運命の邂逅⑪
「ジャンヌさん! お鍋噴きこぼれてます!」
「ええっ!? ちょ、大変!」
ジャンヌは鍋つかみで鍋を持って、慌てて火から離した。
「あっつ! あっつ!!」
鍋からこぼれた熱いスープが腹に少し掛かるが、ジャンヌは何とか鍋敷きに置くまで我慢した。
「大丈夫ですか!? すぐに冷やさないと!」
下ごしらえの手を止めて、ベルナデットはジャンヌに駆け寄った。
「平気、平気! 聖剣の力ですぐ治るから!」
「でも、その間の痛みが取れるわけではないんですよね?」
「うっ…鋭いわね…」
「やっぱりそうじゃないですか! すぐに冷やして下さい!」
「…はい、そうします」
ベルナデットに強く言われたジャンヌは、まるで叱られた子供のようにすごすごと外の井戸へと向かった。素直に言うことを聞いてくれたことに、ベルナデットはほっとする。ジャンヌが自分を犠牲にすることに何の躊躇いもないと、出会ったときから知っているからである。
――一緒に暮らし始めてから分かったが、ジャンヌは家事全般が苦手であった。今までに皿を数枚割り、掃除は床を先に掃いて、棚の上の埃を取り忘れて二度手間、裁縫は出来ず、料理は必ず指を切ったり鍋を焦がしたりと、ハプニングが必ず起こる。何とかジャンヌが唯一出来る家事は、洗濯であった。これは力の要る作業ゆえか、ベルナデットよりも早く終わらせることが出来た。
完璧な英雄のジャンヌの意外な弱点に、ベルナデットは失望するどころか人間味を感じて嬉しかった。ジャンヌもやはり人の子であり、元々王女であることも窺い知れた。だが、それとこれとは別である。ジャンヌは外からとぼとぼと帰ってきた。
「…ジャンヌさん」
「はい……」
「ジャンヌさんには文字を教えて貰っていますし、これ以上お世話になるのは申し訳ないというか…」
「…言いたいことはなんとなく分かるわ。長く生きてるからね…でも、居候の身で勉強を教えるだけっていうのも、何だか落ち着かないって言うか…」
「勉強を教えていただけるだけでも十分過ぎるんですよ!? しかも英雄に! …うーん、でも、ジャンヌさんがそんな性分ではないことも分かります…。では、これから家事は洗濯と買い物、薪割りをお願いしても良いですか?」
「もちろん!」
ジャンヌはしょぼくれた顔から一気に喜悦の色を浮かべた。何とか納得してくれたようで、ベルナデットはほっとした。
■
それからベルナデットとジャンヌの平和な同居生活は続いた。ジャンヌを訝しがっていた村の人々にベルナデットは『命の恩人であり、今は文字の読み書きを教えて貰っている』と英雄であることは隠してそう説明した。それでもジャンヌを不審に思う人は居たが、ジャンヌの気さくな人柄に、村人たちも少しずつ心を開くようになった。
ジャンヌはベルナデットに言われた通り、特定の家事だけこなすようにしていたが、時折「出掛けてくる」と行ったあとに日没まで帰ってこないと思えば、ジュールボア(大陸全体に生息する猪)を狩ってきて、ベルナデットは肝を抜かすこともあった。やがて村の仕事の手伝いもするようになり、足腰の悪い老人たちに代わって薪を割る代わりに、庭に生えている果物を貰ってくることも増えた。
ベルナデットはすっかりペンの持ち方を覚え、25字の内8文字まで読み書き出来るようになった。――ジャンヌがずっとここに居てくれれば良いのに――ベルナデットはそう思いつつも、けして口にすることは出来なかった。そしてそれが叶わないと知るときは、すぐそこまで迫っていたのである。
―第一章 終―
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