第6話

(失態だった!)


 今頃になって、和哉は後悔に苛まれる。


(何より、声を荒げてしまったこと……今更、弁明のしようが無い!)


 誤魔化したところで、あの瑞稀の追求が止むとは思えない。


 探究心こそ彼女の原動力、そうでなければ筆頭理事まで辿り着けない……。


(全部、面倒臭い!)


 諦めに近い心境の和哉に、微かな希望が灯るのは、その直後。


 ほんのり漂う、茶葉の香りに気付いた途端、足取りが軽くなる。


「来てたのか、茜音!」


 拙速の第一声は扉を開ける一歩手前で放たれた。


 が、次の瞬間!


 フライパンで炙られた緑茶の香りが、事務所から突風のように押し寄せた。共に巻き込まれた、瑞稀の「まぁ!」という感嘆が、その勢いを物語る。


「うん、鶴と一緒に……それよりどうしたん、和兄ぃ。さっきの雄叫び……まさかのサカリ?」


 黒髪のツインテールにラメ入りのアイライン! からの、敢えてマシマシにしたツケマに橙系のグロスを引く、均衡の取れたメイクが秀逸! 強調された短い丈のスカートは制服の上に羽織られたエプロンを使って、後ろ姿にギャップ萌えの演出へと至る。あくまで施された『あざとクイーン』の骨頂。


 茜音の点前で、ささくれ立った苦々しい空気が一気に吹き飛んだ。


 今どき珍しい、電気コンロを扱う手つきが給仕慣れしている。


「あ、机でイビキ掻いてたオバさん!」


「はぁ?」


「いえ、オバ様……です」


 秒で点前に戻された! 眼光一閃で軍配は瑞稀。


「今度の子は、何?」


 立て続く子供の襲来に、瑞稀は辟易したと言わんばかり! 両手を組んで威風堂々の仁王立ち。


 だが、和哉にとって茜音は渡りに船! これで半分、面倒事から解放された。


「この子は、鶴太郎のクラスメイトで、有澤茜音と言います」


「はい?」


「まぁ、そうなりますよね……」


 和哉に促され、瑞稀はソファーの来賓席〈一角〉に腰を据える。


「どう言うこと?」


 未だに鶴太郎を小学生だと思い込んでいる瑞稀は、和哉の言う『クラスメイト』の意味を勘繰る。


「どう言うも何も、他意はありません。十五歳、鶴太郎は高校一年です」


「嘘!」


 瑞稀は表情を隠しきれない。


 外見と内面が一致しない恐怖は、誰しもが持つ整理現象のひとつだ。


「嗚呼、そういう話……ホンマですよ。鶴とは幼稚園からずっと一緒ですし」


 第三者の証言で事実認定を済ませた!


 ここに至るまでの労力が、いつも大変なのだ。


「病気という訳じゃないんですが、ハッキリした原因も掴めてなくて……」


「小学校入った頃は別に普通やったんですよ……あ、でも潔癖症は幼稚園の時からやったなぁ……」


(グッジョブ、茜音!)


「知らん人の肌が触れたりすると、ずっと拭き拭きして……最初はウチのことも、バイ菌扱いやったし」


「じゃあ、さっきのは……それで?」


「すいません、咄嗟のことで声を荒げてしまいました」


「別に気にしなくていいわ、正しい判断だと思うから……じゃあ、手袋は?」


「手掌多汗症じゃありません」


 ここまでは順調! 否、期待値以上の展開だった。


 ここまでは……。


「何それ? 和兄ぃは、そんなんちゃうやろ」


 馴染みの無い言葉に、茜音が引っ掛かった。


(マズイ!)


