第32話「闇の会議室と朽ちた痕跡」

 奥の会議室へ静かに入った俺たち六人。

 壊れたドアを越えた先は、やはり広めのスペースだったが、湿気とカビ臭がいっそう強く、足元には謎の“液痕”が薄く広がっていた。人の血か、モンスターの体液か——ここまで来るとどちらとも言えない不気味さがある。


「うわ……気持ち悪いな。床がネバついてる」

 小野田が吐き捨てるように呟き、そっと足をずらす。工具を片手に構えつつ、周囲を警戒している。


「そっち側、異常なし?」

 橘が部屋の左側を見張りながら、小声で確認する。扉を潜ってすぐの場所で、俺たちは二手に別れて左右を確認しているのだ。

 北村が短く答える。「まだ何もいないな……でも、油断はできねぇ」


 リナは後ろから“士気アップ”を維持するための詠唱をうっすら継続中。詠唱型の支援スキルゆえに息を止めていて、緊張が伝わってくる。

 藤崎は鉄パイプを握りしめて、リナの隣に位置取り、後衛を護るようにしている。



「……広いな」

 俺は懐中電灯を抑えめに照らしつつ、床を見渡す。倒れた長机やホワイトボード、書類の散乱が目に入るが、人やモンスターの姿は見当たらない。

 ただ、不自然に“血痕”が奥の隅へと続いているように見える。まるで誰か(あるいは何か)が重い体を引きずって移動した跡だ。


「なあ、これ……あの大型の異形が倒れた場所から来たんじゃないだろうな?」

 北村が険しい表情で足跡(?)を覗き込む。少し泥混じりの乾いた血のようにも見えるが、かなり前のものかもしれない。


「いや、分からない。とにかく、奥へ続いてるのは確かだ。行ってみるか……」

 俺は一行を促し、重い机を少しずつどかしながら、奥へと進んだ。


「……なんだ、ここ……」

 視界が開けた先は、会議室の末端。壁際に棚が並んでいて、折り畳み椅子の山が崩れ落ちている。

 よく見ると、床に“空の保冷ボックス”のようなケースがいくつも転がっていた。カビが生え、割れているのもある。


「昔、この部屋で何かイベントやってたのか? 保冷用のクーラーボックスがこんなに……」

 小野田がしゃがみ込んで手に取ろうとする。すると、なぜか中からゴロリと**骨のような破片**が転がり出た。


「うわっ!? な、なんだこれ……!」

 慌てて手を引く小野田。北村が横から覗き込むと、確かに骨らしきもの。しかし、人間なのか、動物なのか、どこか不自然に割れた形をしている。茶褐色に変色し、腐敗臭はないが、薄い嫌な臭いが残っていた。


「異形にやられた人の骨……かもな。もしくは犬型モンスターの骨かもしれんが。いずれにしろ気味悪い」

 橘が抑えた声で言う。その声音には動揺が混じる。


「……ここで食い散らかされた、ってこと?」

 藤崎が青ざめた顔で呟く。気の弱い彼は手が震えているが、歯を食いしばって視線をそらさない。


 俺はさらに壁際を照らす。棚の奥には新たな異形が潜んでいる気配はない。ただ、塊のような汚れがこびりついていて、一目で見たくない光景だ。どうやら、ここで**モンスターが捕食**行為をしていたか、あるいは“変異”の痕跡かもしれない。


