第二章

戦禍の始まり①

 ベルナデットとジャンヌが共に生活を始めてから8日が過ぎようとしていた。いつも通りの穏やかな朝が来る。二人で朝食を食べるのも、すっかり日常となっていた。 

「ベルナデット、今日ペルコワーズの方に一緒に買い物に行かない?」

 ジャンヌは食事中、そう話を持ち掛けてきた。

「えーと…あ! 今日は仔羊たちのお世話を任されていて…」

「そうなの? 残念ね…実は、色々と買いたい物があって…」

「それなら、ジャンヌさんだけでも行ってきて下さい」

「いいの? そしたら…二人で出掛けるのは今度にしましょうか!」

「はい! 今度はちゃんと空いている火を確認しますね」

 ジャンヌと一緒に買い物に行けないことを、ベルナデットは内心酷くがっかりしたが、ジャンヌが“また今度”という約束をしてくれたことで、何とか悲しいままでいられずに済んだ。

「買い足したい物があったら、食事のあとで教えてね。メモしておくから」

「分かりました!」

 ベルナデットはそう返事をすると、パンを一口ちぎる。自然と食事を口に運ぶ速度が速めになっていた。


                  ■


 ベルナデットは仔羊と追いかけっこや餌やりをしつつ、ジャンヌを待つ。そのときふと、生温い風が全身に吹き付けてきた。

「なんか、気持ち悪い風ねえ」

 羊飼いのおばさんが気味悪がるようにぼやいた。ベルナデットもおばさんに同感であり、季節外れの暖かい風を何故か心地良いとは思えなかった。すると、仔羊たちは慌てて親羊の元に駆けて行き、親羊はその仔羊たちを連れて小屋に戻ろうとする。

「わっわわっ! どうしたの?」

 ベルナデットは慌てて羊たちを追い駆ける。こんな様子は初めて見た。

「あれ! どうしたのかねえ! どこか怯えているようにも見えるねえ…」

 おばさんも戸惑う様子を見せている。ベルナデットは胸がざわつき始めた。“早くジャンヌが帰ってきて欲しい”と願いつつ、雲が流れる空を見つめた。


                  ■


「ただいまー! 遅くなってごめんねー!」

 ジャンヌが帰ってきたのは、結局日が山の端に近くなるときであった。ベルナデットは心底ほっとする。

「おかえりなさい。ペルコワーズはどうでした?」

「以前と変わりなかったけど、そうね…心なしか嫌な風が吹いてたわね…」

「やっぱりそう思いました? 何だか、胸騒ぎがして…」

「そうね…何もないことを祈るしかないわね…」

 そこで二人の間には沈黙が流れる。どちらも泉がある洞窟で、女神が話していた“神託”の内容を思い出していた。――沈黙を先に破ったのはジャンヌであった。

「そうだ! 実はね、ベルナデットのために服を買ってきたの!」

「えっ!?」

 予想していなかった発言に、ベルナデットは驚く。ジャンヌは嬉々として買い物袋から服を取り出した。

「これ、ベルナデットに似合うと思って! ただ、本当は一緒に付いて来て貰って試着をお願いしようと思っていたんだけど、かと言っていつ売り切れるか分からないから一か八か買っちゃった!」

 ジャンヌは今日、ベルナデットと共にペルコワーズに行きたがっていた理由を話した。そして、その服をベルナデットに渡す。受け取ったベルナデットは服をじっくりと見た――詰襟の白いブラウスに、大きなリボンが付いた青いベスト、黒地に金の花の刺繍が入った布と、水色の布の二層のスカートに革のベルトという、質の良いツーピースの服であった。

「こっ、これかなり高かったんじゃ…?」

 ベルナデットは恐る恐るジャンヌに訊いた。

「そこは気にしないで。私がプレゼントしたかったんだから」

 ジャンヌは微笑んだ。

「でも、私プレゼントされるようなことは何も…」

「あら、怪我をした私の手当に、家に置いてくれること…これ以上にプレゼントしない理由なんてないわよ。ねえ、とにかく着てみて! サイズが合っているかどうか気になるから!」

 ジャンヌに圧を掛けられつつ勧められ、ベルナデットは自室で着替えようとする。ふと、気付いたことがあるのでジャンヌに向き直る。

「せっかく素敵な服をいただいたので、靴も良い物に変えてきます。ですので、少々お待ちください!」

「どうぞごゆっくり」

 ジャンヌが了承すると、ベルナデットは改めて自室に入って行った。



 それから数十分後に、ベルナデットはそっと自室のドアを開いた。

「…あのー、どうですか?」

 ベルナデットはゆっくりとドアから身体を出す。――服に合わせる靴やその他のアクセサリーなどを、少ないながらも選りすぐり、白いタイツと青いリボンが付いた革靴に決めた。

「凄く似合ってる! いつも可愛いけど、今はもっと可愛いわよ!」

 ジャンヌは目を輝かせてベルナデットを褒めた。嬉しいが、“可愛い”という言葉を言われ慣れていないベルナデットは照れてしまう。

「そ、そうですか…? 何だか、服に着られている感が…」

「いいえ、その服は間違いなくベルナデットのために作られたような物よ! ところで、サイズは大丈夫だった?」

「あ、大丈夫です。動きやすくて、全然窮屈じゃないですよ」

 ベルナデットは小さく身体を右に左にとひねってみる。着心地も十分であった。

「良かったー…ベルナデットはルイーズと似たような体格だったから、ルイーズと近いサイズのを選んだのだけれど、正解だったようね」

「本当に、凄い勘ですね…」

 ここでもジャンヌの年季の違いを見せられ、ベルナデットは素直に感心するしかなかった。

「さて…あとは食料と紙の追加も買ってきたよ」

「ありがとうございます! 服だけでなく紙まで…あの、まだこの服着ていたいんですけど、夕食の準備もしなきゃいけなくて…」

「それなら、調理しなくても良い物を夕食にしましょうか。パンとかチーズとかもたくさん買ってきたのよ」

「そうですね! それなら汚れなくて良いかもしれません」

「それじゃあそろそろ夕食に…」

 そこまで言いかけたところで、ジャンヌは動きを止め、鋭い目つきになる。そして――

「きゃあああ!!」

 女の悲鳴と共に、大きな木箱や樽が地面になぎ倒される音が聞こえてきた。ジャンヌは聖剣を手に取ると、跳ねるように家を飛び出していった。

「ジャンヌさん!!」

 ベルナデットは玄関まで追ったが、怖くてそれ以上は足が動かなかった。

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