寝かせて下さい」

 こりゃかなりビビったなと思いつつ、私は苦笑して自分の研究エリアに戻った。

「さて、これといって急ぎの用事もないし、ビスコッティがいないとまともに研究が出来ないし、リズと遊ぼうかな。決算で忙しそうだけど」

 私は内線電話の受話器を取り、リズの研究室に繋いだ。

「なに!!!」

 繋がると当時に、受話器がぶっ壊れそうなリズの怒鳴り声が飛びこんできた。

「ねぇ、リズ。あそぼ」

 私は笑った。

「あぁ、てめぇと違って忙しいんだよ。勝手に遊んでろ!!!」

 ガチャンと凄まじい勢いで、通話が切れた。

「あーあ、荒れちゃって。あっちは助手も多いし、大変だろうなぁ。経費の使用権限を与えると、助手は勝手に使って勝手に研究を始めちゃうし」

 私は笑った。

 今でこそ懐かしいが、私にも助手だった時期がある。

 この研究所の分所でカラマルという場所があるが、この研究所に入って最初に赴任したところだ。

 それは砂漠地帯にあり、昼は熱いわ夜は寒いわでなかなか苦労したが、そこの所長が独創的な魔法を使うので、教えてもらったのだ。

 師匠というより先生と教え子に近い関係だったが、私にとっては、師匠は師匠だ。

「懐かしい顔を思い出したな。砂漠ショウリョウバッタとか追いかけ回している気がする」

 私は笑った。

 ちなみに、砂漠ショウリョウバッタとは私が発見した新種のバッタで、学会に出すために名称を考えていたら、面倒になって適当につけてしまったのだ。

「私もビスコッティの模範になる行動しないとね。まあ、いいや。メシ食ってくるか」

 私は部屋から出て、リズの研究室に向かった。

「さて、準備するか」

 リズの研究室前で、私は床に特殊チョークで魔法陣を描き呪文を唱えた。

 そこから、それぞれデザインは違うが、いかにも事務職という制服姿のお姉さんが十名現れた。

 数字に弱いくせに、切羽詰まってから動かないリズのために、今回初の試みとして、ここの事務室から経理士を借りる事にしたのだ。

 まあ、レベルゼロエリアなので、絶対ダメだろうと思いながらもトライフルさんに相談したら、あっさりOKが出てしまった。

 但し、リズの部屋だけで他の部屋は絶対ダメという条件付きだが、そもそもリズのお手伝いなので、そこは問題なかった。

「みんないくよ」

 私が呼び鈴を押すと、防音壁すら通すガタガタという音が聞こえ、扉が開いて髪の毛ボサボサで目の下にくっきり隈を作ったリズが、今にも倒れそうになりながら現れた。

「なんだ、だから遊んでる暇ないっていったでしょうが!」

 リズが怒鳴った。

「遊びにきたわけじゃないよ。助っ人を連れてきた。入れてあげて」

 私が笑うと、経理士たちが室内に入っていき、さっそく仕事を始めた。

「な、なに?」

 リズがキョトンとした。

「この研究所の経理士さんたちだよ。どうせ、終わらないと思って呼んだ。正式に許可は取ってあるよ」

 部屋中に散った書類を集め、手早く片付けていく経理士さんたちはさすがに速かった。

「はい、続きやって。あくまでも、助っ人なんだから。これで、間に合うでしょ」

 私は笑った。

「あの、さっそく使途不明金がでましたが、これは?」

 奥から持参のノートパソコンを叩きながら、経理士さんの声が飛んだ。

「えっ、使途不明金って。あたしは記憶にないんだけど…」

 リズが頭をガリガリ掻いた。

「あるものはあります。それと、この領収書の金額と実際に支払われた額も合いません。みなさん、ここは漫然と予算管理している研究室です。徹底的に合わせますよ」

 経理士さんに火が付いたか、みんな劇画調の顔になり放って置かれた段ボール箱をひっくり返し、リズも口をあんぐりさせて見守るだけになってしまった。

