7 中原中也『山羊の歌』
ここでどうして詩を取りあげるのか、を最初にお話ししておきたいと思います。
「散文を書く者に詩は必要ない、詩には興味ない」と考えられる方もいらっしゃるかもしれませんので。
画家の場合で考えてみましょう。
一般的にいって、だれにとっても世界は同じものとして存在します。ですが、世界をどのように見るかは人によって異なる。人の心にうったえる画は、その画家特有の目を通して見られた世界が鑑賞者を魅了するのだと思います。すなわち、世界を見つめる目が特別な感性をもっていること、これが傑出した画家であるための条件のひとつ。
ところが、どれだけ驚異的な世界像を画家の心のなかに展げたとしても、画布の上に再現できなければ鑑賞者には届きません。表現力が拙ければ、画家の感得した世界は鑑賞者に十分伝わらない……かもしれない。
そこで、心に描いた世界を伝えるための表現技術をもっていること、がふたつめの条件として求められることでしょう。
文章でもおなじことがいえると思います。
すなわち、
・世界を見つめる目を鋭敏にすること
・言葉を彫琢すること
このふたつを自らに課すことで、文章は磨かれる。その最前線にあるのが詩だと思うのです。
すぐれた詩人が必ずしもすぐれた小説家ではないが、すぐれた小説家はほとんどすべてが詩人の資質をもっている――ように思います。
だとすれば、我々物書きは――特に詩人としての資質に自信のない私のような物書きは、どうすればいいのか?
生まれつきの資質が彼らに及ばないのは仕方ないにしても、心がけ次第でいくばくかの詩心を涵養することはできる(のだと信じたい)。心がけとはつまり、さしあたっては詩を読むことです。
……と、散文を主戦場として読み書きされる方々にも詩は有益なんだという話をしましたが、もちろん、「詩そのものが大好き」という方々にもこの作品はお薦めです。
ご紹介するのは中原中也です。活躍したのは昭和の初め。
たとえ中原中也をご存知なくとも彼の詩を見られれば、どこかで目にしたような気がする、と思われるんじゃないかと思います。
『汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる』
『海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、あれは、浪ばかり。』
『広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや』
彼の詩は、
1.易しい言葉づかいで、リズムがあって、口になじみやすい。(リフレインが印象的です)
2.どこか哀愁を帯びて、せつない想いにさせる。
3.ちょっぴり拗ねたところや、反抗心が見え隠れするところにも共感させられる。
彼の詩に通底する「汚れつちまつた悲しみ」はどこから来るのでしょうか?
そこには彼の人生を貫く不幸と挫折(彼の主観でもあるし、客観的に見てもたぶんそう)が大いに与っているのだと思います。
十五歳のとき作った歌に、すでに中也らしさが出ています。
『珍しき小春日和よ縁に出で爪を噛むなり味気なき我』
『湧く如き淋しみ覚ゆ秋の日の山に登りて口笛吹けば』
技巧に走るわけでなく、ことさら感性を尖らせるわけでもない。ただ青春の悲しみ、他人に
詩作を本格化するにあたって彼自身が影響を受けたと語っているのは、『ダダイスト新吉の詩』との出会いです。
「ダダイズム」、言葉はたまに聞きますがけっきょくのところ何なのか? と思われるかもしれませんね。私も、問われると答えに詰まります。明瞭な定義のないこの芸術運動の特徴をやや乱暴にまとめると、「既成の芸術や常識をひたすら破壊・否定すること」といってよいでしょうか。
試みに、『ダダイスト新吉』に収められた詩を見てみましょう。
『皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
倦怠
額に
『少女の顔は潮寒むかつた
歌つてる声はさらはれ声だつた
山は火事だつた』
ご参考までに、「ダダ音楽の歌詞」と題された、中也の詩の一節もご紹介しておきます。
『オハグロは妖怪
下痢はトブクロ
レイメイと日暮が直径を描いて
ダダの世界が始まつた』
正直なところ私は『ダダイスト新吉』に収められた詩にあまり感動はしないのですが、当時衝撃を与えたこと、とりわけ中也の心に響いたことは理解できます。
でもそれ以上に中也の詩作に益したのはおそらく、「ダダイズムに傾倒する少年」として年上の文学青年たちに混じる資格を得たことだと思います。
まずは京都の大学生たち、その後上京して、小林秀雄、大岡昇平、河上徹太郎らと交際をもつようになります。(彼らから中也は「ダダさん」と呼ばれていました)
なかでも小林秀雄との出会いは運命的でした。
そのとき中原中也は18歳、小林秀雄が23歳。
聞かん坊の放浪者というふうな中原中也と、鼻っ柱の強さとつむじ曲がりは共通でも理知的で高踏的な小林秀雄と、、果たして二人の相性はどうだったのかというと――
『私はNに対して初対面の時から、魅力と嫌悪とを同時に感じた。Nは確かに私の持つてゐないものを持つてゐた。ダダイスト風な、私と正反対の虚無を持つてゐた。』
