第3話 夜、逃げ出したあと
気がつけば庭園の隅で膝を抱えていた。
一度こぼれ落ちてしまった涙は止めることができず、声にならない嗚咽が漏れる。
──戻る場所も、行く当てもない……。これからどうしたら……。
いつもそうだ。肝心なところは予知夢で見られない。
身を丸めて、うずくまった瞬間。
「君、大丈夫?」
透き通るような男性の声が聞こえた。
目を真っ赤にしたまま顔を上げると、そこには見知らぬ男性が立っていた。
精巧に仕立てられた
年齢は自分より少し上、二十歳くらいだろうか。
赤褐色の髪が風に柔らかく揺れ、切れ長な目の奥にある色素の薄い茶色い瞳が印象的だった。
──この人に言ったところで、何も変わらないもの……。
もうこれ以上に惨めな状況なんてないだろう。
それなら話してしまった方が、まだ気持ちが楽になるかもしれない。
どうせ、ここにいる人たちはもうすべてを聞かされているのだから。
そう思い、重々しく口を開いた。
「つい先ほど、ダニエル侯爵に婚約破棄を言い渡されました……。必要な時に予知夢が見れないから、もういならい、と」
きっと安っぽい慰めや同情の言葉が返ってくるだろうと、そう思いながら話した。
けれど、彼の反応は予想とはまったく違っていた。
「へえ! 君、予知夢なんて見れるの!」
明るい声が響き、彼の顔には笑顔が広がっている。
その瞬間、涙が少し引っ込んだ気がした。
「いつも見れるわけではないですし、見ようと思って見れるものでもないんです……。必要な時に見れなくては、意味がありません」
そう口にした瞬間、不甲斐ない自分を恨むかのように目を伏せた。
「なんで? 意味なんて、なくていいじゃん」
白い歯を見せて笑いながら言った彼の言葉に驚きながらも、どこか少しだけ心が軽くなった気がした。
自分の存在価値は、予知夢を見れることにあるとずっと思っていた。それがダニエルとの婚約の理由でもあったからだ。
だが、予知夢が思うように見れない自分には何の価値もない。
そう感じた矢先だった──。
出会ったこの人は、夜なのにお日様みたいに明るい。
よく聞く言葉ではあるが、実際にこういう人に遭遇すると、これ以外の表現が思いつかないと実感した。
「うん! 決めた! 君、うちに来なよ」
「……え?」
「俺、君に興味沸いちゃった」
突然の言葉に空いた口が塞がらなかった。
いきなり過ぎて、なにも反応できない。
けれど彼の瞳は真剣そのもので、無意識にその瞳に引き込まれてしまう。
──なんて大胆な人……。
なぜか嫌いになれない。まっすぐで、心からの笑顔がとても素敵だと思った。
「ね。名前、教えて?」
彼はその笑顔のまま尋ねてきた。
眩しいくらいの笑顔は沈んでいた胸の中を明るく照らしてくれるようで、つい目を奪われてしまう。
「エリーナ……」
「エリーナ! 今日からよろしく! 俺はアレックスね」
彼の一挙手一投足からは、少年のような純粋さと無邪気さが感じられる。
そんな彼の姿に、胸の中にあったわだかまりが少しずつ溶けていくのを感じ、同時にアレックスに対する親近感が自然と湧いてきた。
「えと……アレックス様はどうしてここに? お披露目には、いなかったんですか?」
その問いにアレックスは考え込む様子もなく、軽く肩をすくめながら答えた。
「お披露目とか、なんか退屈そうじゃん。酒も料理も堪能したから夜風に当たりに来てたらエリーナがいたんだよ」
彼はまたにこりと笑う。
本当に、少年のように思ったことをそのまま口にする人だ。
──きっと、気取らない人なんだろうな。
豪華で
「あ、エリーナが笑った。やっぱ笑った方が可愛いって」
その言葉を聞いた瞬間、みるみると頬が熱くなった。
微笑んでいるアレックスの瞳は、星屑を映しているかのようにきらきらと輝いている。
「外に迎えの馬車を呼んである。さ、行こう」
アレックスはそう言って、軽やかな手を差し出してきた。
戸惑いながらも彼の手のひらに自分の手を重ねた瞬間、予想もしなかった温かさと安心感が身体中に広がっていく。
この温もりが私の世界を変えてくれる、そんな気がして胸が高鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます