第二十七話

「私、目が見えない分、鼻が効くんですけど……お身体から立ち昇る香りが……臭いです」


 微妙な言い回し……いえ、それより生まれて初めて『臭い』って言われた。


「がーん!」


 変な声出た。恥ずかしくて赤くなる前に、何だか血の気が引いていく。震え始めるとハリエッタは焦ってフォローしてくれているようだ。


「あ、当たり前ですよ! お風呂はおろか、お召し物も一度も変えてないですよね」

「そうかぁ……臭いかぁ……ぐすん」


 涙も出てきた。これでも身体は濡れたタオルで何度か拭いている。


「サーガ様、ドレスを脱いでください」


 言われるがままにドレスを脱ごうとした時、アマリアの血の染みが視界に入った。未だ、その瞬間に血が沸騰するような怒りが湧き上がる。

 それに『脱げ』などと言われようが自らの手足で脱ぐこともできない。ハリエッタを睨みながら声を荒げてしまう。


「臭いと言われようが、このドレスはアマリア様との約束の証! 併せてアイスバーグ共和国の公女の証でもあるこのドレス、脱ぎ捨てるわけには――」

「――でも女の子にあるまじき臭いです! えい!」

「いやーん! 追い剥ぎよー!」


 盲目の少女vs四肢の不自由な少女。勝者はあっさりハリエッタに決まった。


「しくしく……王位継承権五位の公女なのに……着ているドレス一つ護れなかった……」

「ごちゃごちゃ五月蝿いですよ」

「あっ、ちょっと!」


 下着に手を掛けるハリエッタ。抑えようにも両手は動かない。


「えい!」


 下着まで脱がされた。もはや打ちひしがれることしかできない。


「あぁ、乙女の秘密も露わにされてしまった。お母様、お許し下さい。サーガは悪い子――」

「――見えてないんだから良いでしょ!」


 懺悔を言い終わる前に毛布を掛けてくれた。言われてみれば見られてはいないのか。


「もうお風呂は準備してあります。お召し物は洗濯させてもらいますね」

「うぅ、お願いするわね……って、どうしたの?」


 ハリエッタは薄汚れた私のドレスをじっと見つめている。いや、見えていないのだから感触を確かめてるのか。


(しかし……我が身から離れたドレスは……贔屓目に見てもただの汚い布ね。もう一度着ろと言われてもゴメンだわ)


 ぼーっと眺めていると何故か突然メイド服を脱ぎ始めた。私に劣らず真っ白な肌が露わになる。同性とはいえ気不味い、というか恥ずかしい。ここでハリエッタが怪しい笑みを浮かべた。


(まさかっ……襲われる? 油断した!)


「あっ、あの……お気持ちは嬉しいけど、私は殿方としか愛し合えない――」

「――何ですか?」


 キョトンとしている。言われてみれば私だって妹の柔肌を見て欲情はしない。


「いえ……なんでもないです」


 その時、私のドロドロに汚れた服を嬉しそうに着始めた。着終わるとクルリと回ってカーテーシーをしている。


「ほら。私がこのドレスを着てもめしいた奴隷というのは変わらない」

「ハリエッタ……」


 さっき声を荒げたことへの回答なの?

 これにはハリエッタの労りの気持ちが嬉しすぎて涙が出てきそうになる。


「ダメね。やっぱり臭いわ」


 文句を言いながら速攻で脱ぎ始めた。脱ぎ終わったら指で摘んでカゴに投げ捨てている。

 労りの心は既に感じられない。


「貴女ねぇ……」

「さぁ、体を洗いましょう」



◇◇◇



「おいっちにー、おいっちにー、そのままゆっくり歩いてねー、おいっちにー……」

「ちょっと……うわっ……た、倒れ……」

「それっ、倒れちゃダメよ」


 ぐいっと力を込めてくれたので、何とか持ち堪えた。素っ裸の私を抱えるのは下着姿のハリエッタ。前から抱きつくように抱えて、ハリエッタは後ろ歩きで私を支えてくれている。


「サーガ様の目が頼りなのですから、しっかり前を見ていて下さいね」

「分かってる。もう少し左……いえ、逆よ。しかし……これは……照れる前に……怖い……」


 同性といえど恥ずかしい状況なのだけど、倒れたら間違いなく顔から床に突っ込みそうなので恐怖が先に来る。


「あと少し……よっと」


 丁度部屋の反対側にカーテンで仕切られたバスルームが作られている。何とか転ばずに辿り着いたので、そっと浴槽のヘリに腰掛けさせてくれた。


「ふぅ……部屋の端から端まで歩くだけでこんなに大変だとは思わなかった」

「そうね。この身の不自由さを心底味わうことができたわ」


 ほんのり汗ばんでいる下着姿と裸の女子二人。やり切った感はあるが正直何かあったら終わっていた。人を呼びに行くことも、部屋に誰かが助けに入ってくるのもはばかられる。


(一緒に入るとしても……ハリエッタが服を脱ぐのは絶対に早過ぎだと思うわ)


 せっせとタオルや石鹸を用意している綺麗な背中を眺めつつ、浴槽に滑り落ちないように力を入れている。肘から下と膝から下が動かないのだから、手足を浮かせて座っているようなもの。不安定極まりない。


「はい、サーガ様。入浴の準備が整いました」


 ハリエッタはそっと足から湯船に浸けてくれた。そのまま腰を滑らしながら、そろりそろりと浸かっていく。温かなお湯は全ての汚れと疲れを溶かしていくようだ。


「ふぁ〜〜」


(一ヶ月ぶりのお風呂に身も心も溶けちゃう)


 心地良いハーブの香りに包まれて夢見心地。目を閉じていると天国にでもいるように思えてくる。


「正真正銘の地獄だったもんなぁ……」

「サーガ様、お体洗いますね」


 一仕事終えたように満足げな顔のハリエッタは湯船の横で跪いていた。手には泡立った石鹸が浸されたタオルを持っている。返事をする前に左腕から洗ってくれる。力加減がなんとも心地良い。


「気持ちいいわ。人の身体を洗うことに慣れてるのね」


 何気なく聞いた質問だったが、ほんの一瞬間があったように思えた。


「はい。ご婦人の体も、殿方の体も、洗い方を教え込まれましたから」

「あら、そう……」


 遊郭に売られる前にと仕込まれていたということだろう。


「でも、それがこんなふうに役に立つのですから、人の世は分からないものですね」


 私が『這いつくばるしか芸がないんだから、夜の仕事でも覚えろ』と言われたらどうするか。多分魔導で暴れてお父様に泣きつくんだろう。


(それを許されなかったハリエッタの悲しみ……その口からはそんな酷な言葉、二度と出さすまい!)


 決意の証として右腕を振り回して自らの頬を殴った。


「痛いっ!」


 思ったより勢いが良く、肘から鞭のようにしなった手が思いっきり顔に当たっていた。


「何してるんですか……んふふ。サーガ様は面白いですね。さて、頭も洗ってしまいましょう」

「……はい」

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