第4話 あなたの差異
悲鳴。
漆黒が地を這って迫りくる。
人が変貌し、魔獣が変化し、黒く汚染された汚染獣が全てを塗りつぶして滅ぼさんと迫ってくる。
地獄だった。
平和を謳歌していた都市が一瞬のうちに地獄へと変わってしまった。
役立たずの流民にも優しく接してくれたおばあさんが真っ黒になっていく。
市場で良く残ったごはんをくれたおじさんが、真っ黒になって落書きのような顔で笑いかけてくる。
いろいろなことを教えてくれたお姉ちゃんが、半分に引き裂かれてもなお真っ黒に染まって立ち上がってくる。
流れ出した魔力が黒く淀み汚泥のようになって、名状しがたき不定形の生物のように大地を這いずって広がっていく。
世界を滅ぼす邪神の呪いが、全てを地獄へと連れ去っていく。
マルテ、ただ一人を置いて。
どうしてこんな風になってしまうのだろう。
また一人生き延びてしまう。
その時、白い雷が天から降り注ぎ、漆黒を薙ぎ払った。
そこにいたのは――。
●
「ぅ……」
目を開けたマルテを迎えたのは、紫水晶の瞳に映る自分自身だった。
ぼろぼろでみすぼらしくて、目の前にある美しいものと比べることすら烏滸がましいとすら思ってしまうくらいだった。
酷い有様で現実逃避的にもう少し眠っておこうと思った。身体も重たいしなにより温かいからなどと――。
そこまで考えて、目の前で自分の顔を覗き込むアウレーリアの状態が目に入ってしまったマルテの意識は急速に覚醒した。
同じベッドで眠っている、それも裸で。
「……ンんん!?」
身体を起こそうとしたがアウレーリアの腕が絡んでいて起こせなかった。内心では飛び起きていたくらいの驚愕であった。
なぜ自分を助けてくれたすごい人が、自分の家に、と思ったらここが自分の家でないことに気が付いたし、何よりもお互いどうして裸体なのだとさらなる混乱がマルテを翻弄する。
「ああ、起きたの?」
挙句の果てにアウレーリアの存在そのものが、すべてを吹き飛ばす威力を発揮していた。
神々が作り上げた至高の彫刻のような肢体が自分を抱きしめていたという事実。
一緒のベッドで眠っていたという現実。
全部が全部、マルテには初体験。
処理不能の事柄で目を回すのに労力などいらなかった。
「あ、あぅぅな、なんあなな……?????」
そんな彼女を見ながら、まるで気にしていないようにアウレーリアは淡々と身体を起こして一瞬で着替えを済ませながら、マルテの身体を起こした。
ころころと鈴を転がすように声を転がして、その端々に楽し気な声音が混じらせながらマルテへと話しかける。
「あなた、回復魔法もポーションも効かないんだもの。仕方ないから傷を魔力で覆って塞いでたの」
「はだ、はだかは!?」
「体温も下がっていたから温めてあげてたのよ。こういう時は人肌で温めるのが良いってね。前に炎魔法でやったらネーヴェに怒られてね。一日経って赤い液体も止まったし、大丈夫そうね?」
「あ、え、あ、あのだ、だいじょうぶ、でひゅ……」
「あまり大丈夫そうではなさそうね」
アウレーリアはパチンと指を鳴らすと、どこからともなくお茶のセットが現れて自動的に紅茶を入れてマルテの前へと送られる。
マルテは飲んだことはないが、良い香りが鼻孔をくすぐる。これ、美味しいやつだ。
「あ、あの」
「飲んで。落ち着くわよ」
「は、はい。ええと、いただきます……」
少しでも力を籠めたら割れてしまうのではないかと思えるくらいに繊細なカップを前に、どうやって飲んだらいいのだろうかと逡巡して美味しそうな匂いに負けた。
ようやく手にしたカップをカタカタと揺らしながら口をつける。
「はふぅ……」
アウレーリアに言われた通り落ち着く味だった。
爽やかな香りが鼻孔を抜けて脳裏に草原を思わせる風を吹かせた。あるいは砂漠を行く軽やかな風を思い出させた。
そうして落ち着くとマルテは自分が何も衣類を身に着けていないことを思い出した。
