03 豊臣秀次
豊臣秀次という関白がいた。
秀吉の姉・ともの子であり、つまり秀吉の甥である。
かつて、秀吉に子がいなかったため、豊臣家の二代目と目されていた。
秀次は文武両道で、特に剣術を極め、一胴七度なる名刀を所持していた。
「これで豊臣は磐石」
しかし、茶々が懐妊した時点で、運命が狂い始めた。
それでも秀吉と茶々の最初の子、鶴松が生まれた頃はまだ良かった。
鶴松は体が弱く、いつ死ぬかわからなかった。
それならば、秀次はまだ関白でいられた。
案の定、鶴松は二歳になるかならぬかで死んでしまう。
これで秀次の二代目は確定かと思われた。
が。
*
「豊臣の子が、また生まれたか」
豊臣秀頼の誕生である。
そして秀頼は、兄よりは長く生き延びた。
「ほう」
秀吉は付け髭をいじりながら、秀頼の二歳の誕生祝をすることにした。
すなわち、秀次からの関白職剥奪、ならびに切腹である。
「……うう」
秀次はうめいた。
秀吉と秀次の仲は少なくとも表面上は良好だった。たとえば、吉野に共に花見に行ったり、あるいは朝鮮から取り寄せた虎の骨を二人で分け合っていた。
それが切腹である。さらに。
「な、なぜ妻や子まで」
秀次は叫んだ。
秀吉は秀次の切腹だけでなく、秀次の妻妾、子女、すべてを――秀次とその一族のすべてを、ほぼすべてを死罪に処した。
理由としては、秀次が謀叛を企んだだの、悪行(罪人を自ら斬り殺す、辻斬り、妊婦の腹を
これにより、秀次はある異称を得た。
すなわち、殺生関白と。
*
「これでは、秀次どのと同じぞ」
そういえば秀頼が手に入れた刀というのも、よく考えたら秀次の
「なぜこんなことに」
そう問わずともわかっている。
「何かとは」
このままでは、下手をすると徳川家による豊臣家への介入を招く。
「それだけは避けねば」
九条家としては、豊臣家は、ゆるやかに徳川家に臣従してもらいたい。
もはや豊臣家に昔日の勢いはない。
ならば、義弟である秀頼には、一公卿として、その生を
「世は泰平に向かいつつある。今さら、誰も
何より、秀頼が身を滅ぼすような真似は、させたくないというのが忠栄の真情だった。
「会いに行こう」
会って、諌めるべきであろう。
今なら、四辻与津子の話をするという名目もある。
「それにしたところで、やはり……猫、否、乳母の死について考えておかねば」
忠栄は、妻の完子から改めて乳母の怪死事件の話を聞き、その直前の、豊臣家の内々の集まり──茶々、秀頼、千姫、完子とその乳母の集まり──の話を聞いた。
「乳母の発言を千姫さまが受け、そして茶々さまが黙りこくった……無表情だった……その間」
何か、引っかかる。
それが、改めて婚儀の前夜の話を振り返った時の感想だった。
「なぜ、あのような間が」
千姫は徳川の姫である。
しかし、茶々から見て、妹の江の娘、つまりは完子の妹。
だというのに、なぜ。
「その言葉を無下に」
敵意があったとして、少なくともあの場、あの集まりでは。
「何か返しをできたのでは……取り繕う言葉でも、『ええ』でも、『そう』でも……」
もう一度、振り返ってみよう。
乳母は、何と言った。
──何にせよ、めでたきこと……完子さまが嫁がれ、そして秀頼さまも、今改めて見ますと、何と見事な男ぶり。まさに豊臣の子。お父上の関白さまを見ているようでございます。
「…………」
完子の記憶が正確ではなく、ところどころ、ちがうかもしれない。
そのため、何度も聞いてみた。
すると、言い回しなど、細かいちがいはあるが、前述の言葉を繰り返して答えた。
つまりは、間違いは無いと思われる。
ではなぜ、乳母の言葉が忠栄の心に引っかかるのか。
「関白か」
豊臣秀吉が望んだ官職。
豊臣秀頼が望まれる官職。
「それは、この九条忠栄が就いた官職」
「待て」
自分は今、何を考えた。
引っかかる。
いや、引っかかりの根がそこにある。
太閤殿下。
「あ」
この時をのちに振り返り、九条忠栄は氷解した喜びと同時に、凍りつく恐怖を味わった。
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