「ほら、あれがプロの仕事だよ。リズも研究室の責任者としてちゃんとしないと」

 私はリズの肩を叩いた。

「そ、そうだね。あたしにはついていけない」

 リズが頭を抱えながら、研究室に戻っていった。

「まあ、これでなんとかなるでしょ。こうでもしないと、期限切れで予算削られちゃうからね」

 私は笑い、エレベータ方面に向かった。

 エレベータに到着すると、どこにいたのか犬姉がやや背後に付いた。

「護衛です。ビスコッティさんが不調のようなので」

 犬姉が笑った。

「よく分かったねって、どっかで見てるか。さすが、プロ」

 私は笑った。

「プロという程ではないですが、それなりに自信はあります。今日はどうしますか?」

 犬姉がワクワクした様子で問いかけてきた。

「うーん、昨日特別外出許可が出たのは、トライフルさんに根回しをしてもらったからなんだよ。一応、所内は自由に動けるんだけど、外には出られないんだよね」

 私は苦笑した。

「分かりました。では、所内を回りましょう。ここは広いので、まだ把握していないエリアがあります」

 犬姉が笑みを浮かべた。

「分かった、いこうか」

 私は笑い、エレベータに乗った。


 例によって面倒なボディチェックを終え、私たちは玄関ホールに出た。

「さて、どうしようかな。バスは混んでるし、同じルートしか走らないし、この程度は私でも把握しているんだよね」

 私は苦笑した。

「ご安心下さい。ちゃんと車を所持しています。許可を取っていますよ」

 犬姉が笑った。

「えっ、車を持ってるの。ここの規則は厳しいから、許可を取るのは簡単じゃないはずだけど…」

「はい、そこはそれです」

 犬姉が笑った。

「さっそく車を持ってきます。車寄せで待っていて下さい」

 犬姉が離れ、私は玄関の巨大扉を潜って車寄せに出た。

 何台もの高級車が出入りするなか、ちょっと場違いな古いピックアップトラックがやってきて、私の目の前に止まった。

「これです。見た目は古いですが、機関部は少し弄っていて快調ですよ」

 運転席から降りてきた犬姉が、助手席の扉を開けた。

「ありがと、お邪魔します」

 私は犬姉の車に乗り、シートベルトを締めた。

 隣の運転席に犬姉が乗り、車を出した。

「どこに行きましょうか。オススメの場所があれば教えて下さい」

 犬姉が敷地内の舗装路を走りながら、ニコニコ笑顔で問いかけてきた。

「そうだね。野外戦闘演習場ってあるの知ってる。魔法で森林から砂漠草原に山岳地帯なんか作って、暇つぶしがてら研究者が助手と戦闘訓練やってるよ。マイナーな場所だから、知らないかも」

 私は笑った。

「そんな場所があったのですね。では、お屋敷の寝室で寝ている人間など再現できますか?」

 犬姉が笑った。

「ああ、そっちの人だったね。出来るけど、ちょっと大変かな。寝ている人のモデルはビスコッティにしよう。ああ見えてかなり感が鋭いし、短距離なら私が知る限り最強クラスだよ」

 私は笑った。

 これは冗談ではない。

 レベルゼロで、護衛を連れて歩かない理由がここにある。

 遠距離から狙撃されても、その体を張って守ってくれるはずなので、犬姉を助手にするまではこれで十分だったのだ。

「えっ、可能なんですか。では、ぜひ、お願いします」

 犬姉が俄然張り切りはじめた。

「うん、分かった。屋敷までの侵入路も作るから、頑張るよ」

 私は笑った。


 野外戦闘演習場は、玄関からグルッと西回りに進み、ポイントPと道標がある交差点を曲がると、未整備の微かな道を延々と進む事になる。

 整備された道路からは約十キロあり、悪路に強い車でないと、途中で立ち往生する事になりかねないが、犬姉のピックアップトラックは四駆で悪路に強い車種だそうで、全く問題はなかった。

