第26話 墓守バーゲスト

 色々書籍を購入し、またいつでも来てねと手を振るアンダーソンと別れ、本屋を後にした。

 ずしりと重くなった鞄を背負い直して、日が少し傾いてきた街を歩く。鴉が街灯の上で羽繕いをしていた。馬宿に戻って預けていた馬車を引き出し、樽や袋、木箱等で食糧が目一杯に詰まれた荷台の後部側へアルジャーノンと共に何とか隙間を作り出して乗り込む。ゆっくりと馬車が動き出す中、購入した様々な本を鞄から取り出して、二人で木箱に詰め直す作業を続けた。

 住宅街がようやく途切れてきたところで、馬の隣で誘導していたディランがバレットに何やら指示を出した後、荷台に戻ってきた。自動的に奥の限られたスペースへ体格の小さなアルジャーノンが押し込まれる事になり、挟まれた彼はディランに文句を言いながら這い出て木箱の上に腰かける。少し整理したい、と言って私は口を開いた。

「本屋で言っていた事だが、王権派が流したらしい吸血鬼伝説の意図は、ディランをあの館から追い出すためという事で間違いないんだな?」

「恐らくな。俺と巫女の連絡を絶たせ、こっちがごたついている間にお前を始末するつもりだったんだろう」

「でも、それなら実際に出ている行方不明者についてはどういう事なんだ。以前低級魔物の仕業と言っていたが、それは間違いないのか?」

「すでに五名の被害が出ていますよね」

 木箱に仕舞っていた例の新聞を取り出して、アルジャーノンが言った。

「流石にこれは城の仕業ではないだろう。そうだよな?」

「まあ城側がそうするメリットはないからな。俺は最初こそただの魔物の仕業だろうと思っていたが、各所からの証言がなんだか妙で……まだ考えている最中だ。だから可能性を洗い出すために今回の現場へ向かう」

「確かに、何やら色々渡されたり伝言を受けていましたね」

 視線を落とし、考え込むようにディランは続けた。

「俺の場合本来の任務の隠れ蓑としてギルドに登録しているだけだ。期間の短い護衛や速攻で済む魔物退治が主で、いつまでかかるかわからない行方不明者捜索の案件は受けない。だが、三人目辺りの時から急に噂が広まり始めたんだ。街の人間の不安が大きくなってきて、マルコ達も館への調査隊を一応でも組むべきか等と相談し始めたから、適当な依頼をこなしながら噂の出どころを突き止めるか、この騒動をどうにか解決して納めるかを迷って裏で色々探っていた。そうしていたらお前たちが来たわけだ」

「なるほど、元々調べていた訳ですか」

「なら事件自体は偶然で、それに便乗して噂を広めたのか……?」

「もしそうなら、一番最悪な場合の城の嫌疑が晴れることになるな」

 皮肉っぽく言って、ディランはアルジャーノンが広げた新聞の見出しを指した。

「行方不明者五人の共通点の一つに、とある人物の葬儀へ出席したという事実がある。これ自体は俺も突き止めていたが、詳細を墓守に調べさせたらその墓が荒らされていたことがわかった。これから向かうのはその墓だ」

「あの手紙に書いてあった事だな」

「墓守の家……というか本部はここから少し離れた、館があるのとは別の森の奥だ。墓地を管轄している協会は街の中心にあるけどな」

「協会は天使達が管理しているんですよね? 墓守もそちら側なんですか?」

「いや、あいつは普通の人間だが魔物使いなんだ。黒犬——つまりブラックドッグという魔物を率いる能力を見込まれ、墓を荒らす魔物の番や墓地の清掃管理をしている。でも、墓荒らしに黒犬が反応しなかったのは妙な話だから、一度現場の様子を見る必要があると判断した」

 ふむ、と顎に手を当てるアルジャーノンは、不思議そうな顔をした。

「魔物使いなのに天使と組んでいるとは……では巫女側の人間というわけですか」

「巫女側というよりも元々はギルドの仕事で知り合ったから、うちと特に関係はないな。事件の隠蔽にも協力してくれる以上中立に近いだろう。まあ会ったらわかるが、そういう立ち位置を気にする奴じゃないんだ」

 ガタガタと石畳で舗装された道を進んでいくと、何やら空を飛んでいる鴉が増えてきたような気がする。巨大な塀と鉄柵越しに、たくさんの墓石が見えてきた。

広大な敷地を持つロウゲート墓地は、雨の国大規模墓地の一つだ。歴史に名を遺す将も埋葬されている古い墓地で、原生林のほとんどが敷地を覆い、火葬から土葬、樹木葬まで対応した埋葬方法で様々な遺骨が保管されている。敷地内の奥の方で、ツアーガイドが観光客の団体を率いて大きな墓石の前で解説をしていた。