「ん? 待って……棚の裏、微妙な隙間があるぞ」

 北村が視線を鋭くして、その奥を覗き込む。なるほど、家具が倒れて塞いでいるが、その先に通路のような空間があるかもしれない。


「こんな大きな会議室の壁に通路? 非常口か、あるいは隠し仕切りか……」

 橘が静かに言う。マップ上には記載されていないスペースだが、大規模オフィスではときどき“収納スペース”や“資材置き場”が壁裏にある場合がある。


「鍵のかかった扉があった場所と繋がってるのかもしれない……。ちょっと動かしてみよう」

 俺は仲間に合図して、奥の棚を少しずつずらそうとするが……重い。中に書類や金属板が詰まっているのか、まったくビクともしない。


「くそ、静かにやるの無理そうだな。手伝ってくれ、小野田」

「おう。多少音が立っても仕方ない。警戒しとけよ!」

 小野田と俺、そこに橘が加わり三人がかりで力を込めると、棚がギギギ……と動き出す。隣で北村と藤崎が武器を構え、リナは支援士の詠唱を強める。


「一気に、いくぞっ……せーの!」

 棚をどけると、壁に扉が半ば埋もれた形で現れた。さっきの施錠会議室とは別ラインだ。ドアノブを試すが、そちらは鍵はかかっておらず、少し固いが回りそうだ。


「……開けてみるぞ。北村、頼む」

 俺が北村に目配せすると、彼は盗賊ジョブの身のこなしでドアの隙間に背をつけ、ゆっくり回す。

 音がギィッと鳴り、扉がわずかに開く。そこから冷たい空気が一気に流れ込んできた。


「通路……になってるのか? 暗くて何も見えねえ」

 藤崎が懐中電灯を差し向ける。狭通路が奥へ続いているようだが、真っ暗で先を見通す事は出来ない。


「もしかして、非常階段の裏か、設備スペースかもしれない。……行くか?」

 橘が確認するように問う。俺は頷き、もうここまで来たら進むしかないと決心する。


「リナ、士気アップを維持して。入り口で待機してくれてもいい。無理はするな」

「うん。分かった……でも大丈夫」


 最前列は俺と北村。後ろに橘、小野田、藤崎が続き、リナは一歩後方で詠唱を重ねつつ、安全を確保する。

 通路をゆっくりと進むと、コンクリ壁の配線や配管がむき出しになっていて、まさに“裏設備”のような雰囲気だ。


「……なんだこれ」

 北村が先頭で立ち止まる。懐中電灯の光が、壁面に赤黒い文字のようなものを映し出しているのだ。

 かすれたスプレーペイントで描かれたのか、「HELP」とか「RUN」とか、英単語が雑に書かれた痕がある。映画のホラーシーンのように、血文字にも見えなくはない。


「誰かが……閉じ込められて書いたのか? それとも何かの警告か」

 小野田が眉をしかめる。英語の単語がいくつか乱雑に重なっている。かすれかけているため、いつ書かれたか分からないが、このビルで誰かが必死に残した跡かもしれない。


「RUNとかHELPとか……まんまホラーじゃねーか。嫌な感じだな……」

 藤崎が声を震わせる。確かに、異形や危機が迫る中で誰かが逃げながら書いたのかもしれない。


「進むしかない。気を引き締めろ」

 俺が短く言うと、北村は更に二、三歩進んで……そこで急に止まった。


「やべ——! 何かいる……!」

 ドクンと心臓が跳ねる。通路の先、暗闇の奥に、うずくまるような人影が見える。背中がこちらを向いているのか、じっと動かないようだが、白い服がかすかなライトを反射している。


「……異形か……? それともまた変異途中の……?」

 橘が警戒を強め、ナイフを構える。小野田はパイプを構え、リナは息を詰める。


「動いてない……けど、油断するな」

 俺は一歩前へ出て、その人影に静かに声をかける。


「……そちらの方……聞こえますか?」


 しんとした闇。返事はない。

 人影に近づくと、その姿が見えてきた。血のような汚れが背中にこびりつき、髪はぼさぼさ。

 肩の上下も呼吸している様子はなく、嫌な既視感が身体を貫く。まさか、また“人型モンスター”か……?