羞恥心が胸の辺りからかぁっと首を昇って顔をみるみるうちに赤く染めていく。
「あ、ああのあの、服、あたしの服は?!」
「別に構わないでしょう? 興味深い身体だし、このまま見えていた方が話やすいし」
「かかか、構います!? ふ、服を返してください!?」
「あんな擦り切れた服の何が良いのかしら、わからないわ」
「裸よりマシです!?」
アウレーリアがふっと指を振ると部屋の隅に畳まれて置いてあった服が一人でにマルテの前までふわふわとやってきて膝の上に落ちた。
半ば飛びつくように服を手にしてすぐに着替える。
マルテはあとで気が付いたのだが、タルタルーガの爪によって斬り裂かれた場所は綺麗に繕われていた。
「そ、そそそ、それでこ、ここは?」
「わたしが買った屋敷の一室よ」
「お、お屋敷?」
「そう。拠点は必要でしょう? ドラゴン騒ぎと汚染騒ぎで安く買えたわ。たったの金貨十二枚。まあ、本当は高いのか本当に安いのかなんて、わたしにはわからないのだけど」
「へ、へぇ~……」
マルテの場合、金貨が十二枚あれば最低限度の生活をすると二か月――六十日――くらいは、働かずとも暮らせてしまう額である。
それが一日のうちに使われたということで頭が別の意味でくらくらとしてきた。
だから二人で眠れるくらいにベッドが大きかったのか、などと思ってしまう。
それでまたも顔が赤くなって、人様のお屋敷にご迷惑をおかけしてしまったのではと思い至って青くなったりして。
そのころころと変わる表情と赤くなったり青くなったりする様を眺めながらアウレーリアは、隣に浮かぶ羽ペンを動かす。
「あ、あの、ああ、そ、そうだ。お礼。えと、ありがとうござ、いました!」
「何が?」
「あのタルタルーガから助けてもらった、ので……」
「ああ、そんなこと。別に必要ないわ。だってわたし天才だもん」
すごい自信だ、とマルテは紅茶をおかわりしながら思った。
思い出せば、すごい魔法を使っていたからこれくらいの自信は当然なのかもしれないと納得もする。
「さてと、落ち着いた?」
「は、はい。なんとか」
どっと疲れた気はするが落ち着いたのは落ち着いた。
「それじゃあ、あなたの身体について話しましょう。あなたは魔力汚染の中に入っていったのにまったく汚染を受けてなかった。自覚はある?」
「そうですね、はい……」
「あるのね。ふむふむ……じゃあ、背中の傷から流れていた赤い液体は?」
「ええと、怪我したら流れるんです。体質、なのかもしれません……」
「体質ねぇ。聞いたことないし、変な味だったわ。鉄っぽい感じ」
「味……? え? え? なんで?」
「どんなものかわからないから舐めてみたの」
「舐めっ!? ――あだぁ!?」
背中がぞわりとして、思わずアウレーリアから遠ざかろうとしたら勢い余ってベッドから落ちてしまった。
「大丈夫?」
「な、何してるんですか!? 危ないものだったらどうするんですか!?」
「人の身体に流れているものだし。一応、ネズミにも舐めさせて死ななかったのを確認しているわよ」
「そうじゃなくて……」
「本当に興味深い。魔力の代わりに流れる赤い液体に、股のところとか、わたしたちと全然違うし」
「まっ!? や、やめてください、なんだか恥ずかしいです!?」
「お腹の中にわたしたちとは違う臓器もある。しかも
「あ、あの……」
早口でぶつぶつと呟きだし、羽ペンはそれに合わせて高速で紙の上を滑っていく。
それからしばらくして、彷徨っていたアウレーリアの視線が真っすぐにマルテを見据えた。
全てを見透かしていそうな視線にマルテは自然と身がすくむ。
「じゃあやっぱり魔力? そうね、それっぽい。一番大きな差異だもの――あなた、魔力が一切ないわね?」
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