第13話 監視者

朝。住人が起きてくると、人形ごみの家の前にダークグリーンのテントが張られていた。入り口を開いて顔を覗かせているのは四角いメガネをかけた男。まるでこれから出勤でもするかのようなスーツ姿で、髪もきっちりと整えられていた。

だが男の体は少しも動く様子がなく、目玉だけはぎょろぎょろと動いて人形ごみの家を見ている。


「あんた、どこのもんだ」

七時を少し回った頃、近隣に住む老人がテント内の男に話しかけた。

「おはようございます。最近あっちの坂を下りきった辺りに越してきました、四林と申します。良い朝ですね」

「お、おお……」

不審な男に対して攻撃的に絡んだが、あまりにも丁寧に返されて老人は困惑する。

男の噂はすぐに広がった。

その老人や他の隣人たちが聞き出した話、という体でこんなことが語られている。


男は家庭を築くことを考えて妻とこの地へ引っ越してきたが、越してきて間もなく妻の浮気が発覚し、苛烈な口論ののち離婚することになった。

気落ちし、誰もいない家に帰ることが苦痛となり、なんとなく寄り道して帰ることが増えた日々。そしてついに、この人形ごみの家と出会った。

いつもと違う遠回りな帰り道を選んでいた。階段を下りて左に曲がり家路を辿ろうとして、なんとなく右を振り向いてその家を見た瞬間のこと。

胸にときめきを覚えたという。

「見たこともない美しい女性がそこにいた……。いや、とても小さな人だったから、きっとお人形さんだったのでしょう。とにかく私はその人に惹かれて、でも目を擦って瞬きした瞬間に彼女は消えてしまったんです」

夕闇の迫る時間のことだったが、朝日が昇るまで塀の外から探し続けたのだとか。

以来仕事前に立ち寄ってはギリギリまで探し、仕事帰りに立ち寄っては深夜まで探す日々を送ること一週間。ついには我慢が利かなくなって、あの階段前にテントを張り一日中探すことにしたらしい。


「てことはお兄さん、お仕事やめちゃったの?」

「はい。今は無職です」

「へぇー。はい、免許返すね」

「ありがとうございます。お仕事お疲れさまです」

「ははは、反応に困るな……。えーとね、お兄さん。わかってると思うけど、これ法に触れちゃってるんだよね。軽犯罪法1条4号、浮浪の罪って言って、お仕事できるのに働かず、家に帰らずうろついてると取り締まりの対象になっちゃうの」

「そうなんですか。それは大変ですね」

「うーんまだまだあるんだ。ここは県が管理してる道路だからテントを置くのは不法占用だし、あの家の人からするとあなたがやってる監視行為はストーカー規制法の対象になる。わかる?」

「それは大変ですね。お仕事お疲れさまです」

「ええー……お兄さん話がわからない人には見えないんだけどなあ……。んー、はっきり言うとね、家に帰りなさいって言ってるの。辛いと思うけどさ、ちゃんと立ち直って人間らしく暮らしていかないと。親御さんも心配してるんじゃない?」

「絶縁しました。もう親はいません」

「ううーん……。あ、そうだ。こんなうすら寒いところで話し続けるのもあれだからさ、ちょっと署まで来てくれるかな」

「それはできません。私はあの人を探さないといけないので」

「でもお兄さん、仕事やめちゃったんでしょ? じゃあ時間一杯あるじゃない。今からちょっと時間もらうくらいなんてことないでしょ? ねえ?」

「そちらには行けません。私は二十四時間あの人を探すために仕事を辞めたんです。もう一秒も他のことに使いたくありません」

「そうかあ、まあそうはいってもさあ……。……………………」

気さくに話しかけていた警官が会話を途切れさせた。その後ろに控えていたペアの警官は不思議そうな視線を送る。

「田橋さん? どうしました?」

「…………うん、ああいや。えー、じゃあお兄さん、そういうことだから、ちゃんと家に帰ってね」

「いいえ、行きません。あの人を見つけないといけませんから」

「落谷くん、帰ろうか」

「え、でもその人……」

気さくな警官は困惑したままのペアの肩に腕をまわして、強引に連れ去るようにしてパトカーへと戻っていく。

「いきなりどうしたんですか?」

「まだ。帰ったら言う」

乗り込んで、パトカーを走らせ、署に到着し扉を閉めると。

っぷはぁ、と大きなため息を吐いて言う。




「テントの中にすごい怖い人形いた。目と歯と髪だけリアルな人間サイズのあみぐるみみたいなの。おぇ……あの人朝までもたないだろうな……」




次の日の昼過ぎにパトロールをした頃には、テントは跡形もなく消えていた。

警官たちは四林の家を訪ねたが、誰も出て来ることはなかった。

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