第3話 姫騎士との生活

 我が家は、住宅街にあるマンション『さざなみハイツ』の303号室だ。築30年ほどの2LDK。もちろん俺の持ち物じゃない、親父のものだ。だけど、親父は海外で働いていて日本に帰って来るのは年に数回。ちなみに、別に海の近くにある訳でもないのに何故『さざなみハイツ』なのかは不明。


「ふむ、ここがアキトの家か……」


 そんな事を呟きながら玄関から家の中を見回すリーゼロッテ。


「なんだ?お前んの別荘の物置より小さな家でびっくりしたか?」

「そうではない。もっとも、我が王家の別荘の物置より小さいのは確かだが……」


 それは事実なのかよ。


「それよりも……ここが君の生まれ育った家なのだと、ふと思ってな。まさか、君の家に来る事になるとは魔王討伐の旅をしていた頃は思ってもいなかった」


 魔王討伐の旅を懐かしむような、それを成し遂げた事を改めて喜ぶような……そんな表情で微笑むリーゼロッテ。ずっとこういう表情してればけっこう可愛いんだけどな、こいつ。


「まあ上がってくれよ。あ、靴は脱ぐんだぞ」


 俺はリーゼロッテを家に上げ、リビングのソファに座らせる。そして冷蔵庫を開け、麦茶でも出そうかと思いながら問いかけた。


「あ……そう言えばさ、腹減ってないか?」

「かなり空腹だな。何しろ、この世界に来てから何も食べていない」

「マジかよ!それ早く言えよな」


 今日の昼休みは屋上で話をしていたせいで俺もリーゼロッテも昼飯を食べていない。だけど、リーゼロッテがその前から何も食べていないというのは予想外だった。しかし、空腹である事を微塵も感じさせないとは……武士は食わねど高楊枝、ならぬ、姫騎士は食わねど高楊枝、とでも言うべきか。


「ちょっと待ってろよ。すぐ準備するから」


 俺はキッチンに行くと、鍋に火を入れて昨夜の残りのカレーを温めた。さらに皿にご飯の乗せ、温めたカレーをその上にかける。


「さあ、どうぞ。――って言っても、昨夜のカレーの残りだけどな」


 俺はソファの前のテーブルにカレーの入った皿を置く。


「この料理は君が作ったものか?」

「まあな」

「そうか……」

「いいから、さっさと食えよ。冷めるぞ」

「承知」


 リーゼロッテはスプーンでカレーを掬うと、それを口に運ぶ。そして口に入れた瞬間、その体がビクリッと震えた。


「くぅっ……」

「どうした、リーゼロッテ!?」

「なっ……なんという美味びみ……!」


 そう叫ぶなり、リーゼロッテは続けて、二口、三口と口に運んでいく。そして「これは……!」とか「なんという味……!」とか呟きつつ、瞬く間にカレーを食べきってしまった。そして、伺うような視線で俺を見上げる。


「そ、そのぅ……」

「なんだ?おかわりもいいぞ」

「い、いいのか?」

「ああ……しっかり食え」


 俺はキッチンに戻っておかわりをよそってやった。そして、それをリーゼロッテに差し出す。


「おいひい……!」


 と、おかわりを頬張るリーゼロッテ。こんな風に喜んで食べて貰えれば、作った俺としても悪い気はしない。そして結局、リーゼロッテは炊飯器の中のご飯と鍋の中のカレーが空になるまで食べきってしまった。


「はふぅ……」


 ソファにもたれかかりながら、リーゼロッテは満足げに呟く。


「美味しかった……。まさか、こんなにも美味なる料理が存在するとは……。君が料理上手な事は知っていたが、これ程とは思わなかった」

「別にそこまで料理上手な訳じゃないけどな。魔王討伐の旅で俺が料理担当だったのもメンバーがみんな料理下手だったからだし」

「そうだな。『魔導令嬢』も『大聖女』も料理は下手だった」

「お前もな、『姫騎士』」


 魔王討伐パーティは俺以外全員が高貴な生まれなだけあって料理は壊滅的だったんだよなあ……。正直、俺がいなかったら魔王軍にやられる以前に飢え死にしてたんじゃないかと思う。


