ナメルポ
千東風子
いーち
ヴォッフォッ……グァふッ!!
ソラは優雅に口に含んでいた紅茶を吹き出し、盛大に
淑女にとってあるまじき様相だが、そんなことには構っていられず、ソラは心底勘弁して欲しいと思った。
なんで……なんで
何の前触れもなく、ふと思い出した記憶。
今まで生きた「ソラ・ペシェル」という子爵令嬢の記憶の他に、日本で生きた大人の女性としての記憶が甦ったのである。
思い出した記憶は何の違和感も無くすんなりと馴染み、戸惑うことはなかった。
なぜならば、別人格の記憶が甦るということは、それは前世の記憶を思い出したということであり、とてもよくあることとして
なんでなんでなんでなんで、なんでホントに今かなぁ!?
ゲホゲホと咽せるソラは、ハンカチで口を押さえながら、涙目で向かいに座る青年を見た。
彼の名はタロ。
タロ・ホーレ・ナメルポ。
がはっ!
ソラは更に勢いよく咽せた。
タロ、て。ホーレ、て。ナメル……ポ、てっ!!
思い出さなきゃ、思い出しさえしなければ、歴史あるナメルポ家を尊重したままでいられたのに……っ!!
脳が、お脳が勝手にこちらの言葉の音を日本語に変換してしまう……!!
タロ、ほーれ、舐める、ぽ。(何をだ!?)
……ダメだ、どこにも王家に連なる高貴さが微塵も感じられない。
ぽ、てなんだ。音の破壊力が半端ないわ。
「だ、大丈夫か……?」
タロは心配そうに向かいの席から立ち上がり、手を上げて少し離れて待機していた侍女を呼んだ。
「し、失礼を」
まだ変なところに紅茶が引っかかった感があるソラは、それだけ言って席を立ち、やって来た侍女と共に控え室へと中座した。
侯爵家次男であるタロ・ホーレ・ナメルポ。
子爵家三女であるソラ・ペシェル。
本日は二人の政略的な結婚のためのお見合いであった。
「無理ね」
控え室で多少落ち着いたソラは、ペシェル家の侍女であるマーヤに無表情で言った。
記憶が甦った今、マーヤと呼ぶとミツバチを思い浮かべてしまうソラは、頭を抱えた。
良くない。コレは良くない傾向だわ。
何でも日本の人生の記憶に繋げてしまう。
ナメルポ家なんて、由緒がありすぎる侯爵家なのに、ぽ、で吹き出したなんて知られたら、下手すると不敬罪が適用されてしまうわ。子爵家など一捻りよ。
ぽ、の破壊力もさることながら、タロ様においては南極に置いて行かれても健気に生き残ったお犬様の名前。
タロぉー! ジロぉー!
樺太犬は絶滅したと言われているのに、タロはここにいた!
違う、タロ様は犬じゃないし。超目上だし。
あれ、そういえば、タロ様の社交界の二つ名は「全知全能忠犬」。
……やっぱ生まれ変わりじゃん!
だめ、混乱しているわ。
今この控え室にはソラとマーヤの二人しかいない。ナメルポ家の侍女たちは着替えの調達と洗濯の手配のために離れ、警備は部屋の外に待機している。
こめかみを解しながら頭を振るソラを見て、マーヤが小声で問いかけた。
「紅茶吹く程無理なわけ? この顔合わせの短時間で? 顔良し、能力良し、醜聞無しの王配候補だった侯爵家の次男よ? 社交界の
はとこでもあるマーヤは男爵家の長女でソラの三つ年上である。年の離れた兄が四人おり、次男以下は既にそれぞれ縁のあった家に婿入りしているため、マーヤは家のための結婚をする必要が無く、十三歳の時に行儀見習いとしてペシェル子爵家にやって来た。
ソラとは気が合い、十五歳で成人した後も男爵家に帰らず、ソラの侍女として仕えている。
公の場では主従として
その歯に衣着せぬ物言いに、ソラはコレばっかりは説明できぬ……とマーヤをジト目で見た。
だって、結婚したら「ソラ・ナメルポ」になってしまう。夫は「タロ、ほーれ舐める、ぽ」で(区切るところがおかしい)、妻が「そら、舐める、ぽ」て。どんだけ何を舐めるぽだ。
深い深い溜め息をつき、ソラは「……無理ね」と再び呟いた。
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