第5話 嵐の前の静けさ


「…来ましたか」


ホールに足を踏み入れる。俺が現れた時から、ずっと視線を向けてきている。…ユナは俺が来るタイミングが分かっていたのかもしれない。


「答えは出ましたか?」

「半分は、ってとこかな」

「お聞かせください」


巨大な空間に椅子が二つだけ。うち一つは彼女のもの、もう一つは俺のために用意したのだろう。こうも何も無いと気が滅入りそうだ。


「そうだな。抵抗はやめる。逃げも隠れもしない」

「賢明な判断です。では我々の計画に賛同していただけると———」

「まぁ待て。半分、と言った。もう半分をこれから話す」


これは賭けだ。数少ない、信じれる人間の仲間を頼りに、全てを投げ打って賭場につかなければならない。


「お前の計画に従うのは———あの研究所に俺を連れて行ってからだ」

「ほう……」


これでようやく釣合いが取れる。そして、賭けに勝つためにはここからが重要だ。


「クロノスに隠されているものを確認したら、お前の傀儡になってやる。脳でも何でも弄ればいい。ただし——あそこにあるものが…お前の探しているものが、人類が存続するだけの価値を証明するものだった時は、大人しく計画は諦めてもらう」


彼女はこの賭けに乗ってくるだろうか。もし彼女が何のこだわりもなく、ただ目的を追い求めるだけのマシーンなら、彼女にとってこの提案は何の利益もない。…だが、そうではないことを俺は知っている。


「いいでしょう。これは私と君の、絶対に破ることのできない約束となるでしょう」

「…違えてくれるなよ」


胸を撫で下ろした。ひとまず安心だ。この契約単体ではまだ何も解決しちゃいないが、重要な一歩だ。


こちらをじっと見ているので視線を落とすと、ユナが握手を求めてきていた。慌てて手を出して、それに応じる。妙に白い肌は冷たく、人間味の無いものだった。


———俺にできるのはここまでだ。…後は、皆に託すしかない。賭けはまだ終わっていないのだから…


————————————————————



アストラ本部、会議室にて…


『——何度言えばわかる!我々のデータを、テロリストどもに流した裏切り者がいるに決まっている!』

『そうだ!我々もあの声明を確かに聞いた!君達のところの能力者だったではないか!』


モニターに映し出された各企業の重役達は、声を荒くしてアストラを糾弾していた。AGEとアルカルクスは特にお怒りのようだ。


「クロード・エーデルワイスは最後まで奴らと戦う気だ。それは、直前に通信を行っていた私が証言できる」


社長の代わりにラプラスが答えた。それでも納得はしないようだ。


『…ヒサメ社長。件の隊員は現在行方不明、と仰っていましたよね?本当に、彼が我々の敵ではないと保証できるのですか?』


ペンティメントの取締役は冷静に、アストラの社長であるリン・ヒサメに追及した。


「敵か味方か、それが分かったところで何になると言うのですか。彼は今も敵に囲まれて、一人で戦っているかもしれない、拷問を受けて傷だらけになっているかもしれないのですよ。彼だけじゃない。多くの人員が、寝る間も惜しんで警備にあたっているのです。あなた方には、一人の人間を尊重するという当然の行為が難しいのですか」


そう言った後で、彼女は少し後悔した。真っ先に襲撃を受けたのはアストラであり、あの夜の被害だけでも無視できない域に達している。彼女もまた、限界が近かった。


「…我々から言えることは何もない。自分の身は自分で守ること。今あなた方にできることはそれだけだ。当該隊員が引き起こしうる全ての事象に関しては、私が責任を負う。それでいいな」


