第九十八話 歴史の修正力
1570(永禄13)年12月 於:近江国 八幡山城 浅井長政
もうじき永禄十三年が終わる。
この一年もいろいろあった。
まず正月に本圀寺の変が起きた。
三好三人衆が京に攻め寄せ、幕臣の多くを討った。将軍の威を借りる家柄を自慢するばかりの者たちがいなくなったのは良かったが、忠義の幕臣も亡くなってしまった。
史実を思うように変えるのは難しいと痛感させられたな。
将軍義昭は浅井家の忍びが救い出したが、俺の知る歴史の陰謀好きな将軍とは随分違う雰囲気になっていた。
多くの人には良い面も悪い面もあり、どちらの面が強く出るかは環境によって変わり、サイコロの目のような偶然にも左右されるのかもしれない。
三好三人衆は浅井の武力をもって畿内から追い出し、義兄の信長が二条城を築き、将軍には京に戻ってもらった。
本圀寺の変を生き延びた明智光秀は野に放つとどうなるか不安があるので浅井の家臣とした。
そして二条城は浅井と織田が交替で警護することにした。
そこまでは良かったのだ。
だが、二条城から美濃に戻る途中で義兄は狙撃された。
本能寺の変が起きないように史実を変えていたのに、結局信長は命を落とした。
だが考えてみれば、光秀の謀反が起きないようにはしたが、織田は長島で本願寺と泥沼の戦となり、二条城の造営では日蓮宗の恨みを買い、敵が多い信長の状況を変えることはできていない。
俺は歴史の知識を活かして、浅井家の勢力を伸ばしてきた。
この先にどんなことが起こるか知っていて、誰がどんな裏切りをするのか分かっていることは大きなアドバンテージだ。
だが、知識があったとしても、歴史を思うように変えられたわけではなかった。神ならぬ人の身では当たり前といえば当たり前だが。
前の将軍義輝の死も防ぐことができなかった。
尊敬する武将である信長の暗殺も止められなかった。
どうも歴史には修正力のようなものがあるような気がする。
この世界の日本は既に俺のいた世界の日本とは違う道を進みつつあると思う。
だが違う世界線を進んでいても、歴史の本当に重要なポイントは共通するのかもしれない。
多くの路線が交わる中核となる駅のように、別の道を辿っても同じ場所に着いてしまうのかもしれない。
光秀が謀反をしなくても、暗殺者の凶弾が信長を襲い、違う経路を辿っても信長の死という現象自体は、違う道を進んでいても避けられなかった。
それは歴史の結節点とでもいうべき事象なのかもしれない。
信長の死をなぜ防げなかったのかについては、いろいろ考えた。
暗殺者がいたとして、橘内の配下の忍びたちの目を掻い潜ることはできるのだろうか? もしかすると橘内は警備の手を抜いたかもしれない。
だが、織田は浅井から独立した家なのだから、信長を警備するのは織田家臣の役割であり、橘内の責任ではない。
それに織田が浅井を攻め滅ぼし、小谷城が落城するという俺の知る歴史を橘内には話している。浅井家を大切に考える橘内が、もしも信長を暗殺しようとする者を見逃したのだとしたら、歴史を橘内に教えた俺の責任は小さくない。
忠誠を捧げてくれる家臣であっても、俺の思うとおりに動くわけではない。
様々な立場の人間がそれぞれの思いで行動する。
それでも歴史の結節点となる事象は起きるのかもしれない。
もしそうだとすれば、俺の知る戦国時代の史実のうち、一体どの出来事が歴史の結節点なのかが問題だ。
秀吉は関白となるのか、関ヶ原は起きるのか、一体どの事象が避けられないのか。
浅井家は畿内も抑え、諸大名よりも大きな勢力となっている。
だが、豊臣や徳川が天下を取ることが歴史の結節点なら、その邪魔となる浅井家が滅ぶことも避けられないのだろうか?
考えても答えは出ない。
悩んでいると、小姓が来客を告げに来た。
政元がやってきたようだ。
「よく来たな、政元」
「急にお邪魔してすみません」
「いや、いつ来てくれても歓迎するぞ」
政元は史実では最後まで長政を裏切ることはなかった。政元の為人を見るにつけ、この世界でも裏切りとは無縁の人物だと思う。
信長のように弟を疑わなくて済むのは、俺は恵まれている。
「兄上、お顔の色が優れないようですが」
「そうか? いや、体調は良いぞ」
「では、何か悩みでもあるのでしょうか」
いつになく政元が踏み込んでくるな。
「いや、悩みという訳ではないんだが、この一年のことを振り返っていてな」
「もしかして、信長殿の暗殺を防げなかったことを悩んでおられますか?」
「そうだな。義兄上の死を防げなかったのは残念ではある。だが、俺にとって一番大切なのはお市や子どもたち、政元や結たち、浅井の家族だ。信長の死自体はそこまで引きずっていない」
「なるほど。では私と同じ悩みですか」
「同じ悩みとは?」
「兄上から教えて頂いた歴史では浅井家は滅んでいます。兄上のおかげで今の浅井家は隆盛を誇り、畿内の支配者ともなりました。
しかし、まだまだ武田や上杉、毛利など敵は多く、安心できる状況ではありません。信長殿の死と同じように、浅井の滅びも避けられないのではないかと悩んでいました」
何と、政元も俺と同じように浅井の滅びを心配していたのか。
「確かに同じことを俺も悩んでいた」
「やはりそうでしたか。では私なりに考えた結論をお話しするのは無意味ではないかもしれません」
「おお、是非聞かせてくれるか」
「はい。兄上から聞いた歴史について結や敬子と話し合ったのですが、本当に重要なのは戦国時代が終わり、平和な時代に移行することだと考えました。
歴史では秀吉殿と家康殿が天下を取るわけですが、現状を考えれば織田家の力が落ちることは避けられず、織田家臣である秀吉殿や同盟者である家康殿が天下を取る可能性は低くなっています」
「そうだな」
「そう考えますと、天下を取って平和な時代をもたらす可能性が最も高いのは我が浅井家です。ところで、兄上は朝鮮半島に攻め込むことは考えておられず、戦を好んでおられないと思いますが、それで良いでしょうか?」
「そのとおりだ。俺は戦乱を終わらせたい」
政元は微笑んだ。
「最終的に戦国時代を終わらせた家康殿は朝鮮半島に攻め込んだ秀吉殿とは違い、戦争を起こさないことを重視しました。兄上も同じお考えでです。そうであるなら、平和を築くのは浅井家であっても大きく歴史は変わりません」
政元たちがそんなことを考えていたとは。
「私たち夫婦が考えたことは楽観論かもしれませんが、おかしな考えでもないと思っています。そして、人の生死について、この世界は兄上の知る世界とは確かに変わりつつあります」
「そうかな」
「ええ、実は今日お邪魔したのは、嬉しいご報告のためです」
嬉しい報告とは何だろうか?
政元は嬉しそうな、照れくさいような表情をした。
「実は、結が妊娠しました」
「おお、それは目出度いな!」
「ありがとうございます。私と結が結婚し、子を授かることは兄上の知る歴史には無い出来事です。きっとこの世界は良い方向に進んでいる。私たちはそう思うことにしました」
「うむ。政元のおかげで気が楽になった。確かにこの世界は俺の知っていた世界とは違う。悩んでばかりいてもいけないな。こうなったら浅井が天下を取って、早く戦乱を終わらせよう」
このとき、俺は初めて天下を取ることを決意した。
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