「それにしても、こんな場所があったのですね。まだ把握しきれてません」

 犬姉が苦笑した。

「そうだね、『ダーティ・スコーピオン』」

 私は笑った。

「えっ?」

 犬姉が愕きの声を上げた。

「もう一つの通り名だよね。有能な暗殺者で裏社会で知らなかったらモグリとまでいわれていたが、二年前に突如姿を消し、殺されたというのが通説。それが、私の隣にいるって人生面白いね。助手については、徹底的に調べるよ。それなりに、大勢の情報屋と繋がりがあるしね」

 私は笑った。

「そうですか。ご存じだったのですね。私が助手でよろしいのですか」

 犬姉が笑った。

「無論、手放さないよ。ちなみに、ビスコッティも元近衛兵だよ。サボってクビになって、ヤケクソで研究所に入ったみたいだけど。だから、ああ見えて近接戦闘は無敵に近いんだよ。犬姉とどっちが強いかな」

 私は笑った。

「私も強いかもしれませんよ。どうでしょうか」

 犬姉が笑った。

 などと物騒な雑談を交わしていると、こんもりとした林が見えてきた。

「おっ、そろそろだね。あの林は壁代わりなんだ。入り口に駐車場があるから、そこからは歩きだけど、五百メートルくらいだから大した事ないよ。一応、渡しておく」

 私は犬姉に無線機を渡した。

「分かりました。行きましょう」

 程なく到着した駐車場で犬姉の車を降り、まず入り口の旗竿を確認した。

「うん、誰も使ってないね。それじゃ…」

 私は持参した赤旗を旗竿の金具に引っかけ、高々と掲げた。

 これは、『この先使用中。立ち入り禁止』の合図だ。

「それじゃいこうか。なんだっけ、寝ているビスコッティの暗殺だっけ?」

 私は笑った。

「はい、得意なので」

 犬姉が笑った。

「分かった。よし、いこう」

 私たちは駐車場から続く砂利道を歩き、とんでもない広さの原っぱに出た。

「これが初期設定だよ。どうせなら豪邸にしてやろう。警備満載で」

 私は笑った。

「はい、燃えますね。イーグルアイ」

 犬姉が笑った。

「ちょ、ちょっと、それ何で知ってるの?」

 いきなり私の裏ネームを出され、私はぶっ飛びそうになった。

「私も調べますからね。研究所の裏にはこういう面があるのは知っています。イーグルアイはいきなり現れて消えるので、中には都市伝説だと思っている者もいますよ」

 犬姉が笑った。

「これ知ると、ビスコッティが激怒するのは確実だから内緒ね。ビスコッティは、研究所の裏顔を知らないから。わざとそうしているんだけど」

 私には二つの顔がある。

 研究者スコーンと暗殺者イーグルアイだ。

 これも、全ては王令のせいだ。他の人がいなかったのかというくらい、月に一度はイーグルアイになる日が来て、この晩はビスコッティのグラスに眠剤を仕込み、とっとと寝かせてから出るようにしている。

