第二十五話

「はい、どうぞ」


 返事をすると、ベルナールの背後にある扉が静かに開いた。そこには黒髪を肩より長く垂らした十四、五歳の少女が立っていた。


「今日よりサーガ様のお世話をさせていただくハリエッタと申します。誠心誠意に励みますのでよろしくお願いします」

「あら、こちらこそよろしく……」


 上品そうな物腰。何故か私が寝ているベッドでも、へばって床に座り込んでいるベルナールでもなく、部屋の中央に向けてお辞儀をしている。


「……お願いしますね」


 顔を上げるとこちらを向いてニコッと微笑んでくれた。目の細い……というより目を閉じている?


「あー、サーガを担当してもらう侍従の――」

「――もしかして、目が見えないの?」


 私からの問いかけにベルナールからは困惑が、反対にハリエッタからは肯定の空気を感じた。


(逆だったら追い返してたわね。仲良くなれそう)


 会って数秒でバレることを隠し切れると思っていたのなら私には合わない。そう、ベルナールの性格にほとほと苛立ってるようにね、と心で文句を言って睨みつける。


「……あ……あー、そ、そう。別に――」

「――はい。私は目が殆ど見えません。ですが、サーガ様のお世話に問題はありません」


(ほらね。正直モノは評価アップよ!)


 とはいえ不安はある。友人なら付き合うに値するが、この身体を任せて良いものか。


「では仕事振ぶりを見せてちょうだい。心配ないかは私が判断させてもらうわ」

「分かりました」


 姿勢良くお辞儀すると、スタスタと歩いて部屋の奥にある給湯室に入っていく。静けさの中、カチャカチャと食器が音を立てていた。どうやら紅茶を入れてくれるらしい。

 少し待つとワゴンを押しながらこちらに向かってきた。


「お待たせしました。ご要望があればサンドイッチくらいならすぐにご用意できますよ?」


 音を立てずにベッドのサイドテーブルへスコーンの乗った小皿を置いてくれた。所々歩き方がぎこちないが、逆にいうと他に違和感はない。


「あら、ありがとう。今はお腹空いてないの」

「はい。では紅茶を用意しますね」


 優雅な手つきで茶葉をスプーンですくってポットに入れていく。危なっかしい手つきなど何もなくヤカンからお湯を注ぐと芳しい香りが辺りに充満していった。ポットに蓋をすると白い布製のカバーをかけている。作法は完璧ね。


「ミルクある? 今日はたくさん甘くして欲しい気分なの」

「はい。甘めのミルクティーでご用意致しますね」


 トレイの上にティーカップとスコーンの乗った小皿を乗せていく。


(本当に目が見えないのかしら……)


 疑いたくなるくらいに所作が綺麗。


「サーガ様、トレイをお渡ししますので、少し身体を起こしてくださいませんか」

「ん? あぁ……分かりました。よし……ふんっ!」

「……?」


 ベッドの上で気合一閃、身体を起こしてヘッドボードにもたれかかった。何とか安定した姿勢をとることに成功。


「どうぞ、お熱いのでお気をつけ下さい」


 私の太ももあたりにトレイを乗せてくれた。


「……」


 さて、どうしたものかと思案中。


「何かご不満でも?」


 ハリエッタが心配そう。ここで、もしかして私の身体について聞いていないのか、と思いつく。ベルナールを睨みつけると慌て始めた。


「侍従には伝えていなかったか……あーっと、サーガは四肢が不自由だ。カップを手に持つこともスコーンを口に運ぶこともできない」

「えぇっ! そ、それは失礼……しました……」


(可哀想に。ショックを受けているわ。そりゃそうよね。自慢の紅茶をモーニングトレイごと身体の上に乗せたら『実は手足が不自由なんだ』は無いわよね)


 オロオロする様が何とも可愛い。


「うぷぷ、あら失礼〜っと……」

「サーガ様……」


 思わず吹き出したのを誤魔化すために手を口に持ってこようとした。しかし右手は肘から下がまともに動かない。少しだけ上がった腕をまたベッドに戻す。

 そんなバタバタした雰囲気を察したハリエッタは更に顔を蒼くしていた。


「すみません! 失礼なことを――」

「――良いのよ。悪いのはあの男よ」


 もう一度睨みつけると誤魔化すためか手帳を覗いて仕事の予定でも立てるフリをしている。


「ねぇ、ハリエッタ」

「は、はい!」


 ここでしっかりと目が合った……ように思えた。会話する人としっかり視線を合わせてくれている。


(ちょっとした所作一つでも、並外れた努力の賜物よね)


 整った顔立ちに綺麗なストレートの髪の毛を緩く後ろで纏めてある。健康的で染み一つない肌の色。そして閉じられた両目……いや、右目が薄く開いているのが分かる。しかし眼球は白く濁っているように見えた。


「気を悪くしたら言ってね。あなた、右目は見えてるの?」

「はい。左は瞼も開きません。でも右目はぼんやりと見えています。凄く近くまで寄れば色形も薄らと分かるのですが……」

「思い出したわ。貴女がハリエッタなのね」

「はい」

 

 五年ほど前の冬に勃発した『霜柱戦争』。

 隣国からの突然の宣戦布告。

 昔からきな臭い噂もあり外交も途絶えていたが、よもや本当に戦争を仕掛けてくるとは誰も思わなかった。余程念入りに計画してあったのか布告後の行動は思いの外に早く、残念ながら初戦では遅れを取ることとなってしまったと聞いた。

 辺境の村々は焼かれ、地方都市の一つすら落とされてしまった。街を護っていた騎士団は全滅し、数百人の民が殺され、千人を超える民が奴隷として連行されていった。

 国民の屈辱を一身に背負った騎士団『黒鎧』が派遣されると情勢は急変する。一週間と経たずに隣国の王宮は炎に包まれていた。我が国の怒りは凄まじく、隣国の王族や軍属は一族郎党全てが皆殺しにされたと聞いた。

 私も凍漬けにされた何百という首が街の広場に飾られていたのを覚えている。


「噂しか聞いたことなかったから、勝手にもっと病弱なお姫様をイメージしてたわ」


 そんな中、燃え盛る王宮でたった一人泣きながら血塗れの騎士団の行進を褒め称える少女が居たと噂になっていた。継母だか側室の子だとかで自国や王族に大層恨みが深いプリンセスと聞いた。開戦前から両目が不自由な上に粗末な衣装で虐待されており、隣国の悪政の証拠として殺さずに連れて帰ったとのこと。


(名画『礼賛のハリエッタ』のモデル……実在したのね。半分位はプロパガンダ宣伝活動の為の創作だと思ってた)


 こちらの沈黙に小首を傾げて、ぽやんとしている様からは苦難の過去は見受けられない。


「いえ、それも努力の結果なのでしょう……」

「はい?」


 侍従としての動き方や作法、そして部屋の間取りなんかを一生懸命覚えたに違いない。努力は美しい。そしてできる限り報われなければいけないものよ。


「では、ハリエッタ、採用よ」

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