四章 過日の呪い(4)
周囲を見渡しながら歩いて行くと、人通りが減っていき、寂れた通りに入った。先程までいた辺りと同じ町中なのが嘘のようにひと気がなくなり、道の左右にある壁や塀も古びて傷んだまま、修繕された様子がない。
こうした場所のほうが、ひよりにとっては馴染みがあった。古い建物、静かな空気。三廻部村の実家があった辺りは、町の賑やかさとは無縁だった。この場所は、子供の頃に慣れ親しんだ雰囲気に近いものがあった。
角を曲がると、髪を結い上げた後ろ姿が目に入った。
「由良」
名前を呼ぶと、由良は振り返った。
「よかった、やっと見つけました」
安堵してひよりは由良に近づこうとしたが、由良は恐怖を顔に浮かべて後ずさった。
「いやっ、来ないで!」
この間と同じだ。だが、拒絶されて終わりにするのはもう嫌だった。
「わたしは由良と話をしに来たんです。わたしは由良を憎んでいないし、呪われてもいません。そのことを伝えに――」
「嘘!」
悲鳴のような声が、ひよりの言葉を遮った。
「ああ、でも、私を殺したいなら――さっさと殺せばいいわ。生きていたってしょうがないのだから」
由良の様子は以前よりも憔悴していた。それに加えて自暴自棄な言動。なにがそこまで彼女を追い詰めたのだろう。
祝言の日が迫ってきた頃のことを思い出した。猪俣の屋敷の離れで、そのときが来るのをただ座して待っていた。
真偽が定かではない神についての伝承が、頭の中で繰り返されていた。神に喰われて死ぬのかもしれないと覚悟しなければならなかった。あと数日で死ぬだろうということを、受け入れるしかなかった。
遠い昔のことのように思えるが、ほんの二ヶ月ほど前のことだ。
常葉が捧げられた人を喰うような神ではなかったから、ひよりはいま、こうして生きている。それだけではなく、常葉のおかげで救われた。
いまの由良には、ひよりにとっての常葉のような存在はいないのかもしれない。それならひよりが手を伸ばせばいい。
自分が誰かを救えるなどと分不相応なことは思っていない。けれど、極限状態にいる人に対してかけてあげたい言葉は、自然に口をついた。
「わたしは由良に生きていてもらいたいです」
「どうして……」
「大事な友達だからです」
何年も会っていなかったとしても、そう断言できた。
「でも、私のせいでひよりは――」
「わたしは由良のせいで神のもとへ嫁いだのではありません。神様に選ばれたんです。由良が罪悪感を覚える必要はないんですよ」
ひよりは微笑んでそう言った。
強張っていた由良の顔から、負の感情が薄れていった。瞬きをしてひよりをまじまじと見つめ、息を吐く。
「そのこと、もっと早く聞きたかったわ」
眉を下げて、由良は力ない笑みを浮かべた。
「相変わらず、普通なら見えない存在に当たり前のように話しかけるのね」
「え……」
常葉のことかとも思ったが、由良は自分の胸に手を当てた。
「思い出したの。私は世を儚んで、川に身を投げた。もうとっくに死んでいるわ」
「そんなっ……」
否定したかった。しかし由良の姿はよく目を凝らさずとも朧気で、村や町で時折目にしていた、人の姿をしたなにかに似た気配で――生きている人間とは違うとわかってしまった。
「そんな顔しないでよ。ひよりがその力を持っていたから、最期に会えた。それでいいじゃない」
「い、嫌です。やっと会えて誤解も解けたのに――」
すがりつくように由良に手を伸ばし、その手が由良の身体をすり抜けて、ひよりは息を呑んだ。
「……う」
駄目だ。ここで泣いてしまったら、お別れも満足にできなくなってしまう。潤んだ瞳で涙をこらえていると、足音が聞こえてきて、後ろから声をかけられた。
「ひより、ここにいたか」
「神様」
勝手に場所を移動したことを謝ろうと思ったが、それより先に常葉は由良のほうを見た。
