第3話 たった一つの約束

「初めて?」


「そう。もう長いことこの仕事やってるけど、お前が初」


「ねぇ。仕事って、死神のこと?」


「死神ぃ? ははっ。そりゃそうか。この格好は死神だよな」


「違うの?」


 彼の背中には美しいぐらい艶やかな黒い翼がはためいて、いつもその肩には大きな鎌。どう見たって死神そのものなのに。


「違わねぇけど……多分お前の言う死神とは違うな。お前の知ってる死神ってあれだろ? 鎌で人の魂狩りとって……」


「そう。それが死神でしょ?」


「じゃあ、違う。俺たちそんなことしねぇよ。人の魂を案内するだけ。それが仕事」


「じゃあ、あの鎌は?」


「飾り」


「へ?」


「ただの、飾り。だって俺の仲間には、天使みたいなヤツもいるよ。白い翼と矢を持ってる」


 仲間に天使がいる……死神?


「そもそも、死神と天使とかって区別ねぇよ。どれも、ただの案内人」


「じゃ、じゃあ何でそんな格好してるの?」


「かっこいいだろ?」


 かっこいい? 予想外の言葉に、思わず彼の全身を見回した。

 確かに、かっこいい。何度だってそう思った。


「この仕事をするとき、好きな格好を選べる。だから、この翼もこの髪も俺の好み」


 小説や漫画に描かれるような陰気臭い死神とは違う。自分の容姿に自信を持って、夜空をバックに微笑む彼は、いつもより綺麗で凛々しかった。


「私も、死神になれるかな」


 どうせなら本物に。彼のように自信をつけて。なれるものなら、なりたい。


「なれるよ」


 彼の言葉に、思わず期待が膨らむ。あだ名だけじゃなく、身も心もそうなれたなら。


「でも、今すぐは無理」


「どうして?」


「こうなるの、割と難しいんだ」


「何か、資格とかいるの? 試験とか」


「資格っていうか、条件。たった一つだけど、これがかなり難しい」


「何? 何でもするよ?」


「命を全うすること。事故は駄目だ。自らなんてもっての外だ。病気は……いないこともない」


 すぐは無理って、そういうことか。


「お前なら、その難しさがわかるはずだ」

 

 考え込んで俯いた私の顔を覗き込んで、彼がそう言った。

 至るところで事故が起こることがわかる私なら。そう言いたいんだろう。


「うん……」


「もし、お前がそうなったら、迎えに行ってやるよ。だから、待ってろ」


「うん」


「よし、いい子だ。約束な」


 彼の手が触れたのか、それとも夜風だったのか。ふんわりと何かが髪の毛を揺らす。


「散歩もそろそろ終わりだ。帰ろう」


 来た時と同じ様に、二人三脚の形で夜空を歩く。

 帰り道は、行く時よりも騒がない。夜空を歩くのに慣れた。腰に回される手も、もう当たり前みたい。

 それに、この時間が終わってしまうことが何よりも寂しい。


 嫌いだった。憎らしくすらあった。そんな相手から与えられた幸せな時間と景色。

 それが終わることが、夜風が体を冷やすよりも強く心を冷やして、涙が零れ落ちる。


 今度は、彼のせいだって素直に言える。




 今度はどこ?!


 夜空の散歩を楽しんで、数ヶ月。

 未だに消えることのない噂を耳の端から追い出しながら、それなりに日々を過ごしてる。

 いくら大人しく過ごしてたって、感じる震えは止められなくて、それなりに付き合っていくしかない。彼との約束を守るには、何とか最期まで。


 そんな中で感じた、これまでにはない震え。

 寒い冬の日に薄着で外に放り出された様で、全身が震えて止まらない。

 背筋が凍るような悪寒。噛み合わない歯の音が頭の中で鳴り響く。


 誰? どこ?


 辺りを見回しても誰もいない。人気のない住宅街。道路を歩くのは私一人。

 この寒気は、私のこと?


 周りを見回せば、目の端にとらえた一台のトラック。どんどんスピードを上げて近づいてくるトラックを、避ける術なんてない。


 事故を避けるのは本当に難しい。

 私が一番よくわかってる。

 これまで他人のことは私が助けた。

 でも、自分のことは?

 突然のことに足がすくむ。自分が、なんて夢にも思ってなかった。


 約束したのに。

 逃れられない――


「逃げろ!」


 何もかも、約束すらも諦めて、目の前の出来事から目を逸らしたくて、強く目をつぶった私の耳届く声。青空になびく青い髪と、細い銀ぶち眼鏡の彼の声。

 艷やかな黒い翼が、声に驚いて目を開けた私の視界を横切った。

 そして、その翼が空中で大きく広がる。

 次の瞬間には、私は彼に手を引かれて、はるか上空にいた。


「助けてくれたの?」


「柄にもねぇことしちゃったよ」


 照れ隠しなのか、少しぶっきらぼうに答える彼が、私の家の近く、誰にも目につかないような小道に私を運んでくれた。

 その道のりの途中、徐々に彼と会える時間が終わりに近づいていることを、お互い気づいていたのに、口にできなかった。

 彼の翼が、まるで雪が溶けていくかのように少しずつ消えて、青い髪がその長さを縮めていく。


 夜空を散歩したあの日の様に、部屋の窓を開ければ、彼がその身を部屋の壁にもたらせた。


「どこに、行っちゃうの?」


 彼が間もなく消えてしまうことは、簡単に想像できた。


「どこだろ。人間を助けるなんて、やったこともねぇよ」


「迎えに、来てくれるって言ったのに」


「あぁ。迎えに行くよ。お前が俺のようになる日には、必ず迎えに行く。だから、待ってろ」


「うん。約束」


 ただの慰めの様に聞こえた。私が泣かないように、彼がついた嘘。

 泣き顔見ると、また慌てちゃうもんね。

 少しずつ消えていく彼の体に必死に触れようとしても、その手はあえなく空を切って。

 何もできないまま、その場から彼が消えゆくのを、見届けた。

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