Ⅱ(1)高嶺の花
翌月曜日。
月曜は出入りしているジムが全部休館日なので、実質的には俺にとっては休日といってもいい。ジム以外で個人依頼があればどこにでも出向くけれど、今日はそれもない。
何をしようかな──と寝起きのぼんやりした頭で考えて、昨日のことを無意識に思い出す。
あの一悶着のあと、上の空のまま次の契約先のジムに向かい、仕事をこなした。スタジオレッスンの契約をしているそこのジムは会員さんの入りも上々で、閉館時間の夜二十三時、馴染みの会員さんたちにいつもどおり飲みに行こうと誘われて、俺は断って帰ってきた。
休日前の日曜の夜は恋人と過ごすことにしていたので、その予定がないのに癖になっていたせいもあるし、気持ちがもやもやしていて、その正体を確かめたいのもあった。結局いつの間にか寝てしまっていて、確かめられなかった訳だけれど。
日課のトレーニングをみっちり小一時間やって、プロテインを飲む。これは朝のルーティンだ。自分のトレーニングメニューは負荷が重めの下肢中心のトレーニングと、上半身を程よく太くつくる上半身のトレーニングで組んである。からだはきちんと使えば必ず応えてくれて思いどおりにデザインできて面白いし、なにより無心になれるのもいい。
シャワーを浴びてひとりで朝食を食べていると、ふと昨日会った佐久間さんの顔が浮かびかけて慌てて散らす。
まずい。これ以上をそれを鮮明にするのは、著しくマズイ。
あれは──あの人は、きっとストレートだ。いやたとえそうじゃなくても高嶺の花すぎる。俺ではとても手が届かない。レベル違いのうえにストレートなんて、万に一つの可能性もない。そのうえ、かなり難しそうな人だった。難攻不落の城に無謀な攻城戦仕掛けるほど若くもないし、世間知らずでもない。でも……
「現金だよな」
これまでなら休日は奴と過ごしていることが多かったから、ひとりの時間は変な感じはする。ただこれを寂しいというかどうかは微妙だ。どちらかというと、ほっとしているような気持ちも大きいし、ぽっかり空いたはずの穴に誰かが入りそうな気配もある。
何気なくスマホを見ると、元恋人から着信があった。
時間は未明の三時だ。大方酔っぱらって前後不覚になったか、なびいた男とうまくいってないかのどちらだろう。連絡する気にはならなかった。そもそも俺は人と争ったり、いがみ合ったりとかが苦手でこたえる。ここ最近は顔を合わせれば終着地点のない押し問答ばかりで疲れてしまって、正直向き合うのも億劫にはなってきていた。
しかし、なんにせよ、すでにうっすらと別の男のことを考えているなんて、俺も大概でとても奴のことを責められたもんじゃないとは思う。
これまで、佐久間さんをあそこのジムで見かけたことはなかった。人の噂の種になるくらいの、あれだけの美男だ。俺だって通りすがりに目を奪われたぐらいだから、見かけたことがあったら記憶に残っているだろう。
それなのに、見たこともなかったということは考えられる理由はひとつ。
佐久間さんの来館頻度がかなり低いということだ。藤井さんも「引っ張ってきた」という言い方をしていた。入会はしたもののあまり積極的に来てはいないのだろう。
そして、俺もあそこのジムはスタジオレッスンの契約がないから、個人予約が入っているときしか行かない。他のジムに比べると滞在時間は短いし、行く頻度も高くない。だとすれば、もう会うどころか見かける機会もないかもしれない。
「その方がいいな」
会わないうちに忘れてしまって、日常に戻るんだろう。その方がいいに決まっている。そう思っていた。
なのに、思いもよらないことが人生ではわりと起きたりするんだ。
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