「藤崎、リナ、少し下がれ。万が一暴れたら俺たちで抑える」

「わ、分かった……」

 リナが後方へ退き、藤崎も従う。


 北村と俺がそっと懐中電灯を当てると、相手の背中——白いシャツが茶色に染まり、皮膚が一部むき出しになっていた。腐敗臭のようなものが漂い、足元には乾いた血がこびりついている。


「こいつ……死んでる? まさか立ったまま、もしくは座ったまま……」

 小野田がぞっとした口調で言う。


「一応、突っついてみるしかねぇな……」

 橘が慎重にナイフの柄で肩を突こうとする。しかし——その瞬間、人影がギクシャクと身体を揺らし、ゆっくりと首を回した。


「……っ!」

 俺たちは身構える。目を見開いてこちらを振り返ったその顔は、**人というよりも異形の兆候**をまとっていた。

 頬がそげ、肌の一部が黒ずみ、唇が裂けている。その瞳は焦点が合っていないのに、わずかにこちらを捕捉するように歪む。


 —ゴリッ、と骨が鳴る音がした気がする。

 次の瞬間、その“人影”が妙な発声をしながら立ち上がろうと動き出した。


「ハジメ、来るぞ!? どうすんだ」

 北村が焦り気味に身構える。こちらを完全に敵と認識したわけではなさそうだが、不自然に腕を振り回している。


「明らかにヤバい。異形化途中か、ほとんど死んでるか……」

 橘がナイフを向けてゆっくり後退。小野田もパイプを構え、藤崎は「うっ……」と押し黙る。


(またかよ。こんな形で“人間”が……)


 俺は苦渋の末、声を落として仲間に指示する。「排除するしかない。どう見ても普通の人じゃない。ここでやられるなら……」


「分かった。やるぞ!」

 北村が拳を握り、盗賊スキルで素早く背後に回る。異形化した人影はうめき声を上げながら、こちらへ腕を振り上げ——。


「ごめんな……!」

 俺は斬撃スキルを意識し、強めにパイプを横から薙ぎ払う。

 鈍い音とともに、異形は体勢を崩し、北村が**急所狙い**の一撃で脚を砕く。

 ガクンと膝を折って倒れ込むが、それでも腕を伸ばして掴みかかろうとする様が恐ろしい。


「くそ……!」

 藤崎が軽く悲鳴をあげ、最終的に橘がナイフで首元を一刺しして止めを刺した。

 ビクンと身体を痙攣させたのち、動かなくなる。血が飛び散るでもなく、粘液のような黒い液が床に落ちた。



「……悪い。でも、こうするしかなかった」

 息を切らせながら、俺は異形化した人影を見下ろす。言葉も出ない。

 同じ人間だったはずが、もう戻れない姿。俺たちは再び苦い選択を迫られた形だ。


「ハジメ……」

 リナが後方から近づき、かすかに震える声で囁く。「やっぱり、もう人が“こう”なってるケース、増えてるんだね……」


「そうだな。ここはもう……。奥には何があるか分からんが、とにかく、進むしかない」

 北村や橘、小野田、藤崎も沈痛な表情で頷く。

 たった今、戦闘といっても一方的に処理する形になったが、それでも仲間同士のコンビネーションが良くなってきたことを感じる。こうでもしなきゃ、“人型”の恐怖に飲まれちまうだろう。


「まだこの通路、続いてそうだ。先に進めば、何かあるかも知れない。……無駄に血見るだけならゴメンだが、拠点の安全がかかってる」

 橘がナイフの血を拭き取り、淡々と言う。みんな無言ながら、同意は固い。


 ——**六日目の午前**。4階の奥で出遭った謎の通路のさらに先へ、俺たちは行かねばならない。

 **異形化**の事実を目の当たりにしながらも、撤退できる余裕はない。作戦通り、このフロアを制圧するために——。


「行こう。あとどれくらいあるか分からないが、気を引き締めろ。次に出てくるのが“大型”かもしれない」


 息を呑む仲間たち。それでも誰一人、後ろへは下がらない。

 **ユニークスキル**を抱える俺自身も、どこかで覚悟を決めていた。ここで怯んでいては、拠点が危ういし、チュートリアル最終日に耐えられるわけがない。


——こうして、俺たちは**さらに深く**4階の謎の通路を進んでいく。隠された痕跡と、また一つ踏みにじってしまった人間のかたち。

**だが、先へ進むしかない——それが、この世界を生き延びる唯一の道だから。**

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