 ビスコッティはスコーンの助手。これで、十分だ。

「そうですか、てっきりご存じなのかと思っていたのですが、そういう事情があるんですね」

 犬姉が笑みを浮かべた。

「うん、命令書は私だけに宛てたものだしね。ビスコッティを巻き込みたくない。さて、やりますか。まず、結界を張って」

 私は呪文を唱え、原っぱを覆うように半球状に結界を張った。

「次は建物。おりゃ!」

 原っぱの真ん中に忽然と豪邸が建ち、同時に周囲が舗装されてそれっぽく仕上がった。

「ずいぶん大きいですね。気合いが入ります」

 犬姉が笑った。

「気合い入れすぎて王城と同じにしちゃった。あの城のマップなんて裏でいくらでも手に入るしね」

 全くどうなっているのか、最高機密である王城の詳細なマップは裏で千クローネでも出せば、簡単に手に入ってしまう。

 それでも、国王が暗殺されないのは近衛兵がやたら強いだけと、もっぱらの評判である。

「さてと、仕上げに夜にしよう」

 私は呪文を唱え、結界内に夜の世界を作り出した。

「はい、準備完了。作りは同じだけど、警備の配置は変えてあるから、遊べると思うよ」

 私は笑った。

「分かりました。スコーンさんはどうしますか?」

 犬姉がナイフを抜いた。

「私は内部の状況を知ってるから、意味がないよ。その代わり、護衛の位置を弄るから、少し難易度アップかな」

 私は笑った。

「それは楽しみです。では、合図して下さい」

 犬姉がやる気満々でナイフを構えた。

「よし、行け!」

 私の合図と共に、まさに犬のように音もなく飛び出し、いきなり門番の二名を片付けてしまった。

「ふむ、やるな」

 私の手元には、建物各所の様子が見えるスクリーンが虚空に浮いている。

 犬姉は邪魔な門番を片付けたあと、大扉を開けるような無駄な事をせず、ロープもなしに壁を登り始めた。

「確かに石積みだから微妙な段差があるけど、こりゃ凄いな」

 私もそこそこ出来る自信はあるが、これは真似できない。

 その後の犬姉は早かった。

 目立たないように壁の上を背を低くして走り、いざ邸内へというところで、私が配置したお邪魔虫が現れた。

 二人一組で巡回する警備員が壁際に陣取り、タバコを吸い始めた。

「さて、どうするかな…えっ」

 私のスクリーンから犬姉が消えたと思った次の瞬間、その警備員は倒され、犬姉は目立たないように死体を茂みの陰に隠していた。

「すげ…。よし、こうなったら」

 これは、もはや犬姉と私の戦いだった。

 私はこれでもかと警備員を生んで、最高に嫌な場所と動きで叩き潰しにかかったが、犬姉は難なくそれを交わし、待ったくバレる事なくラスボスのビスコッティの部屋まで辿り着いてしまった。