 余計な勘ぐりをされる前に、和哉は敢えて禁断の領域に足を踏み入れる。


「手伝うよ、くりやの水羊羹、一緒に食べるだろ?」


「小習は手出し無用! これもウチには盆点なんよ。お茶菓子預けて待っといて」


 案の定、踏んだ地雷が茜音を尖らせる。


「ボンダテ? え! 和哉、あんたお茶始めたの?」


「何と言うか、まぁ衝動的に……」


「不肖ながら、親させてもろてます」


「彼女、名持ちなんですよ」


「名持ちって紋許ってこと? その歳で……え、待って! 有澤って、もしかして有澤先生のお孫さん?」


「ご存知でしたか」


「当たり前よ、不昧流とは何度も宗家でお仕事させて頂いてるもの」


「茶名、宗音と申します」


「ご丁寧に、花山瑞稀です」


 程なくして、二人の前に小さな朱色のお盆が運ばれてきた。


 お盆の上では、水羊羹が敷物の白い蝋引き紙と共に、真ん中やや上よりで主膳を主張している。


(流石ね、この距離でお化粧の香り一つさせてない)


 面白いのは、その下に設けられた二つの湯呑み。


 一つには緑茶が既に点てられていているが、隣が空っぽ。


 趣向の判らないまま、瑞稀は右手前の緑茶に手を伸ばした。


 湯呑みからは、ほんのり微かな温もりが伝わってくる。


 だが、敢えて触れず、黙って口に運んだ。


 刹那に、舌が感じ入る。


(甘い、そして……瑞々しい)


 これまでも、口当たりの甘い緑茶を含んだことはあった。


 ただ、そのどれとも一線を画すのは、余韻の長さ。


 茶葉が持つ、本来の苦味や渋味が後を追ってこない。


 瑞稀の探究心が擽られる。


「これは?」


「水出しの緑茶を少しだけ温めました。今日みたいな天気の日には、こう言うんもアリかなと……」


 そのままの口で水羊羹を頬張ると、潤った舌を通って喉越しが涼やかになった。


 こし餡の粒子が解けて小豆の風味が後を追いかけてくる。


 和哉が絶品と謳うだけあって、口溶けの時間まで計算された技の粋が詰め込まれている。


 そして何より、その職人の意図を存分に発揮するよう口内の温度管理がなされていた。


「嗚呼、沁みる」


 次なる趣向が急須から注がれた。


 茜音が丹念に炙りを入れた熱々の緑茶が空っぽの湯呑みを独り立ちさせる。


「同じ香りだけど立ち方が随分違うのね」


 含む前から緑茶とは思えない荒々しさが迸る一杯。


「茶葉に香ばしさがつくとダメなんで……電気コンロでゆっくり火加減せんと失敗します」


 一口で意図が判った。


 再び、一杯目の水出し緑茶に瑞稀の手が伸びる。


「なるほど! これは『カデンツ』ね? それも『偽終止』?」


 そう言って、続けて水羊羹も放り込んだ。


「オバ様、凄い! 大正解!」


「面白い発想ね! お茶菓子への配慮も万全……でも、奥ゆかしさが足りないわ」


「奥ゆかしさ?」


「エロくないのよ! オープン過ぎて……今風に言うなら、匂わせ過ぎ?」


「匂わせ過ぎかぁ! 何処で調整、間違ったんやろ?」


「でも、十分楽しめたわ! ありがとう」


「こちらこそ! 勉強になりました。和兄ぃ、鶴は?」


「部屋にいると思うよ!」


「水羊羹、持って上がって良い?」


「いいけど、無理強いするなよ」


「判ってる! オバ様、失礼します」


「あの和哉が茶道ねぇ……」


「可笑しいです?」


「全然! 彼女なら判るわ、すごい才能よ。このお点前だって、あの歳の女の子に出されたら『プラトニック、ここに極まれり!』の逸品、まさに『一期一会』よ。彼女の初々しさが投影されて、こっちまで若返った気がするもの!」


 実際、肌の張りが違って見えるから誇張とも言い切れない。


 和哉が師事した理由を、瑞稀は自らの体験で悟った。


「レセプションは以上?」


 瑞稀の顔つきが一瞬で変わる。


「ええ、そうですね。詳しい内容を聞かせて下さい」

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