第五章

王女・シャルリーヌ ーグリシアの戦いー①

 また季節外れの生温い風が吹いていた。――グリシアの街はリュヴェレットとブロシュタルを隔てる山の麓にある街であり、今の季節ならば山颪の冷たい強い風が吹いているはずである。そんな街の中を、一人の老女がせかせかと歩いていた。老女はバスケットを持って、時折人目を気にするようにキョロキョロと周囲を見回している。そんな挙動不審な老女がやってきたのは、街の倉庫であった。老女はそこで一旦立ち止まり、扉の前に立つとノックを5回した。すると、ノックが3回返って来たので、もう一度ノックをすると、扉がゆっくり開けられた。老女はまた周囲を見回して誰もいないことを確認すると、さっと扉を自分が入れる分だけ開いて、中に入った。

「誰にも見られていないだろうな?」

 倉庫の中にいる複数の鎧姿の者たち――更にその中の一人の男が、老女に尋ねた。

「私を誰だと思っているのです!? 伊達に30年以上王族の方々にお仕えしていませんよ!」

 老女は憤慨しながら男に言った。男は肩をすくめる。老女はそのまま、少し埃っぽい倉庫の最奥へ向かった。

「姫様、エリーナが戻って参りましたよ」

 老女―エリーナは、木箱の上にうずくまるように座っている少女にそう声を掛けた。姫様、と呼ばれた少女はおもむろに顔を上げる。エリーナはバスケットの中から一個のパンを取りだした。

「姫様、今日は美味しいパンが手に入ったんですよ。姫様のお好きなパンでしょう? しっかり食べて下さいませ」

「・・・ありがとう、エリーナ」

 少女はエリーナから差し出されたパンを受け取ると、口にはせずそれをじっと見つめるだけであった。それを見たエリーナは、小さくため息をついた。

「エリーナさん、街の様子はどうでしたか?」

 先程とは別の騎士の男が、エリーナに尋ねた。エリーナは少女から離れる。

「今日は晴れてるのに気持ちの悪い風が吹いてるよ。街の周囲にも魔獣が増えているって話も聞いたね。帝国軍の接近は・・・分からなかったね。味方もどうなっているのか・・・せめて私が念話を使えれば良かったんだけど・・・」

「それは僕たちも同じ気持ちです。それにしても、いつまでもこの街に留まっているわけにもいきませんね。そろそろ移動も考えないといけないかもしれません」

「そうだねえ・・・でも、姫様の体調も・・・」

 エリーナはチラリと少女の方を見る。少女はパンを手に持ったまま微動だにしない。

―少女の正体は、リュヴェレット王国第一王女、シャルリーヌ・リュヴェレット・スルースである。兄のリシャール・セルジュと同じ緑の瞳に金の髪、母の美しさをそのまま写し取ったような顔立ちをしているが、今はずっと暗い影を落としている。必死に侍女や従者たちに連れられ、命からがらこのグリシアまで逃げ延びた。町長や街の人々の協力により、シャルリーヌは街の倉庫の中に匿われることになった。そして夜が明け、町長から、他の街からの伝聞で王都陥落と母の死を知ったシャルリーヌは泣き崩れた。泣き崩れて静かになったあとは、殆ど無言のまま倉庫の隅に座ったままとなってしまった。

 母の死に加えて二人の兄と、仲の良い従姉の安否も分からない状況であり、シャルリーヌは意気消沈し、食事も殆ど口に出来ていなかった。シャルリーヌが赤ん坊の頃から世話をしていた侍女のエリーナが何とかシャルリーヌに寄り添い、支え続けた結果、少しだけ受け答えはしてくれるようになったが、まだ食べ物はしっかりと口にしていない。“このままではシャルリーヌが衰弱してしまう”とエリーナは気を揉んでいた。

「確かに姫様の今の体力では、長距離の移動は難しいかもしれません。どうしたものか・・・」

 騎士の男はそのまま黙り込んでしまう。他の従者たちも似たような様子であった。すると、

「町長のヨハンです! 皆様少しよろしいですか!?」

 扉を激しくノックする音と同時に、老人の必死な声が聞こえてきた。従者たちは慌てて扉を開けると、町長が飛び込んで来た。

「一体どうしたって言うんです?」

 エリーナは只ならぬ町長の様子に、嫌な予感がしながらも尋ねた。

「て、帝国軍らしき団体の影がこちらに近付いている、と見張りの者たちが報せに来ました・・・!」

 町長の悪い知らせを聞いたシャルリーヌは、自然と身体の震えが出て止まらなくなった。


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