第23話

「ん……」


 なんだか眩しくて、思わず目を細める。わたしは、眼鏡越しに目を開いたことに気づいた。

 そして、眩しいのはリビングの灯りだと理解した。ここは自宅のようだ。天井と向き合うように――ソファーで仰向けになっていた。


巫女ひめ様! お目覚めになられたのですね!」


 逆光の中、シオちゃんの泣き出しそうな表情が飛び込んでくる。いつもの悲壮感溢れる感じじゃなくて、本当に嬉しそうだった。


「クレヤ! よかった!」


 次にわたしの顔を覗き込んできたのは、明るい髪色の女性だった。

 表情を見るより早く、横になっているわたしに勢いよく抱きついてきた。く、苦しい……。


「こら。寝起きにそんな激しいハグされたら、オヒメサマびっくりするだろ」


 呆れた様子でわたしから引き離したのは、二十代ぐらいの、ポニーテールの女性だった。

 ツナギの上半身を脱ぎ、袖をお腹で縛っている。タンクトップがとても様になっていた。

 割と長身なシルエットだ。わたしと同じぐらいの身長だと……知っている。

 そう。わたしは慌ててタワマン二十九階の自宅まで上がって、このみさおという人に助けを求めた。

 そしてベルの自宅へやに移動して、隣のビルの屋上で戦っているベルを、ベランダから――


「ベル、大丈夫なの!?」


 わたしは記憶を辿り、ハッとなった。

 覚えているのは、屋上の端まで走った殺し屋さんが華麗にターンを決めたところまでだ。追い詰めたベルが、反撃されてない!?


「うん。えーしは全然大丈夫だよ」


 ケロリとした声と共に、改めて顔を覗き込まれて――ベルの可愛い童顔が見えて、わたしはホッと胸を撫で下ろした。


「よかったわ……」


 安心すると、あの時の記憶がさらに、ぼんやりと蘇った。

 まるで夢を見ていたように、どこかあやふやだった。いや……夢であって欲しいと、わたしはどこかで思っているんだろう。

 でも、夢ならばこの現実は無かったことになってしまう。ベルが無事だという現実を、否定したくはない。

 相反するふたつに、正直複雑だった。


「今、何時?」

「もう夜もだいぶ更けています」


 シオちゃんが壁のアナログ時計を指さした。

 短針の向きと、窓の外が暗いことから、今が午前一時だと理解した。


「そうだな……四時間ぐらい気を失ってた」

「そんなにも!?」


 操の言葉に、わたしは驚く。

 眼鏡を外して気絶したのは、これが初めてじゃない。それでも、今まではせいぜい十分ぐらいで意識が回復していた。

 だから、これだけの長時間からも今回が『異常』だと察する。


「折角えーしのこと助けてくれたのに、このまま目を覚まさないんじゃないかと心配で心配で……でも、よかったよ」


 ベルが床に腰を下ろし、ソファーに横たわるわたしと目線の高さを合わせた。

 喜びを噛みしめるベルの表情を見ると、わたしとしても嬉しい。

 確かに、結果としては助けたことになる。


「クレヤ、未来が視えたんだね。すっごいじゃん!」


 無垢な様子で、ベルが核心に触れた。

 一方で、シオちゃんと操――後ろのふたりが、固唾を飲んで見下ろしている。

 本音としては、わたし自身認めたくない。誤魔化したいところだけど、流石に無理だ。


「ええ。ちょっとだけ……」


 屋上の端へと走っていく殺し屋さんが、解せなかった。向かう先に何かあるのかと疑って、わたしは眼鏡を外した。

 その直後、殺し屋さんが振り返ってベルへと走り、斬りつける姿が視えて――すぐにまた、走る姿になっていた。いや『戻っていた』という表現が正しい。

 こうして振り返ると、明らかに時間が一瞬飛んでいる。たぶんわたしは、それが『十秒ぐらい先の未来』だと直感で理解したんだろう。回避するため、ベルと操それぞれに命令した。

 覚えているのは、そこまでだ。結果的には眼鏡を外して十秒ぐらいで意識が飛び、今に至る。


「本当に視えたんだな? 前情報からだと、どーにも信じられんが……視えた、としか説明つかねーしなぁ」


 操は腕を組み、どこか釈然としない様子だった。

 わたし自身、自分でも信じられない。大層に『未来視さきよみ巫女ひめ』と呼ばれているけど、千里眼すらロクに使えないから、未来視なんて無縁だと思っていた。それが、まさかこのような場面で初めて出てくるなんて……。


「言っとくけど、ただのまぐれだから。もう一回同じことやれと言われても、無理」


 どうやって能力を使ったのかすら、自分でもわからない。この一回きりで、もう二度と使えないかもしれない。

 いや、出来ることなら金輪際使いたくない。はっきりそう願うほど、わたしは戸惑っていた。

 まるで今のわたしのように、操が複雑そうな表情を見せる。

 そういえば、巫覡かんなぎを危険視しているような節があった。あの時は煽る意図だったにせよ、多少なりとも本心が込められていたんだろう。『最悪の事態』を目の当たりにして、よりそう感じているに違いない。わたしを殺す理由としては、充分すぎると思う。