『私は苛々して来た。あらゆるものに対して、それが如何に美であるかといふよりも、如何に醜であるか。如何に真であるかといふ事より、嘘であるかといふ事の方が、先づ常に問題になる頭が、こんな日には特につらかつた。』
小林秀雄の記述に、中也らしさが彷彿されます。
こう書きながらも小林は中也の詩才を認めていたようで、後年、その詩集を発刊するのに助力しています。(いくらか罪滅ぼしの気持ちもあったのかも……その話はこの後すぐ)
また、中也がランボーを知るのも、おそらく小林秀雄由来です。
そんな二人でしたが、ほどなく絶交します。
中也の京都時代からの恋人を小林が奪ってしまうという決定的な事件が起こったためでした。
あの日本刀で両断するような切れ味の、それでいて晦渋で気難しげな文章を書く小林秀雄がまんまと恋人泥棒をやってのけたとは、やるじゃん小林、とつい歓声を上げてしまいますが、奪われた中也にしてみれば痛烈な一撃でした。
彼の生は不幸と不運を背負う宿命にあるようです。さらなる一撃は、別の女性と結婚した後にやってきました。ちいさな幸福として授かった愛息が、幼くして亡くなってしまうのです。
「夏の夜の、博覧会はかなしからずや」にその痛切な悲しみが歌われています。
『夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に僕と坊やとはゐぬ
二人
三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍の池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりきかなしからずや、
(中略) 広小路に出でぬ、かなしからずや
広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや』
何を見ても、何を言っても、亡くした愛息を思い出し「哀しからずや」と言葉がこぼれてしまう。
そんな理屈を述べてもいいですが、それよりただ、たたみかけるように「哀しからずや」を連呼することでどうしようもなく泣くだけの心情をありったけ吐露するすがたに我々は引きこまれ、否応なしに哀しさは我々の骨の髄まで沁み通ります。
ここに中原中也の真骨頂があるといってよいと思います。
さて、趣向を変えて、
小林秀雄と、大岡昇平に宛てた詩もあるので、一部ご紹介しておきましょう。
(小林秀雄へ「我が祈り」)
『私は此所に立つてをります!……
私はもはや歌はうとも叫ばうとも
描かうとも説明しようとも致しません!
しかし、
やさしくうつくしい夜の歌と
恋人が小林の元へと去って間もない頃の詩です。小林が五歳上ということもあり、この頃はすこし鼻をへし折られた気分でいたのかも。
(大岡昇平へ「玩具の賦」)
『俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ』
中也は意地でわざわざ自分から不幸になりにいくようなところがあったように思います。自身が不幸にしがみつくだけでなく、友人たちにも駄々っ子みたいに不幸を強いた。就職して安定した身分を得た大岡自身はこの詩を送られた前後、中也を裏切るかのようなうしろめたさを覚えたようなことを言っています。
ここらでそろそろ無粋な弁舌は控えて、中也の詩の世界に浸っていただきましょう。
リフレインの力強さ、口になずむリズム、平易でいて心に響く哀調……中原中也の詩の魅力を感じていただければとおもいます。
『幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして 今夜此処での
(中略)
夜は
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん』
『港の
私はその日人生に、 椅子を失くした。』
『汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の
汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる……』
『幼年時
私の上に降る雪は 真綿のやうでありました
(中略) 二十四
私の上に降る雪は いとしめやかになりました……』
『海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
曇つた北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪つてゐるのです。
いつはてるとも知れない呪』
中原中也の詩集は、生前に『山羊の歌』、死後に『在りし日の歌』(生前の中也自身がまとめて、小林秀雄に託したもの)の二つがあります。
また、この二つに採録されなかったものの、別の形で編集された詩も出版されています。
中原中也の生涯と詩歴については、友人でもあった大岡昇平の『中原中也』に詳しいので、ご興味ありましたらこちらをお薦めします。
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