04 豊臣秀吉

 九条忠栄くじょうただひではお微行しのびで大坂城を訪れた。

 豊臣秀頼との二人きりでの対面を望み、山里丸にある茶室に招じ入れられた。

 ちなみにこの山里丸という曲輪は、秀頼と茶々が終焉を迎えた場所として、後に知られることになる。


「こたびはお忙しい中、まかり越したこの身に、秀頼さま御みずからお茶をたまわるとは、光栄の」


「くだらん世辞はいい」


 秀頼は巨大な体躯を窮屈そうにして、茶室に入った。

 床に置いたその刀は、噂の一胴七度か。

 茶室にまで佩いて来るとは、よほど気に入ったと見える。


義姉あね上の相手だ、粗略にはできぬ……できぬがゆえの、茶の湯じゃ」


 わざわざ城主の間に招いての歓待などやる時間や余裕が無いから、という風にも見える。

 だがお微行で来たのはこちらだ。

 文句は言えぬ。

 忠栄は堂上公家らしい挙措で秀頼の茶に応じた。



「で?」


 これでは公家の公達きんだちではなく、まるで山賊か何かのようだ。

 忠栄は床に置かれた一胴七度をちらりと見てから、茶碗を下ろした。


「他でもござらん、秀頼どの、昨今のご乱行、目に余る。どうか控えられよ」


「何だ、そんなことか」


 秀頼はいかにもつまらぬという風で、耳をほじった。

 野卑なふるまい。

 それもまた、父の子であるというあらわれか。


「秀頼どの」


 忠栄は思い切って、床の一胴七度をつかんだ。


「おやめくだされませ。そのような乱行を召されたところで、すなわちはどうともされませぬ」


「たっ」


 忠栄どの、と言おうとしたらしい。

 秀頼は思い切り目を剥いて、つかまれた一胴七度を取り戻すことも忘れ、そのまま忠栄を見つめつづけた。


「やはり、そう思われておられたか」


 沈黙する秀頼。

 忠栄はその手につかんだ一胴七度に目を落とした。


「しかし、だからといって、そのような振る舞いをして、何になるのでしょう。お父上が生き返るのでしょうか。お父上の子であると証されたいのか。だとしても、豊臣の家は破滅に」


「滅びればよいのじゃ」


 秀頼はぽつりと言った。

 あれほど蝶よ花よと大事に育てられ、やがては豊臣の家を背負うことを運命づけられた子が――豊臣の子が、その滅びを口にした。


「滅びればよいのじゃ。このような、破倫の家など、滅びた方がよい。わが父、豊臣秀次を使い捨てのように殺す家など」


「…………」


 今度は忠栄が沈黙する番だった。

 そしてもう一度、あの夜の、完子の乳母の発言を思い出す。


 ──何にせよ、めでたきこと……完子さまが嫁がれ、そして秀頼さまも、今改めて見ますと、何と見事な男ぶり。まさに豊臣の子。お父上の関白さまを見ているようでございます。


 お父上のさま。

 他でもない、完子の乳母すなわち豊臣秀次の侍女だった女が、そういうことを言うと。

 当時十一歳だった秀頼には、そのちがいに気づかなかったであろう。

 と、のちがいに。

 だが気づいた者がいた。

 その者の名は茶々。

 茶々はその発言の危険さに気づいて、あとで乳母を呼びつけ、問いただしたのであろう。

 だからこそ、城主の私的な空間の一室で、乳母は死んでいたのだ。

 城主あるいは城主の家族でないと入れない空間、その一室で。



兄上鶴松が死んだのが始まりだった」


 秀頼はぽつりと、そう語り始めた。

 豊臣秀吉は、やはり自分のたねでは子はせぬと思い至ったらしい。

 ならどうするか。

 ふと、おのれの後継者に擬した、豊臣秀次のことを思い出した。


秀次アイツは子がいる」


 その時の秀吉の心境はどうだったであろう。

 おのれの血筋を残せないことの悔しさか。

 豊臣家というしくみの不安定への歎きか。


「…………」


 秀次にはまだ、石田三成のような能吏をつければ、何とかやっていけるであろう。

 だが、秀次の次はどうか。


「これがおれ豊臣秀吉の子であるならともかく、甥である秀次の、さらにその子となれば、なめられるであろう」


 豊臣家の臣ですら、「若造」と秀次をなめる者がいる――たとえば、福島正則のような。

 そうでなくとも、徳川家康のような潜在敵がそのような隙を見逃がすであろうか。


「……ひとつ、しかけるか」


 秀吉はひとりごちた。

 そして誰にも言わずに、そのしかけを作り上げ、実行した。

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