18 星新一『ボッコちゃん』
カクヨムで、ある方が星新一について書かれているのを最近読んで、
「星新一は『卒業するもの』と言われている。たしかにそうかも知れないが、『たまには同窓会を開きたくなる作家』でもある」
といわれているのに深くうなずきました。
カクヨムで活動されている方なら、たぶん多くが星新一を卒業されたのだろうと思います。卒業するからには入学したわけで、しっかり星新一から学んだわけです。そして学んで吸収したことが知らず知らずのうち骨格の一部を構成していることでしょう。
かくいう私も、たっぷり星新一の養分を吸収して育ちました。小学生のときに出会って夢中になり、中学校に上がるまでのあいだに、手に入るものはほとんど読み尽くしたと思います。
そんな我らの星新一について、なにが魅力で、なにを私たちに植えつけていったのか、を今回は考えていきます。(勝手に皆さんひっくるめて「我ら」と見なして話を進めますが、ご了承くださいませ)
星新一になにか肩書をつけるとすれば、「SF作家」ということになるようです。
それはまあ正しいのだろうと思いますが、私としては「ショートショート作家」と呼びたいところです。おそらくその肩書をつけられるのは星新一ぐらいしかいないんでしょうけれど。
ショートショートという形式を日本で広め、多くの作家たちも追随してショートショート作品を生み出し、おかげですっかり小説の一形式として根付きました。(試しにカクヨムで「ショートショート」で検索すると、約2.4万の作品が出てきます)
星新一がいなければ、これほどの隆盛はなかっただろうし、そもそもショートショートという言葉さえ定着しなかったかもしれません。
まさに「ショートショートの神様」と呼ばれるに相応しい存在です。
彼のショートショートの題材は多種多様。
SFだけでなく、ファンタジーや怪談、推理、サスペンスに時代物、もちろん現代モノも多数とりそろえています。
登場人物も幅広い。善人も悪人も、犯罪者も被害者も、天才からおっちょこちょいまでさまざまです。
職業は、殺し屋、詐欺師、泥棒、ヤクザ、バーテン、ホステス、金貸し、販売員、科学者、発明家、サラリーマンに自営業、、、もちろん無職も。
小説の舞台も、登場人物の類型も、これらを読めばぜんぶ網羅できるんじゃないかというほどです。
よく「
そういえば、千夜一夜物語の存在を知ったのも、たぶん星新一からでした。
ほかにも星新一を通して知ったことはたくさんあります。小学生という、好奇心旺盛でなんでも吸収する時期に、星新一は最上の、まだ見ぬ世界への案内者でした。
例えば『進化した猿たち』という、アメリカの一コマ漫画を紹介したシリーズがあって、世知辛く・いやらしく・たくましく、道徳的にはけっして誉められたもんじゃないけどユーモアで世を渡る大人たちの世界は、子供の目には新鮮でした。
・貧乏を装って税務署の追及をかわそうとしていると警備員がやってきて、「困りますよ旦那、ロールスロイスをあんなとこに駐車しては」なんて言いだすから貧乏作戦失敗・・・
これで高級車とえいばロールスロイスなんだ……と知るとか、
・若奥様が
夫婦といっても浮気するもんなんだな、とか。あと、「間男」って言葉もたぶん星新一で初めて知ったような。
アメリカンジョーク、というのがどんなものかも、これを読んでいたおかげでだいたい理解できたような気がします。
SFの基礎知識も、星新一から教えてもらったことがたくさん。
アシモフを知ったのも、彼の「ロボット三原則」も、それから「ロボット」という言葉がチェコ語の「労働」に由来することとかも。
推理小説の世界では、江戸川乱歩の筆名がエドガー・アラン・ポーのもじりであることとか。
さて、そろそろ『ボッコちゃん』について語りましょう。
数ある彼の作品からこれを取りあげたのは、まず第一にタイトルがきわめて秀逸だからです。
もちろん内容もおもしろく、星新一作品の典型でもあります。
ボッコちゃんは超美人の
でも、これが例えば美人女優的な「小百合」とか「節子」とかだと
なにより「ボッコちゃん」という名の際立ったユニークさで、読者の心に深く刻まれました。
だいたい星新一の小説は、固有名詞を出さないで済ませることがほとんどです。登場人物は「男」とか「女」とか「博士」とか。それで済ませられるのは、一話に出てくる人数が少ないから。物語の面白味は最後のどんでん返しにあるので、そこを最大化するためには、余計な装飾をはぎとった方がいい、というわけです。