「しかし、本当に驚いた……。こんなにも豊かな味のする料理には見えなかったからな。何しろこの食べ物、見た目はどちらかと言うと汚物に似ていて」

「それ以上言うな!」

「いや……とにかく美味しかった」

「満足してくれたなら何よりだ」


 片付けのために俺がキッチンに向かうと、その後ろでリーゼロッテが小さく何か呟いた。


「アキトと結婚すれば毎日この料理が食べられる、という訳か……。やはり、何としてもアキトを夫にしなければならないな……」

「ん?何か言ったか?」

「いや、何も」



 食事を終えた後、俺達はしばらくの間昔話に花を咲かせた。リーゼロッテと喧嘩した話、『魔導令嬢』と喧嘩した話、『大聖女』と喧嘩した話――話題はいくらでも尽きる事がなかった。え?喧嘩した話ばっかりだって?それは、まあ……うん。


 そしてそうこうしている内に夜になり、俺は風呂を沸かせてリーゼロッテを風呂場に案内した。


「この蛇口を捻ればお湯が出るから。で、このレバーでシャワーとの切り替えな」

「ふむ。承知した」


 異世界ゼバルギアにいた頃から、俺は現代日本の文化についてリーゼロッテ達にちょくちょく話をしていた。だから現代文明に対して、リーゼロッテは意外に飲み込みが早い。


「服を脱いだら洗濯機の中に適当に放り込んでおいてくれればいいから。……あ、そういえばお前、着替えとか持ってんの?」

「ああ。この中にある」


 と、リーゼロッテが持ち上げたのは学校にいた時からずっと持っている革製の鞄だ。留め金部分にファルツバルト王国も紋章が描かれている所を見ると、異世界から持って来たものなのだろう。


「じゃあ、着替えは大丈夫だな。それじゃあ、ごゆっくり」


 俺はリーゼロッテを残してリビングへと戻った。


「さて、どうするかな……」


 俺はソファに座り腕組みをする。何を悩んでいるのかって?それはもちろん、リーゼロッテをどうやって諦めさせるかだ。


「いや、別に無理して諦めさせる必要はないのか?あいつと結婚しちゃえば……いや、やっぱないな」


 俺は頭を振った。やっぱり俺はあいつを結婚の対象として見る事なんて出来ない。それに何より……。


「あいつを……自由にさせてやらないとな」


 俺は知っている。リーゼロッテ・リ=フェール・ファルツバルトは生まれながらに宿命を背負った少女だったという事を。その宿命とは――すなわち魔王討伐。


 異世界の魔王には、ある絶対的な力がありそれに対抗出来る者は世界に数名しかいなかった。リーゼロッテはそのうちのひとりだ。だからあいつは子供の頃から、魔王を倒すために遊ぶ暇もなく剣術の修行に明け暮れていたらしい。あいつが天然というか変な所で生真面目な性格なのも、王族だからという事に加えて剣術に打ち込んで来て世間知らずだからってのもある(と、俺は勝手に思ってる)。


 とにかく、リーゼロッテは魔王討伐のために人生を捧げてきた訳だ。


「魔王討伐を成し遂げたんだから――今度こそ自由に生きろよ、リーゼロッテ」


 今まで17年間、自分の宿命のために人生をかけて来たんだ。王族の面子とか、親が決めたからだとか、そういう事であいつをこれ以上縛りたくはなかった。


「まあ、あいつの前じゃこんな格好つけた台詞恥ずかしくって言えないけどな……」


 それに、あいつの事だから俺の言葉に反発して余計に頑なになる可能性もある。さてさて、どうしたもんか……。


 そんな俺の思考を打ち切るように、廊下の方から人が近付いてくる音が聞こえた。そして、リーゼロッテの声。


「アキト、風呂から上がったぞ」

「ああ、そうか。それじゃあ次は俺が風呂に……」


 と顔を上げた瞬間、俺は硬直する。何故ならば俺の眼前に飛び込んで来たのは――リーゼロッテの裸の姿だったからだ。

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