 この角を曲がれば正門に差し掛かるというところで、ディランが口笛を短く吹くと馬車が止まる。一度降りろと言われ、なんだなんだと全員で荷台を降りるとディランはバレットと幌馬車を繋いでいた紐を外し、使い魔は馬の姿から瞬く間に犬へ変化する。

 栗毛の馬だけが馬車を引く状態にしてから、そのまま三人と一匹揃って正門まで歩き出した。しばらくすると誘導係が駆け寄ってくる。

「ツアーは予約していますか? お名前を——おやディラン様」

「手紙はすでに送ってある。バーゲストに通してくれ」

「かしこまりました。……おお、これはこれはバレット殿、バーゲストが中でお待ちしていますよ」

 ディランの足元で舌を出して行儀よく座っているバレットににこり、と案内係が微笑んだ後、門の隣の詰所から出てきた複数人と一緒に馬車を誘導していく。

「……もしかして、ここの人間は全員犬が好きとか?」

「犬好きが犬好きを呼んでいるとも言えるな」

 等と言いながら正門の鉄柵を開けると、遠くから犬の鳴き声が聞こえた。バレットが答えるように吠えると、こちらに向かって駆けてくる犬の足音と鎖を引きずる音が聞こえてくる。正門広間の奥に聳え立つ、アーチ状の通路の向こうから姿を現したのは、体高が人間の腰の高さぐらいはありそうな巨大な体躯の黒犬——犬種で言うとグレイハウンドだ。

 首輪に繋がれた鎖を引きずりながら、かなりの距離のはずだがバレットに向かって一直線に突進してくる。石畳に擦れた鎖が火花を散らしそうな、とんでもない速さだ。

 パッと一度上体を地に伏せてから、バレットはじゃれ合うように飛び込んできた巨大な黒犬と転がった。嬉しそうに二頭は正門広場を駆けまわっている。突如背後から服の裾を掴まれたので驚いて振り返ると、緊張したように耳を立てるアルジャーノンが黒犬を恐々としながら見つめていた。

「な、なんでしょう、ないはずの髭が跳ねるような、本能的恐怖を感じます」

「そりゃあ猟犬だからな」

「私齧られたりしませんよね⁉」

 ぴいぴい鳴くアルジャーノンを背に庇っていると、黒犬が出てきた門から人と犬が忙しなく走って来る足音と、待ってくれ~と情けない声が聞こえてきた。

「はぁ、はぁ、己の体力のなさが身に染みる……スーは銀の弾丸の事がほんとに大好きだね……」

 黒いロングコートをはためかせ、息も絶え絶えな様子で膝に手をついているシルクハットの姿が見える。

「やぁやぁご機嫌麗しゅう、銀の弾丸とその主よ! 手紙は無事届いたようで何より」

 現れたのは黒犬二頭を率いた、長く赤い前髪に丸眼鏡をかけた女性だった。二頭の黒犬たちが興味深げに動き回ってはしきりにこちらの服の臭いを嗅ぐので、それぞれの鎖を持つ腕がクロスになっている。

「君たちが手紙に書いてあった一時的な関係者ってやつかな? 私はリン。代々黒犬使いが受け継ぐ異名として、バーゲストと呼ばれる方が多いけどね。協会が管理するロウゲート墓地の墓守主任だよ。そしてその速さは光のごとく、優雅さは燕のごとく、賢さはソロモン王のようだとの謂れを持つこの子たちが右から順にケルとベロとスーだ」

 元気よく吠えて黒犬たちがそれぞれ返事をするが、最後の犬だけスーという名前なのはいかがなものだろうか。

「レオンだ。こちらは従者のアルジャーノン」

「ふむ。何やら訳アリの旅の途中なんだって? 大変だねぇ……ところで君たち、犬は好きかい?」

「猟犬としてなら、父や兄が飼っていた」

「私は、小型犬であれば、まだ……」

 互いにそんな挨拶を交わしている間に、クロスしていた彼女の腕が今度はTの字になった。

「こいつらの事は気にするな。念のため掘り返された墓を確認したいから、現場に案内してくれ」

「うむ。この子たちが反応しないまま犯行を成立させるなんてとんでもないことだよ。いったいどんな手を使ったんだろうね……だがそれよりもまずは、お願いした通り銀の弾丸を連れてきてくれて何よりだ。遠かっただろう、美味しい神聖なるジャガイモをおすそ分けしよう。食べさせてあげてくれ。そして、食べる姿を私に見せてくれ」