「さて、いよいよだね。ビスコッティを甘くみると、痛い目に遭うよ」

 さすがに、ビスコッティを増やすなんてバカなことはしない。

 代わりに、直援の警備員を二名ほど追加した。

 そのうち一人は、他でもないこの私だ。

 これは、魔法が勝手に数値化したもので、私がセコく強化人間になったわけではない。

 この状況では、正面切って扉を開けて入るわけにはいかないはずだ。

「ん…なんかいる。扉を見て」

 シミュレーションの私が何か指示を出し、そっと拳銃を引き抜いた。

 私の指示でもう一人の警備員が扉に向かい、そっと開けた瞬間その首にナイフが刺さり、死体を蹴散らすように犬姉が突撃してきた。

「うぉ、すげ。頑張れ私」

 さすがにこの動きはビビったが、仮想の私は素早くビスコッティを蹴り起こした。

「なにするんですか!」

 怒声と共にベッドから飛び降りたビスコッティは、犬姉が繰り出してきたナイフを叩き落とし、そのまま格闘戦にもつれ込んだ。

「…あーあ、私ってそういう人だったんだ」

 犬姉とビスコッティの戦いを部屋の端で見ながら、仮想私はポケットからタバコを取りだし火をつけた。

「完全に仕事放棄だね。あれ、ここまで酷くはないはずなんだけどな」

 私の顔は、多分引きつっていた。

 まあ、それはともかく、仮想ビスコッティと犬姉の熱い戦いは佳境を迎え、最後に立っていたのは犬姉だった。

 瞬間、私と犬姉が拳銃を抜き、お互いが同時に引き金を引いた。

 二人が同時に倒れ、これでゲームオーバーだ。

「な、なんだこれ。どう解釈していいのやら」

 私は苦笑して、魔法を全て解いた。

 しばらくして犬姉が戻ってきて、タバコを咥えて火をつけた。

「引き分けでしたね。さすがにしんどいです」

 犬姉が笑った。

「いや、これビスコッティの暗殺だから。蹴り起こして戦わせるなんて、全くの想定外だよ」

 私は苦笑した。

「はい、よくできた作戦だと思います。ビスコッティさんは本当に近接戦闘が強いんですね。久々に真面目になりました」

 犬姉が笑った。

「それがウリだからね。なにも、研究のためだけに連れて歩いているわけじゃないよ」

 私は笑みを浮かべた。

「護衛ですか。私も頑張ります」

 犬姉が笑った。

「任せたよ。それで思い出した。せっかく貸し切りなんだから、狙撃の練習でもしておこう。ちょっと待ってね」

 私は呪文を唱え、周囲の環境を砂漠地帯に変えた。

「凄いですね。標的はどこですか?」

 犬姉がゴツい対物ライフルを組み立てながら、ニコニコ笑顔で問いかけてきた。

「それを探すんだよ。相手はトラック。荷台に赤い○が付いてるから分かると思うよ」

 私は笑った。

 標的まではここからは、最低でも二キロはある。

 こういう時は、こういったデカブツの出番だ。

「ヘカートⅡですか。また、マニアックですね」

 犬姉が笑った。

「うん、変なの好きでね。犬姉はバレットか。当たり障りなくていいね」

 私は小さく笑った。

「はい、長年の相棒です。そろそろ始めましょう」

 犬姉が地形を利用して、射撃ポジションに入った。

「いくよ。間違って民間の車両をぶっ壊したら、軽く電撃が走るから」

 私は笑ってプログラムをスタートした。

 私も銃を構え、スコープを覗いた。

 遠くの街道を車が行き交い、一応実戦さながらのシミュレーションになった。

 目標に描かれた赤マークは半径一メートルの円だが、この距離だと点にしか見えない。

「スコーンさん、私がやります。バックアップを」

「了解」

 私はスコープのレティクルを行き交う車に合わせ、ジリジリと標的の通過を待った。

 プログラムしたのは私だが、車の流れはランダムで何がくるか分からない。

 炎天下でも動けない。

 時々、ひんやり冷却魔法を使ってはいるが、こうしているだけでも体力が奪われ、集中力も乱れてくるが、そこは慣れと経験だ。

 待つ事四時間。私はスコープ越しに、目標のトラックを捉えた。

「犬姉、マーク」

「了解。把握しています」

 犬姉の静かながら力強い声を聞いた瞬間、巨大な発射音と砂塵が舞い上がった。

「ヒット。目標沈黙。お見事」

 私は笑った。

「はい、なんとかなりました。久々の長距離射撃だったもので」

 犬姉が笑った。

 相手が比較的大きなトラックとはいえ、二千メートル先の目標を一撃でぶち抜くのは、並大抵の腕ではない。

「お疲れ。すっかり日焼けしちゃったね」

 私は笑った。

「ですね。スコーンさんも顔が真っ赤に腫れていますよ」

 犬姉が笑った。

「あーあ、あとでビスコッティに事情聴取されるな。まあ、砂漠の真ん中でバカンスしていた事にしよう」

 私は笑みを浮かべた。

「では、次にいきましょうか。ここで、射撃練習も悪くないですが」

 犬姉が笑った。

「そうだね。まだ、他にもあるし」

 もうそれなりの時間が経っている。