会合はラプラスのその言葉で締められた。結局のところ、分かりきった情報を交換しただけで何も進展は無かった。


「…ごめんなさい、ラプラス。つい感情的になってしまったわ。あなたに全て任せるべきだった…」

「誰に任せていても同じ結果になるだろう。彼らは結局、責任を押し付けたいだけなのだから」

「…そう言ってくれると気が楽だわ。…とりあえず、これでしばらく自由に動けるわね。すぐに部隊を編成してクロノス研究所のデータを探しましょう」


二人は現在安否の確認ができるアストラの能力者、非能力者を問わずプロフィールを引っ張り出してきて、最適な編成を考案した。その中には、ガーベラの名前もあった。


「…もしあの場所に、私達の求めるものなんて無かったら…」

「いずれにせよ、彼との合流地点になっている以上は行かなければならない。彼もどうにかしてそこを目指すだろう」


リンの不安は計り知れない。若くしてアストラを率いる彼女は、毎日その責任と期待に押し潰されそうになっていた。そんな中このような一大事が発生しているのだ。


「…分かっているわ。…大丈夫、今までずっと何とかしてきたの。これくらい何ともないわ…」


ラプラスはリンの手が尋常ではないほど震えているのに気がついた。タブレット端末を操作する手が乱れ、爪先が液晶をコツコツと何度も叩いていた。


「まだ何か不安か?それとも、隠し事か。この際だ、何でも話してくれ」

「…昨日のことよ…JP27C、JP27D基地を失った戦いの中で…見てしまったの。黒い影を……アレはオラクルの刺客じゃない…」


モニターに映し出されたのは、壊滅して黒煙が立ち昇るアストラの補給基地だ。二箇所とも、爆撃と放火を繰り返されたような惨状になっていた。


写真が拡大されると、黒煙の中に人影が見えた。すらりとした体型の、黒衣を纏った男だ。フードの下は金属質のマスクをつけていて、顔はよく見えない。ただのガントレットにも義手にも見える腕の付け根は酷く爛れていて、直視するのも悍ましい。この時代に剣を持っているというのも妙だ。


その男が、機能停止したアレスの首を強く掴みながら、心臓——コア部分に剣を深く突き刺していたのだ。無論、この写真が撮影された時には既にオラクルによって全てのアレスが掌握されていた。


「《オルトゥス》…生きていたとはな」

「やはりあなたも知っていたのね…」

「奴が現れたのは48年前…第三次世界大戦の真っ只中のことだ。戦場の至る所でこの姿が確認され…7日で世界大戦は終わった」


エーテルの発見の影響で、人々は何度も争いを起こした。三度目の世界大戦でさえ、その一例に過ぎない。


「そうだったの…?少なくとも教科書には、ダンジョンの活性化の影響で戦争継続が不可能になったから和解という形で終わったと…」

「資料もあまり残っていないからな。当時の歴史を改竄するのはそう難しいことではない。……そして、終戦から10年経ち…第四次世界大戦、もとい『国家消滅戦争』が勃発した。…そこにも奴の姿があった」


第三次世界大戦を受け、疲弊した国家は力を失い、やがて単純な利益の元で集ったエーテル、ダンジョン関連企業が肥大化していった。戦争の結果としては、国という形は消え、ほとんどの人間が自治政府と企業に属することになった。


「…中身が同じ人間なら若くても70歳くらいかしら。能力者だとしても、とても信じられないわ。…その頃にはアレスなんていないし…」

「…十分警戒する、それくらいしか我々にできることはない。もし戦闘になったら、すぐに部隊を撤退させるんだ」

「ええ、ブリーフィングでそう伝えておくわ…」


ラプラスは思い詰めた表情をしながら会議室を後にした。苦虫を噛み潰したような、とでも言えばいいだろうか。嫌悪と焦燥、愛憎と憐憫の混ざった複雑な顔をしていた。


「…クロノスにも火を放った亡霊が、なぜ今になって…?」


————————————————————


◇Profile

《Laplace Oriens Genesis Oraculum Speculator》


コードネーム:ラプラス

性別:女

年齢:不明

出身:不明

所属:アストラ

  エーテル研究課主任

  兼 エーデルワイス小隊特別サポーター

エーテル適性:A 良好

専門: エーテル研究 ダンジョン研究 アレス関連技術

備考:非常に聡明な謎多きアストラの研究者。7年前までクロノス研究所で活動していたが、事故により研究所が壊滅するとクロードを連れてアストラに移籍した。エーテル研究の先駆者であり、アストラが急成長したのは彼女の支援あってこそと言える。


経歴や能力は目を見張るものがある一方、一人の人間としての彼女はあまりにも情報に乏しく、彼女自身もあまり自分のことを語らない。妙に長い名前について聞かれた時、彼女はいつも適当にはぐらかす。曰く、本名は忘れたとのことで、過去に辞書を引いて目に留まった単語を繋げただけであると本人は語る。

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