「だとよバレット。神聖かどうかは知らんが、ここまでの報酬だ」

 そう言って、ディランが渡された茹でた芋の欠片をそのままバレットの鼻先に差し出すと、バレットは犬の姿をしているのにこんなに思う事がわかるのかと感じる程露骨に、なんだ芋かという顔をした。ディランと芋を物言いたげに交互に見た後、渋々欠片を齧って口の中に放り込み、もちもちと食べ始める。

 とても嬉しそうに見えない姿を見ながら、バーゲストは歓喜の声を上げていた。

「あージーニアス! ジーニアスド——ッグ!」

「芋を食うだけで何がジーニアスだ。あのな。バレットは魔物であって、お前の好きなイヌではないんだぞ」

「今日は片目がハスキーの瞳だね? かわいーぬだね! 日替わりでいろんな種類の犬成分を吸えるなんて賢い子! この子と暮らせる君が羨ましいよ!」

「聞けよ……それと、こいつは確かに若干賢くて便利だが、戦闘ではお前の黒犬の方が遥かに優秀だ」

 そう言ったディランの顔を不満げに見つめたバレットは、徐に尻をディランの靴先に向けてのっしと座り込み、やめろと振り払われている。

 現場はこっちだよ、とばらばらに歩き出した黒犬の鎖がみるみる体に巻き付いていく彼女に案内されて、森の一角にある市民ではなく要人側の豪華な装飾が施された墓石が立ち並ぶ敷地へと案内された。

「犯行当時は、どのような状況だったんですか?」

「夜は黒犬たちが見張りとして巡回しているんだ。魔物や怪しい人間が来たら吠えて私たちに知らせるんだけど、なぜか墓を荒らされた日は何も反応しなかった。先日ディランから墓に何か異変が無いかと手紙で聞かれて、周辺を探索したらここが荒らされているのを見つけたんだよ。本当に驚いたね。なんでわかったんだか」

「それだと、よくあるミステリーではこの人が犯人になりませんか?」

「俺が墓を荒らして何になるってんだ?」

「故人の関係者として葬式に参列した若い娘五人は一か月後、白昼堂々往来で水浸しの痕跡を残し次々と消えた。いやー妙な話だよね」

「それだと、よくあるミステリーではこの人が犯人になりませんか?」

「なんでお前の中で俺の疑惑がどんどん深まるんだよいい加減にしろ」

「これが当時の現場写真だよ」

 そう言って差し出された写真を見ると、確かにとある墓石の土が掘り返され、棺の蓋が空いている。中はもぬけの殻だ。

「見てもらえればわかると思うけど、その結構な量の土を掘り返して、釘で打ち付けられた蓋まで開けて、ご丁寧に棺から死体が持ち去られているんだ。作業には相当な時間がかかっているはずなのに黒犬にばれないなんて絶対におかしい。魔法でも使ったんじゃないかな」

「やっぱり犯人は——」

「そしてその現場がここだよ。もう今は日数が経っちゃったから、元に埋め直したんだけどね」

「魔力の痕跡を知りたいだけだから問題ない」

 案内された墓石の前にしゃがみ込み、ディランは地面に片手を這わせた。隣に進み出たバレットはしきりに墓石の周りを嗅ぎまわっている。しばらく時間が過ぎ、バレットが墓の周りを二周半し終えた後、ディランが呟く。

「おかしい。何も感じない……? だがバレットも反応しないから、魔物の仕業でもない」

「ええっ、じゃあどうやって……まさか、本当に人力でやり遂げたとか?」

「この墓の主はどんな人物だったんです?」

 顔を見合わせている二人に、アルジャーノンが問いかけた。

 ええっと、とバーゲストが鞄から取り出した分厚い帳簿のリストを確認しながら言う。

「科学者だったらしいんだけど……」

「故人の周辺に聞いたが、精神を患って療養していたにも関わらず、ある日妙な物を見つけて憑りつかれたようにその研究に没頭していたそうだ」

 しゃがんだまま、手についた土を払うディランが言った。

「日に日に言動がおかしくなり、晩年は別人のようだったと言われている。被害者の5人も、もしかしたらその研究の事を知っていた可能性があるな。例えば口封じに消された——とは、また違うんだろうが」

 物騒な事を言いながら立ち上がり、バレットの額をぽんと撫でる彼の陰から墓石の文字が見えた。追悼の詩と共に、墓石にその名前が刻まれている。


 Victor Frankenstein

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