 私たちは撤収準備を始め、次なる目的地へと向かった。


 犬姉の案内を終えて、研究室に戻ってきた時には、ビスコッティが復活していた。

「師匠、どこで遊んでいたんですか。日焼けしていますし、銃でも撃ったんですか。硝煙の臭いが凄いですよ」

 ビスコッティが私の顔に薬を塗りながら、小さくため息を吐いた。

「だって、ビスコッティが遊んでくれないんだもん。リズは忙しいみたいだし、そこらでバカスカ銃を撃ちまくって暇つぶししてた」

 私は笑った。

「なにやっているですか。私がいないと危険です。大人しくしていて下さい」

 ビスコッティが苦笑した。

「やだよ。研究もしないでここにずっといたら、酒浸りになっちゃうもん」

 私が笑うと、ビスコッティの目が光った。

「師匠も大酒飲みになりましょう。そして、酒代を経費で落とすのです!」

 ビスコッティが吼え、空間ポケットから領収書の束を取りだし、私の机に叩き付けた。

「バカ、そんなの落とせるわけないでしょ。ちゃっかり領収書切ってるのに、残念だけどねぇ」

 私は笑った。

「いえ、そこをなんとか…」

 ビスコッティが、私の体を揺さ振った。

「たまにささやかな飲み会をやる程度なら経費でもいいけど、ビスコッティは毎日が宴会じゃん。個人的にもこの研究室の管理責任者としても、ビスコッティの自腹だよ」

 私は机に積まれたビスコッティの領収書を、風の魔法で粉々に粉砕した。

「ちょ、ちょっと、なにするんですか!?」

 ビスコッティが部屋中に巻き散った領収書を掻き集め、セロテープで張り合わせる作業をはじめた。

「いくら提出されても無駄だよ。事務局にでも直訴するつもり?」

 私は笑った。

「はい、意地悪するので。事務なら…」

 ビスコッティが私を睨んだ。

「やってみなよ。私より敷居が高いから。助手が経費請求する場合、上司の研究者が書いた書類が必要なんだけど、どれだけ脅されても泣かれてもサインする気はないよ」

 私は笑った。

「えっ、そうなんですか?」

 ビスコッティが作業の手を止めた。

「うん。しかも、借金まみれでしょ。まず、まともに話しを聞いてくれないよ」

 私はビスコッティにトドメを差した。

「そ、そんな…。そういう事なら、お酒を大事に飲まないと」

 ビスコッティがため息を吐いた。

「そうしなよ。取りあえず、巻き散った紙を掃除して。お駄賃あげるから」

 私は机の大きな引き出しの鍵を開け、中から木箱に入った高級酒を取りだした。

「あっ、それは!?」

 ビスコッティがキョトンとした顔をした。

「うん、アルス・エーリカ四十年。しかも、限定蔵出し四十本。シリアルナンバー01。終わったらあげる」

 私は笑った。

「し、師匠。何人殺したんですか。今や幻ですよ。たまにオークションに出品されても、偽物か本物でも手が出ないほどの値段になりますよ。さすがの私もこれは触れないというか、神々しいというか。しかも、シリアルナンバー01って、いつ買ったんですか!?」

 ビスコッティがそっと私に近寄ってきた。

「いらないなら回収するけど、どうする。いうこと聞く?」

 私は笑った。

「い、いります。飾って毎日拝みます。急いで片付けます!」

 ビスコッティが、猛然と部屋の掃除をはじめた。

 ちなみに、この酒は本物だ。

 実は、私は事務長のトライフルさんとは太い繋がりがあり、レベルゼロの所属という不自由さを鑑みてという名目で、頼めば色々と手を回してくれる。

 そのコネで仕入れたこれだが、飲むよりビスコッティの餌付けに使った方が得策だと考えて、そっと隠しておいたのだ。

「さて、私は次の研究題材でも考えるか。最近、リズが片手間にやってる攻撃魔法が面白いくらいよくなってきてるから、専門家として負けないようにしないと」

 私は呟き、ノートパソコンを開いて書きかけの新魔法の構成を書きはじめた。


 魔法というものは、厳密にいえば一つとして同じ物はない。

 術者の精霊力バランスが違うので当たり前だが、分かりやすくファイア・ボールで説明すると、私が使うファイア・ボールとリズが使うファイア・ボールは火球という点は似ていて、効力も似ているが、全く違う魔法だ。

 よって、それを構成する呪文も違うものとなり、誰かに教えようとすれば、ヒントを与えるくらいしか出来ないのだ。

「さて、ここであれを入れてこれを入れると戻り値は七か。これは、ちょっと癖があるね」

 私はノートパソコンのキーを叩く手を止め、冷めたココアが入ったマグカップをあおった。

 魔法を組み立てる基本となるのが、ルーン文字と呼ばれるもので、これを組み立てていく事で一つの術を作る。

 しかし、このルーン文字は本来は数字の羅列で綴られた古代ルーン文字と呼ばれるもので、扱いやすいように文字と紐付けたもので、この古代ルーン文字を扱えるかどうかで、魔法使いの力量が測られる。

