第2話 羞恥と羞恥
今日も変わらず少し早めに起きた。
若干目覚めが悪いのは、昨日少し思い出してしまった故の気だるさだろう。
昨日と同じように動こう……と思い、制服に袖を通した所で家のチャイムが鳴る。こんな朝早くに来訪とは、珍しい事もある物だなと思いつつ軽く髪を整えて『はーい』と返事をする。扉の向こうをドアスコープから除けば、そこには鈴乃がいた。
「……何で?」
少し警戒しつつも扉を開ける。鈴乃は準備を終わらせているようだが、学校へ行くにしては早すぎる。
「心配で来ちゃった☆」
「来ちゃった、じゃないよ全く……」
ピースをしながらも本当に心配して来てくれたんだなと思うとこそばゆい感覚があるが、別に心配する程の事でもないのでどうしようか迷う所だ。
「取り敢えず、上がる?」
「おじゃましまーす」
何の躊躇いも無く入る辺り、昨日の事で完全に俺を保護対象に入れているなこれ。
扉を閉めて朝ごはんの準備をする。……と言っても、パンを焼くだけだが。
「……元気になってて、良かった」
本当にホッとしているようで、椅子に座る鈴乃は俺が朝ごはんを準備している姿を見て安堵の表情が隠しきれていない。
「まぁ昨日は僕も悪いし、気に病む事はない気がするけどね」
ニヤニヤしながら人称を変えてみたが、一人称が僕になっている事に驚きつつそれを聞いてさらに表情が緩くなった気がする。相当俺を心配してくれていたようだ。『僕』はとても恥ずかしいのだが、安心させるためなら一皮脱いであげよう。
「……良かった。本当に」
「……別に、君の為じゃない。これは俺が成長する為にする事だから」
この先も、図らずとも可愛いと言われてしまう事は多いだろう。その度にこうなってしまっては、生活に支障をきたす。それなら、鈴乃のようにある程度は信用できる人に言ってもらえばいい。慣れられればそれで良いし、駄目でもダメージは軽いだろう。
パンをトースターから取り出し、皿に乗せて机に運ぶ。鈴乃は朝ごはんを食べてきたようなので優希だけが食べる。
「いただきます」
手を合わせ、パンを齧る。朝ごはんを食べるのを見られるのは、家族以外には初めてかもしれない。鈴乃は肘をつき、手に顎を乗せてこちらをその綺麗な瞳でずっと見ているが気にせず食べる。
そしていつもより気持ち早めにパンを食べ終わり、手を合わせる。
「ご馳走様でした……て言うか、何をずっと見てるの……?」
流石に気になったので鈴乃に問いかけるが、返事が返って来ない。俺をずっと見ているので、少々気不味くなる。
「お、おーい、鈴乃さーん?」
目の前で手をフリフリしてようやく意識を取り戻した鈴乃は、「ふぇ!?あ、ごめんね!」と慌てて背筋を伸ばす。心做しか顔も少し赤い。具合でも悪いのだろうか?
「具合悪いとか眠いとかだったら、少し寝る?ベッド貸すよ?」
「あ、あぁいや!大丈夫!ちょっとボーッとしてただけだから!」
慌てて取り繕う鈴乃を見て変な人だな、と思いつつ食器を洗い場に置いて歯を磨きに行く。行く途中にチラッと鈴乃を見れば、何故か耳まで赤くして顔を手で覆っている。本当に分からないので取り敢えずスルーする事にした。
身支度を終わらせ、リビングに戻ればここに来た時の状態に戻った鈴乃がいた。
「ごめんね、待たせちゃった」
「ううん、大丈夫。さ、行こっか!」
優希のバッグも持っている鈴乃が駆け足で玄関まで行く。それに着いていき、靴を履く。ローファーは履きやすいが少し歩きずらいので、後で運動靴を買おうと思った。
家の扉を閉め、鍵を閉じて『行ってきます』と誰も居ない家に挨拶をし、2人でエントランスまで階段で降りる。何か自然と2人で登校する事になっているが、そこは特に気にせずに学校まで歩いている時間は世間話をして時間を消費した。学校が近付いてくれば生徒が増えてくる。それに比例して視線や話題も増えてくる。
『柊さん今日も綺麗だよね』
『隣の子、誰?可愛くない?』
『あの子って男の子なんじゃないの?』
聞こえてくる声は『綺麗』とか『可愛い』とか、そう言うのしかない。どうしても自分の様に感じてしまい、やはり慣れなくて息が詰まりそうだ。身体の重さを感じていると、手をキュッと握られる。
「大丈夫。私が居るでしょう?」
