薔薇色な樹菜

岩田へいきち

薔薇色な樹菜


 ドアを開けると誰もいないはずの部屋に人の気配。


と思った瞬間に腰の辺りに重みを感じた。


何? 何? 泥棒? 強盗? 闇バイト? いや、こんなアパートに闇バイトの強盗は来ないだろう? でもぼくは、ここで殺されるのか。

色んなことが一瞬で頭の中を駆け巡った。ぼくは、閉まったドアに押しつけられる形になりながら視線を下に移し、ぼくを殺そうとしている奴を確認した。

 女か? 梨美菜、早退してきた?


「ヒロシ〜」



 樹菜か? そういえば、懐かしい香もする。


「樹菜か? 帰ってたんだ。どうしたの?」


 樹菜は、今年の4月からここのバドミントンの強豪高校と同じ県内にある企業に就職し、その企業が持つバドミントンクラブに所属している。

 このバドミントンクラブで、プロではないが、会社の仕事はほとんどせず、チームスタッフに支えられながら練習と試合を重ねて日本代表、そしてオリンピックを目指している。バドミントンを目指す子にとっては、正に薔薇色の世界だ。

 中学からバドミントンを始めて、ここ、県外の強豪校へ進学。このアパートでぼくが家政夫として一緒に住み込みながら3年かけてこの高校と同じ県内のバドミントンクラブへ送り出したつもりだった。今は、まだ妹の梨美菜がここから同じバドミントン強豪校へ通っているから、アパートもぼくもそのままなのだ。4月に樹菜を送り出す時にいつでも帰ってきていいよとは言ったが、もう、帰ってきてしまったのか? まだ、7月だ。思えば、去年の今頃は、丁度、妹の梨美菜がホームシックにかかっていた。今度は、樹菜が、ホームシックというのか? ここは、ホームではないが、家にみたいに思って帰ってきたってことか。嬉しいじゃないか。殺されるどころか、愛しい娘の帰還じゃないか。喜ぶべきだ。



「どうしたんだ? 樹菜。泣いているのか?」



「ううん、泣いてないもん。もう大丈夫だもん」


「やっぱり泣いていたんだ。何したんだ? 先輩と喧嘩した? それとも監督と合ない? 」


「ううん、先輩たちになかなか勝てなくて、めちゃ練習しても勝てなくて、1人でこっそり練習したりしてたらふくらはぎが痛くなって、監督にしばらく家で休んで来いって言われた。悔しいからママのところまでは帰らなくてここに帰ってきた。樹菜の分の夕ご飯も今夜からお願い。梨美菜は?」


「梨美菜は、まだ学校」


「あつ、そうか。あいつまだ学生かぁ」


「何言ってんだよ。樹菜もつい3ヶ月前までは学生じゃないか」


「え〜っ、まだ3ヶ月しか経ってないの? ヒロシ、凄い懐かしい気がする」


樹菜はもう一度ぼくに抱きついた。


「それは辛かったね。そんな高校生からいきなり社会人には勝てないよ。慌ててなくていいんじゃない? そんなんで、身体壊してちゃ、樹菜のために用意された薔薇色のバドミントン街道が台無しじゃないか。慌てず行こうよ。樹菜はまだ18歳じゃないか。ちゃんと身体を作って行かないと1勝も出来ずに終わっちゃうかもしれないよ」


「え〜っ、そんなの嫌」


「そんな痛い足しじゃ勝てないでしょ? 痛くない時も勝てなかったんだから。ちゃんと治して、また身体作り直さなきゃ」



「はあい。分かった。ねぇ、ヒロシ、ふくらはぎマッサージしてくれない?」


 ぼくはまたあの卒業式前の日のように唾を飲んでしまった。梨美菜もいなくて2人きりなのにいいのか? 梨美菜早く帰って来てくれ。いや来ないでくれ。樹菜はもう立派な社会人だ。未成年は、未成年か。18歳は成人か? 未成年か? どっちなんだ?


 樹菜は、そんなぼくの悩みなど気にせずサリチル酸メチルの香いっぱいにソファーで腹這いになった。



「ああ、いい。効く。気持ちいい。これこれ、これして欲しかったんだ。 なんかやっぱりここ落ち着く〜。ヒロシ、続けて。いい、いいィ。ここ、樹菜にとっちゃ薔薇色の世界やわ。いい、いいわ〜、帰って来て良かった〜、

ヒロシ〜」



ガシャ



何、梨美菜?




「あ〜らら、ららら、みーちゃったみ〜ちゃった。マ〜マに言ってやろ」


「梨美菜、久しぶり。学校お疲れ様。しばらくヒロシ借りるね?」


「え〜、ヒロシは、梨美菜のもんだもん」


「2、3日よ。もう、かなり足良くなったから直ぐにチームに戻れそう。樹菜がいなくなったら梨美菜の独り占めじゃない。ねっ、お願い」


だからぼくは、物じゃないって。


ここは、ぼくにとって薔薇色だなぁ。




終わり(いつかまた)


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薔薇色な樹菜 岩田へいきち @iwatahei

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