 このレベルゼロに放り込まれるような研究者は、まずこの古代ルーン文字が扱えて当たり前という感じで、呪文作りも数式の計算からはじまる。

「うーん、もうちょっとなんとかならないかな。辞書でもみるか」

 私が呟くと、すっとビスコッティが辞書を差し出してくれた。

「これですね」

 ビスコッティが体中紙くずだらけにして、目的の辞書を渡してくれた。

「ありがと。さてと…」

 私は辞書のページを繰った。

 ちなみに、ビスコッティはルーン文字しか扱えないが、これが一般的だ。

 それなのに、死んでいなければなんでも怪我を治せるほどの回復魔法を使えるので、古代ルーン文字を使っても骨が折れる術なのに、なかなか根性がある。

「よし、あった。この関数をぶち込んで、ここの魔道方程式の数値を…」

 ブツブツ呟きながら、私はノートパソコンのキーを叩きまくった。

「よし、出来た。これを、ルーン文字に変換して…。呪文の文字数は約五千六百文字。これを、短縮して…」

 私はさらにノートパソコンのキーを叩いた。

 まだパソコンがない時代は、これを手書きでやったらしいし私も出来るのだが、せっかく変換・短縮アプリケーションがあるので、ここは効率性優先である。

「十五文字か。まあ、実用的にはなったね。これで、一つ」

 私は全ての経緯を印刷すべく、ノートパソコンを操作した。

 ちなみに、この魔法は土の精霊を使ったもので、短距離ではあるが無数の石つぶてを飛ばすものだ。

 石を馬鹿にしてはいけない。

 それなりの大きさの石を超高速で飛ばせば、立派に攻撃魔法と呼べるだけの破壊力がある。

「とりあえず、これでいいか。あとは、気晴らしに結界魔法を作るか。専門家のリズほどじゃないけど、効果は求めてないから…」

 私の専門は攻撃魔法だが、別にそれだけを追い求めているわけではない。

 知識と思考の柔軟性を維持するためにも、こういう遊びの時間は必要だった。

「さて、単純に壁でも作るか。えっと、基礎構成は…」

 私が呟くと、ビスコッティが魔法書を手渡してくれた。

「ありがと。さてと…」

 私はパラパラと魔法書のページを繰った。

 手元にあるメモ用紙に要点を次々に列記していき、ある程度のところでノートパソコンでまずはルーン文字を打ち込んでいく。

 十文字ほど打ち込んだところで、アプリケーションを操作して古代ルーン文字に変換する。

 これを、ひたすら計算して一つの解を求める。

 魔法作りは、こうした地味な作業の繰り返しだ。

「師匠、片付きましたよ」

 ビスコッティがゴミ袋片手に声をかけてきた。

「お疲れ。シャワーでも浴びてきたら。約束のお酒あげるから」

 私はノートパソコンの画面から目を離さず、ビスコッティに返した。

「はい、そうします。師匠が研究中なので、急ぎますね」

 ビスコッティがゴミ袋を廊下に出し、隣室に消えていった。

 ちなみに、ゴミはこうやっておくと、朝にはちゃんと回収してくれるので楽だ。

「さてと、続き…」

 こうして、気分転換の結界魔法を開発していると、部屋の呼び鈴が鳴った。

「なんだ、こんな時間に」

 ビスコッティがシャワー中なので、私は机の前を離れ部屋の扉を開けた。

「よう、スコーン」

 決算書に揉まれていたリズが、缶ビールの六本パックとつまみを持って、笑顔で部屋に入ってきた。

「なに、決算終わったの?」

 私は笑った。

「笑い事じゃないよ。まあ、助っ人のお陰でなんとか終わったけど。疲れたから、一杯やりにきた」

 リズが笑った。

「それは良かった。ビスコッティはシャワー浴びてるから、出てくるまで待って。私はまだ手が離せないから」

 私はリズからビールとつまみを受け取り、小さな応接セットのテーブルに置いた。

「なんだ、仕事でもしてるの?」

 リズが笑った。

「研究だよ。攻撃魔法を一個作ったから、息抜きに結界魔法でもって弄ってる」