周りからは黄色い歓声が上がり少し恥ずかしかったが、身体の重さとか息の重さとか、そういうのは無くなっていた。手を離し学校に入るが手を繋いでいた事実は一瞬で広まり、2人並んで教室に入ったらいつものような疑問の視線では無く、どこか傍観的な視線に変わっていた。別に触れて欲しい訳じゃないが、見守る体制に入られても困る。
窓側の席に座り昨日と変わらず窓の外を眺める。鈴乃は相当な人気者で、クラスの人やクラス外の人に囲まれている。まあお嬢様モードに入っているので関わっておきたいと言う人は多いのだろう。
そんな雰囲気なのに、美紅は優希に話しかけていた。
「ねぇねぇ!朝に優等生ちゃんと手を繋いでたってほんと!?」
「まぁ、事実ではあるかな」
「おぉぉ〜!どんな関係なの!?」
どうやら関係性が気になるようだ。興奮して机をバンバン叩いている。と言っても、深い関係では無いので曖昧に答えようとすると、チャイムが鳴ってしまう。
「あぁぁー鳴っちゃった!絶対聞くからね!」
そう言い、バタバタしながら席に向かう。先生に注意されれば、「すみませーん!」と爆速で席に着いた。クラスには笑いが起きたが、俺としては穏やかじゃない。
さて、どう答えようか……と思っていた矢先、スマホが揺れる。隠れて確認すると、鈴乃から『一人称、忘れないでね。あと関係についてはおまかせするよ!』とだけ書かれていた。鈴乃を見てももう姿勢よく座っているので、恐ろしい程の早業だ。
(お任せする……か。てか一人称学校でもやるのかよ……!)
これでは俺の周りからの視線が僕っ子の女の子になってしまう。いやまあ、別に元からそう見られているかも知れないが自分から促進させる気は更々無い。
「ねぇー!関係はどうなのー!?」
色々考えていればHRが終わっていたらしく、美紅が速攻で聞きに来た。しかも、クラスの人も廊下にいた人も聞いている気がする。仕方が無いので「僕と彼女はただの知り合いだよ」とだけ答えておいた。皆、何やら不満そうにしているが別にこれ以上の関係でも無いので何も言えない。
「えぇー?ほんとにそれだけ?」
『もっと、何かありそうだよね』
『やっぱり女の子なんじゃないか?』
『隠れて同性で付き合ってるとか!?』
憶測、感想など、色々な声が飛び交っている。こうなるのがあまり好きでは無いので逃げようとするが、美紅に止められる。どうしても聞きたいようだが、本当に知り合い以上では無いので非常に困った事になった。すると、そこに鈴乃が歩いて来る。
「美紅さん、優希さんが困ってますよ?」
あくまで知り合いを貫こうとしている優希の意志を汲み取り、さん付けで呼んでくれている。窓側の優希の隣に立ち、美紅を宥めてくれている。美紅は曖昧に答えられたのが気に食わないのか、少しむすっとしている。
「うー、ほんとに知り合いなだけ?」
「そうですね……知り合いの枠は出ませんね。近所なだけあって、少しばかり親しいかもしれませんが……」
「……分かったよぅ。それで納得しておく……けど、実際君達は付き合うとかそういう関係ではないの?」
付き合うと言うのは、交際と言う意味だろう。確かに異性同士だが、出逢って一週間も経っていない。そこで交際をすると言うのは失礼だし、向こうも望んでいないだろう。
「僕達はそんな仲じゃ……」
「そう見えますか?」
否定しようとしたが、鈴乃が匂わせる発言をするので一気に全体がザワつく。鈴乃を見れば、隠れて舌を出して『やってやったぜ』みたいな顔をしている。本当に勘弁して欲しい。
「ふっ!ふふふっ!じゃ、私達で妄想する分にはOKと言う事で!」
「はい。構いませんよ」
「ちょ、ちょ待って!何で話が僕抜きで進んでる、の……さ……」
美紅がクラスの輪に混ざりに行った事で俺達を見る周りからの視線が微笑ましい視線に変わった気がする。辞めてくれ。俺にそんな視線を向けないでくれ。また……あぁ駄目だ。そういう類の視線を向けられると自分を見失ってしまう。微笑ましいが、勝手に嘲笑に置きかわってしまう。
視線に我慢出来ずに顔を伏せると、鈴乃の手が頭の上に置かれる。
「大丈夫。大丈夫だから」
小声で宥めながら頭を撫でてくれる鈴乃を見れば、その顔は慈愛に溢れていた。何だか、少し落ち着きを取り戻せた気がする。
「…………ごめん。ありがとう」
「取り敢えず、死んじゃいそうな顔からは抜け出せたね」
やはり、凄く酷い顔をしていたようだ。素の鈴乃が出てしまっているが、クラス内は頭を撫でる動作について黄色い歓声をら上げており若干騒がしいのでみんな聞こえていないようだ。