「極限状態だから使えた……のかもな。ある意味で、能力ちからの暴走だ」


 半端ない負荷にやられた身として、操の言葉が妙にしっくりきた。

 そう考えると、眼鏡を外すことが今はすっごい怖い。というか、今も本当に抑えられているのか正直不安だ。


「違うよ! えーしを助けようとした、愛の力だよ!」


 そんなわたしの一方で、ベルがどこか誇らしげに言う。

 ふざけてるのか本気なのか、もう正直よくわからない。とりあえず、明るい頭を軽く叩いておいた。


 だけど……一概には否定できない。ベルを助けたい気持ちは、あの時確かにあった。

 わたしにとっての大切な友達を失わずに済んで、結果的には良かった――そう割り切ろうとして、頭の隅で何かが引っかかる。

 ベルにはとても言えないけど、殺し屋の反撃を食らったベルが、血を流して横たわるところまで視ている。

 たぶん、死んでいた。

 でも、現実には今もピンピンしている。『あの映像』を回避したことになる。

 もしもあれが『確定した未来』だったなら、変えたことになる。わたしの意思で、否定した。

 わたしはベルを助けるという良い行いをしたと、胸を張って言える。なのに――悪い意味で、何かとんでもないことをしでかしたような気がしてならない。心臓を締め付けられるような感覚に襲われる。

 あの映像は、実際のところ何だったんだろう……。毛嫌いしている自分の能力が、まるでわからない。

 正直頼りたくないけど、未来視についての情報を、あの母親から訊き出さないといけないかもしれない。一度、帰省すべきか……。

 罪悪感から悔しさに変わったところで、ふと思い出した。


「あいつどうしたの? どこかに縛り付けてる感じ?」


 結果的にベルが勝った。一方で『敗者』の扱いはどうなんだろう。

 訊きたいことはたんまりとある。どんなにエグい拷問をしてでも『敵』に関することを引っ張り出さないといけない。その情報が、事実上の戦利品だ。

 わたしは期待の眼差しをベルに向けると、ベルが首を横に振った。


「操が足潰してくれたし、痺れ毒も効いてたし、生け捕りにできたんだけど……すぐに死んだよ。奥歯に毒を仕込んでたみたい」

「プロなら普通、そうするわな。私でもそうしてる」


 何やらとんでもないことを、さらりと言っているような気がする。

 ふたりの様子からも、わたしにはなんだか抽象的に聞こえた。それに、実際に人の死ぬところを見ていないからか、思っていたより響かなかった。

 悔しがるほどじゃないけど、まあ今回は残念だった――ふたりのように、わたしはそう割り切ろうとした。死体をどう処理したかは、あまり知りたくない。


「でも、わかったことがひとつだけあるぜ、オヒメサマ」

「胸元に、蛇のタトゥーがあったよ」

「ああ。『蛇穴さらぎ』の人間だった」


 ベルと操の話す内容が、わたしには今ひとつよくわからない。


「サラギ? つまり、どういうこと?」

「えーしらの同業者ってこと。あっちはだいぶカルト臭いけど……」


 両腕を抱えて嫌悪感を示す仕草を、ベルが見せる。

 確かベルと操は『穴闇なぐら』だっけ。響きとベルの言い草から『蛇穴さらぎ』は忍者組織の名称らしい。あの殺し屋さんも、忍者だった。

 それなら、考えられることはふたつ。


「誰かさんがそこに依頼してるのか、もしくはそこ自体が狙ってるのか、どっち?」

「わかんねーよ。どっちも全然あり得る」

「ふーん……」


 結局のところ、何かわかったようで何もわかっていないような……。失礼だから、そんなこと言わないけど。

 とはいえ、せっかく手に入れた情報だから、ふたりはさらに追うと思う。


「ところで、あんた何しに来たの?」


 わたしは身体を起こしながら、操に訊ねた。ちょっとフラっとしたところを、シオちゃんに支えられる。

 殺し屋さんの件と関係ないと思うけど……元はと言えば、この女がシオちゃんを人質に取ってから、慌ただしい夜が始まった。

 ベルが言ってたとおり、抜き打ちテストの訓練がやりたかっただけだろうか。


「私か? オヒメサマのカーチャンに頼まれて、自宅警備の任務に来てやったぞ。挨拶がてら、遊ぼうとしてだな――」


 操がバカみたいにニカッと笑った。

 さっきからのオヒメサマという呼び方も、皮肉みたいで地味に腹立つ。


「え? なに? もうひとり増えるの?」

「そういうこった。どうだ、心強いだろ」

「確かに、自宅警備なら操が適任だね!」

「うう……わたしも自宅警備のお仕事したいです……」


 近接戦闘に長けたベルとは対称的に、操は銃や弓矢等の遠距離戦闘が得意のようだ。その意味では、防衛役として間違っていないのかもしれない。

 それでも、操を寄越した母親の顔が浮かんで、イラッとした。

 大体、自宅警備って――わたしの自宅を守るという意味では確かにそうだけど、一般的にはアレを指す言葉じゃん! 最後、シオちゃんがしれっと便乗してるし!


「はぁ……」


 何にせよ、賑やかになることには違いない。頭が痛くなってきた。もうこんな時間だし、何も考えたくない。


「とりあえず、お風呂沸かして……自宅警備員さん」

「は? なんでだよ? そういうのは、ネギシオの役目だろ」

「誰がネギシオですか。ここでのヒエラルキーは、私の方が上なんですからね」


 シオちゃんにしては珍しく、操に食い下がらなかった。

 ふたりのしょうもないやり取りに呆れながら、わたしはベルを見上げた。


「お風呂入って、ゆっくり休んで……とりあえず、明日は学校サボりましょ」

「いいね、それ。えーしも今日は、ちょっと疲れたよ」

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