 私は笑みを浮かべた。

「へぇ、結界ね。どんなの作るの?」

 リズが興味津々といった様子で問いかけてきた。

「ん、別に特別なものじゃないよ。適当に壁でも作ろうかと」

 私はリズに答えた。

「壁か…。実は、空間に干渉するのって難しいぞ。その辺の物を覆う方が、目印があるから楽なんだけどなぁ」

 リズが笑った。

「そうなの。簡単とはいわないけど、いけそうなんだけどな」

 私はリズに返した。

「じゃあ、やってみな。手本はこれ。分かりやすく、色をつけておくよ」

 リズが呪文無詠唱で黒い結界壁を、部屋の扉を塞ぐように展開した。

 実は、集中力が必要になるが、呪文を詠唱しないでも使えるようになれる。

 これは、誰でも訓練すれば可能だ。

「これが一番単純かな。ただ魔力障壁を張っただけ。これでも、初心者レベルの攻撃魔法は防げるよ」

 リズが笑った。

「へぇ、面白いな。やってみよう」

 俄然やる気になった私は、机に戻ってノートパソコンに向き直った。

「オススメは風か水の精霊だよ。スコーンは全属性問題ないから、試してみな」

 リズが笑った。

「分かった。水は少し苦手だから、風にしよう。ということは…」

 私は一度立てた数式を消去して、再び一から組みはじめた。

 これを面倒とは思わない。むしろ、楽しい。

「それにしても、スコーンが結界か。珍しい事もあったもんだ」

 リズが笑った。

「単なる気まぐれだよ。魔法好きとしてね」

 私はノートパソコンのキーを叩きながら、リズに返した。

「ま、なんか面白いアイディアあったらちょうだい。あたしが気が付かない事もあるだろうし」

 リズが笑った。

「それは、私も同じ。リズって、攻撃魔法もやるでしょ。なんかあったらいって。よし、基礎構成が出来た」

 私は古代ルーン文字と、それで書かれた数式をそのままプリントアウトした。

「どれ、見てやろう」

 リズがプリンターから出てきた紙を手に取った。

「特に問題ないでしょ。シミュレーションでも問題なかったし」

 私は笑みを浮かべた。

「そうだねぇ。基礎はこれでいいか。問題は、どう応用するかだねぇ。相変わらずお行儀がいいから、かえって難しいな」

 リズが頭を掻いた。

「いつもの癖だよ。攻撃魔法は、いい加減にやると自滅するから」

 私は笑った。

 攻撃魔法の自滅事故は後を絶たない。

 この研究所でも、毎年一定確率で死者が出ている。

「まあ、シビアな領域まで攻めるからね。結界魔法だって、一歩間違うと大怪我じゃ済まないんだけどさ」

 リズが笑みを浮かべた。

「まあ、魔法はみんな同じだよ。よし、出来た」

 私は今度はルーン文字で書いた、最終的な呪文を印刷した。

「よし、出来たか。さっそく、やってみ」

 リズが笑った。

「もちろん。えっと…」

 私は呪文を唱えた。

 部屋の中に不透明な壁が現れ、天井を突き破った。

「あれ、失敗した」

 私は苦笑した。

「あのねぇ、なんで制御が甘くなるかなぁ。出来は悪くないけど、もう一回!」

 リズが小さく息を吐いた。

「分かってるよ。解除」

 天井を突き破っていた壁が消え、自動修復の魔法が掛かった天井板が数秒で元に戻った。

「それじゃ、もう一回」

 私は呪文を唱え、今度は部屋を二等分するように壁を作った。

「どれ…」

 リズがソファから立ち上がり、私が作った壁をコンコンと叩いた。

「うん、暇つぶし程度ならこんなもんか。壁面にファンシーなイラストなんか入れやがって」

 リズが大笑いした。

「可愛くていいでしょ。魔法は楽しまないと。もう、結構時間経ったし、そろそろビスコッティがシャワーから出てくると思うよ。三人で軽く飲もう」

 私は笑ったのだった。

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