慣れようとは言ってもそんなにすぐには慣れられなかった。とりあえず授業の準備をしなければと思い、バッグから事前に買っていた教材を取り出す。今日からは普通に授業が始まるので、頑張りたい所存である。
と思っていたが、今日は初日なので教科担任の自己紹介、年間を通した教科の予定、教材の配布等で今日の授業は終了した。偶然体育があり、着替えの時に同性からの視線が集まっていた気がするのは黙っておく。
お昼も学食でぼっち飯をしていたら3人くらいの男のクラスメイトに話しかけられる事もあったが、無事放課となった。特に予定も無いのでさっさと帰ろうと荷物を纏めていると、鈴乃が『こっちに来い』と手をひらひらさせている。何かと思い近づいて行くと、耳を貸すよう指示される。
「また貴方の家に行こうと思うんだけど」
小声でそんな事を言われれば断りずらい雰囲気になってしまったので、渋々了承した。鈴乃はパッと顔が明るくなり、荷物を纏め始める。俺は準備ができているので先に学校から出る事にして歩き始めた。朝通っている道を5分程歩けば、鈴乃が後ろから走って来る。
「いやー、学校の周りは生徒が沢山いるから迂闊に走れないねー」
「別に走ればいいのに」
「傍から見たら優等生が謎にガンダッシュしてる変な光景に映るけど?」
「…………これからも気をつけよっか……」
確かに首席の優等生が猛ダッシュで1人の生徒を追いかけるなんて、十中八九変な噂が立つ。改めて柊鈴乃という人物を認識した所でエントランスに着いた。エレベーターで5階まで上がり、家の鍵を回す。
「ただいま」
「おじゃましまーす」
鈴乃は俺の家に来るとすぐにソファに座る。どうやらあれが気に入ったようだ。取り敢えず部屋に戻り制服を脱ぎ、ハンガーに丁寧にかけてから一番手前にあるフード付きの黒いジャージを着てリビングへ戻る。
「お茶いる?」
「んー、今日はいいかな」
断られたが俺は飲みたいのでコップに半分くらい注いで一気に飲み干す。鈴乃はソファに寝っ転がったまま動かないので、来た理由が分からない。
「で、今日は何しにきたの?」
「あーそれね、学校の間少し考えてた事があるんだけど」
鈴乃はソファの背もたれから顔だけを出し、優希を真剣な表情で見つめる。
「貴方、『可愛い』に慣れてないんだよね?」
「……それが、どうしたのさ」
急にそんな事を言われたので思わず強めに返してしまった。しかし鈴乃はそんな事は気にしておらず、向こうも少し強気になる。
「じゃあ客観的事実を言うけど、貴方の容姿は恵まれてるよ。男の子じゃ無くて女の子の方にだけど」
「……そんなの、分かってる」
自慢でも無いが、自分の容姿の良さは理解しているし、自身も持っている。だからこそ、他人から容姿を褒められるのは好きでは無い。それは、表面上だけを褒めているから。
「分かってるなら良い。……今後、絶対に言われる事が増えるしそれ関連の視線も多くなる。それは分かってる?」
「……正直、理解してるけど分かりたく無い。多分俺が俺である以上、そう言う物に忌避感を抱き続ける。それがどんなに軽いものだったとしても……ね」
「………そっか。あと俺言わない」
そう言うと鈴乃は少しの間黙り込み、何かを思いついたかと思えば『こっち来て』と催促してくる。後頭部しか見えないので顔は見えないが、何か良からぬ事を考えているかも知れないので少し警戒して近付く。
「跨って」
「……は?」
「だから、上に跨って」
訳の分からない提案に戸惑いつつ、笑顔で太腿をぽんぽんする鈴乃の肩を両手で掴み体を前後に揺さぶる。
「本気?」
「うん」
「正気か!?」
「隙ありっ!」
鈴乃はがら空きな優希の脇をガッシリと掴み、その軽い体を持ち上げて強制的に太腿の上に跨らせた。
「なっ……何をっ……!うぅー、離せぇ!」
太腿の上でじたばた暴れるが、鈴乃が流石と言うか、俺が非力と言うか、力が結構強く逃げられない。程よく肉付いた弾力のある太腿の感触がダイレクトに伝わって来るし顔は吐息がかかる程近いしでとても恥ずかしくてこの場で死にたくなる。
「……やっぱり、優希は可愛いよ。」
「なっ!?か、可愛いって、お、お前、そそ、そんな近くでっ……!」
こんな状況なので羞恥心から目を逸らすが、両手で頬を掴まれ強制的に顔を覗き込まれる。その目に嘘は無く、ただそう思っているだけのようだ。