固有名詞の代わりに頻繁に登場するのが「エヌ氏」です。これは本のタイトルにもなっている。(『エヌ氏の遊園地』)
なぜ「エヌ」なのか? 調べてみると、「Nobody」のエヌらしい。(真偽のほどはわかりませんが)
ついでに本人の弁によると、アルファベットの「N」だと文章のなかで目立つからカタカナの「エヌ」にしたそうな。こういうところも、余計なものを削っていく工夫ですね。
『ボッコちゃん』も、登場人物は最小限、個性の描写も最小限に抑えて、舞台や小道具の説明も簡にして要を得たものです。
人の個性がうすいのも星新一作品の特徴です。それなりの個性はあってもステレオタイプで、奥行きというか、その
主人公に過度に感情移入したり、敵役を憎んだりしないで話を楽しめる。星新一の特長としてよく「リーダビリティの高さ」がいわれますが、こんなところにもそれが表れています。
ショートショートの魅力とはなにか? と考えたとき、
一つはその名の通り短い物語であること、だから読みやすい。であれば、リーダビリティを磨くのはプロとして当然の矜持でしょう。
かくして、星新一の文章では、感情の微妙な
繰り返しますが、ディスっているのではありません。
その分、情景がすっと入ってきて、それは平面的で奥ゆきのない情景かもしれないが、とにかく読みやすく、するする吸収できる。これはたしかに、学ぶ価値ある文章だと思います。
会話もリアリティより、物語を前に進めるための材料と割り切られています。
『殺し屋ですのよ』から引用してみましょう。
『「(前略) ま、まってくれ。たのむ。殺さないでくれ」
哀願をくりかえすと女はこう言った。
「誤解なさらないでいただきたいわ。殺しに来たのではございませんのよ」
「はて、どういうことだ。殺し屋が私を待ち伏せた。しかし、殺すのが目的ではないと言う。殺し屋なら、殺すのが商売のはずだ」
「そう早合点なさっては困りますわ。 (後略)」』
例えば「はて」から始まるセリフは、読者の疑問を代弁するため挿入されたかのようで、殺されるかどうかの瀬戸際にいる人間の感情はどこにも窺えない。文学作品として採点されたら0点がつきそうです。
「ま、まってくれ」なんかも定型文のようで、ちょっと気のきいた作家ならたぶんそんな表現はしないんじゃないでしょうか。
でもその代わり、すらすら流れるように読めてしまう。こうしてみると星新一には学ぶべきものがまだまだあって、本当に、たまには「同窓会」を開く価値があると思えてきますね。
ついでに、漢字づかいと仮名のバランスのよさにも注目です。ここで「待つ」「頼む」「繰り返す」がひらがなになっているのは、読みやすさへの意識の高さゆえだと思います。
もう一つの、そしておそらく最大のショートショートの魅力は、
驚きの結末が待っていること。大どんでん返し、すかっと大逆転(いわゆる「ざまぁ」ですね)、皮肉なバッドエンド(『ドラえもん』にはけっこう多い)、意外な真相。
それは読者にカタルシスをもたらします。しかも手っ取り早く。
いくら短い物語でも、これなくして、ショートショートとは呼べませんよね。
ちょっとまじめなことを言うと、
この「どんでん返し」は、柔軟にものを考える脳をつくるのにも有効で、小中学生ぐらいの時期に読むのは教育上もいいんじゃないかと思います。
絶対的な価値・正義(あるいは悪)と信じているものが、視点を変えれば180度ひっくり返ってしまう。負けと思っていたものが、じつは勝ちだった。「きれいはきたない、きたないはきれい」の
「効能」で思い出しましたが、彼は、父親の築いた製薬会社をいっとき引き継いだうえで経営譲渡するという困難な仕事を経験しています。そういう辛酸を経てこその世界観・人間観が、一般的にいうリアリティを削ぎ落した後でも、たしかな感触のある世界を描ける根拠になっているのだと思います。
話を元に戻して、
最後に落ちをつける、真相を明らかにして「あっ」と思わせる、それはなにもショートショートに限ったことではないかもしれませんが、その効果が最も鮮明にあらわれるのは、やはりショートショートなのだろうと思います。
私たち星新一で育った物書きはみな、物語の結末をどう落としてやろうかと心のどこかで考えているような気がします。ぴりっとした結末が降りてこないと苦悶もしますが、それもひっくるめて愉しんでいるんですよね。
皆さまも久しぶりに星新一を読み返してみて、私たちの骨格を再確認されてみてはいかがでしょうか。
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