「それで、そこの娘が捜していた娘か」
「は、はい」
反射的に返事をすると、常葉は一歩前に進み、由良に向き合った。
「巣鷹由良。そなたが行動を起こした結果、店で働く他の娘も被害を受けていたと声を上げ、呉服屋の店主の悪事が白日のもとに曝されたようだな」
「……そう。これから先、同じような被害者が出ないなら、よかったわ」
現在、常葉は他者から町人に見える術をかけていないのか、由良は神妙な顔で常葉の言葉を聞いていた。
「それから、川から引き上げられた身体は、現在怪我の手当てをされているようだな。息を吹き返し、命にかかわるほどの怪我もない。そなたが身体に戻れば目も覚めよう」
「……え?」
続けて告げられたことに、由良は目を丸くした。
ひよりは由良に飛びつかんばかりの勢いで、常葉が言ったことを要約した。
「由良は生きてるんですよ! まだ死んでいません!」
「そ、そうなの……?」
「死霊ではなく生霊だったようだな。身体から抜け出すことも、ままあることだ」
じわじわと言われたことを理解していったのか、由良の表情が歪み、瞳が潤んだ。
「私……生きていていいの?」
「もちろんです!」
こぼれた涙が頬を伝う。だが、向き合う二人の顔には笑顔が浮かんでいた。
「ありがとう。じゃあ、私は身体に戻るわ」
そう言った由良の姿が薄れていく。やがて、朧気だった姿は見えなくなった。
由良を見送り、ひよりは安堵の息を吐いた。
「これでほっと一息ですね」
「生霊だったときの出来事は、夢を見ていたようなもの。目が覚めてもしっかり憶えているかはわからぬが」
「それは残念です……。でも、一度誤解は解けたんですから。また会ったときに話をしたら、なんとかなります」
晴れやかな顔で、ひよりはそう言った。
後日、八武崎町に来たひよりは、常葉と別行動しているときに由良と行き会った。
「あ」
互いに声を上げ、しばし固まる。
生霊だったときに顔に浮かんでいたやつれは、由良からなくなっていた。腕や足の怪我がまだ完治していないようだが、外を出歩ける程度には回復したらしい。
意を決して、ひよりは由良に話しかけた。
「あの、お話があるんです」
ひよりが近づいても、由良は八武崎町で再会した日のように錯乱して騒ぎ立てることはなかった。
「いいわよ。しましょうか、話」
ひと気のない通りに移動して、ひよりはどう切り出そうかと思っていたが、由良が口火を切った。
「私、川に落ちたの。そのときに夢を見て――これまで重かった胸が、軽くなった気がしたわ」
遠くの景色のほうに視線を向けていた由良が、ひよりのほうを振り返った。
「夢に、ひよりとあなたの連れが出てきたの」
包帯を巻いた手をもう片方の手でつかみ、由良は続けた。
「私、過去にやってしまったことでひよりに罪悪感があって、怖かったはずなのに――今度会ったらお礼を言わないといけない気がして」
夢は目覚めると消えてしまうもの。そうだとしても、なんとなく心に残っていることがあったりする。由良はあのときのことを、朧気にだが憶えているのだろうか。完全に忘れていたら、こんな話題を出すことはないだろうから。
「お礼ならもう聞きました」
「……そう。でも、もう一度言うわ。ありがとう」
「どういたしまして」
「そうだわ。ひよりの連れは誰なのか、次に会ったら聞こうと思っていたの」
「わたしの伴侶です」
「……え?」
「三廻部村の神社におわす神様です」
そう伝えると、由良は意外そうに目を細めた。
「……なんだ。あなた、幸せなのね」
「はい」
「私もこれから幸せになってみせるわ。ひよりが羨ましく思うくらいに」
「そうなったら、是非教えてください」
子供の頃、親しかった娘たちは、顔を見合わせて笑い合った。
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