吸い込まれそうになる程に見蕩れていたが、今の状況を整理すると段々顔が熱くなる。優希の潤みを帯びた目が必死に訴えるが鈴乃には届かなそうだ。我慢できずに体がぷるぷるし始める。
「あっ、あのっ!もういいんじゃ無いでしょうかっ!?」
こう言う所で無駄にイケメンなのは本当に心臓に悪いので、できれば辞めて頂きたい。顔にある手を掴み上げ、羞恥から逃げようと鈴乃の肩に顔をうずめる。やってから後悔した。この体制は、さっきよりも恥ずかしいという事に気が付いた頃には鈴乃に頭を撫でられていた。
「『可愛い』に耐えられたじゃん」
「………!」
確かに、思い出す事も嫌悪感を抱く事も無かった。ただそれは、羞恥心がその感情達を抑えていただけな気もするが優希からすればちょっとした成長である事には変わり無かった。
しかし、いかんせん体制が悪く顔も耳も凄く熱いので暫くは鈴乃の肩を借りる事にした。
「いや、ごめんって」
「……ふん」
何とか落ち着きを取り戻した優希は鈴乃の隣にちょこんと座り直した。鈴乃はご機嫌取りの為に頭を撫でてくるが、元はと言えばそちら側が悪いので今の優希は少しご機嫌斜めである。
腕を組んでそっぽを向いていると、鈴乃は脇腹をつんつんしてくる。鈴乃を見れば、その顔は少しむすっとしている。
「……何してるの」
「だって、優希が怒って私の方を見てくれないんだもん。せっかく私からの『可愛い』を受け入れてくれたのに」
「…………それとこれとは、別」
優希は鈴乃のお陰で助けられたし、精神的にも成長できた。いつしか、鈴乃は優希の心の支えになっている。何故会ったばかりの人に心を開いているのか自分でも分からなかったが、それは恐らく恩を感じているのだろう。
「本当に、色々感謝してるよ。君が思ってる以上に」
目を合わせて笑顔でお礼を言えば、何故か鈴乃の顔が赤くなる。赤くしたいのはこっちなのだが、鈴乃があわあわしている所を見るのも新鮮なのでこのまま見ていようかなと思っていたら我慢の限界を迎えた鈴乃が急に立ち上がる。
「そ、それじゃ私はそろそろ帰ろかなぁ!おじゃましmぅひゃぁ!?」
恥じらいからか鈴乃は大分勢いよくソファから立ち上がり帰ろうとした為、鈴乃は優希の足に気が付かずに躓いてしまった。
「あぶなっ……!」
優希は反射的に自分の体を鈴乃と床の間に滑り込ませて鈴乃を受け止めた。受け止めたまでは良かったが倒れてくる時、鈴乃の比較的大きく育った柔らかいそれが優希の顔を覆っていた。そうして、そのままの勢いで床に2人して倒れ込んだ。
「いったたぁ……優希はだいじょう…ぶ……?」
鈴乃が優希を心配した時には、鈴乃は優希の上に被さっていた。しかも鈴乃の方が頭一つ分身長が大きい為、優希を隠すような体制になってしまっていた。
「鈴乃さん……ぐるじい……」
「ご、ごごごごめんねいい今退くね!」
もごもごと苦悶の声を上げれば、鈴乃は噛み噛みで慌てながら立ち上がるので笑いと羞恥を堪えながら優希も起き上がる。特に痛みとかは無いので大丈夫そうだ。顔を覆ったあの感覚は忘れられなそうだが。
「大丈夫!?怪我とか無い!?」
「大丈夫、怪我は無いよ。……それより君が心配すべきなんじゃないかな」
優希が気まずそうに目線を顔から少し下げれば、鈴乃は目線の先に気が付き、さっきの比にならない程顔を真っ赤にして『あぅ……』と気の抜けた声を出しながらその場にへたり込む。へなへな、といった効果音がよく似合いそうな程だ。
「うぅぅ、恥ずかしい事しちゃった……」
「ま、まあ怪我は無かったんだしそこは良かったんじゃない?」
口をとんがらせて人差し指同士をつんつんしながら俯く鈴乃を宥めながら鈴乃のバッグを持ってくる。
「はいこれ、君のバッグ。もう帰るんでしょ?」
「…………帰らせて頂きます……」
目も合わせてくれない鈴乃は下を向きながらバッグを受け取り、玄関まで歩いていく。扉を開けて外に出た所で閉まりかけの扉から顔を半分だけ出して『……えっち』と言って扉をバタン、と閉めて帰った。
「……えっち……?……えっちは、一体どっちなんだ……?」
仕返しのつもりだったが今回に関しては殆どあっちが悪いので優希は勝手に鈴乃に責任転嫁をして体の熱を放出する為にもお風呂に入って夕飯の準備を進めた。
あの柔らかさが忘れられなくて眠りが浅くなったのは、また別のお話。
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