むかしむかし、忘れられた神様と花嫁は

上総

一章 嫁入り(1)

 幼い頃から、他の人には見えないなにかが見えた。


「またあいつ、なにもないところに向かって話しかけてる」

「おかしい子だってうちの親、言ってた」


 無邪気に異物を排除しようとする子供たち。相手のほうが悪い、劣っている、という大義名分があればなおさらだ。


「こら、いちいち絡んでくるのやめなさい!」


 近所の子供たちに嫌がらせをされても、友達が助けてくれた。


「ありがとう……」

「ひよりは普通じゃないんだから。放っておけないわ」


 気遣ってくれているはずの言葉に、なぜか胸が痛んだ。

 それが小鳥谷こずやひよりの日常だった。


 小さな村の世間は狭く、一度妙な噂が立つと、すぐさま広まってしまう。家の外は少し息苦しかった。


 だけど家に帰ると父と母がいた。暮らしは質素だったけれど、家の中はほっとして、家族で過ごす日々は満ち足りていた。


 穏やかな毎日がずっと続くのなら、村長の屋敷のような大きな家でなくても、友達の由良ゆらのように綺麗な着物を沢山持っていなくても構わなかった。


「七つまでは神のうちって言われているの。幸い、ひよりは幼い時分に天に召されることはなかった。もう人の子なの」


 七歳になってしばらくした頃、母にそう言われた。


「この狭い村で、変わり者扱いされ続けて生きていくのは大変よ。だから、見えているとしてもそれを表に出しては駄目」


 その助言は、これから先、家族が護ってあげられなくなっても一人でやっていけるように、と言っているかのようだった。


 ひよりが八歳になる頃、両親は死んだ。両親を亡くして他に身寄りがない娘は、村長の親戚の家に引き取られることになった。


 緑の匂いがする大きな屋敷。村のみなに頼りにされている猪俣いのまたの家の一室が、ひよりの新たな住処となった。


 当主の妻である牡丹ぼたんが、屋敷を取り仕切っていた。多くの下男下女を従え、薬師である夫や見習いの息子を支えていた。


 幼い頃、怪我をしたひよりは薬師に診てもらった。そのときに顔を合わせたことがあった牡丹は、引き取ることになった娘に冷たい視線を向けた。


「小鳥谷の娘。あなたになぜ両親の他に身寄りがないか、わかりますか」

「いいえ……」

「ずっと前に小鳥谷の家もあなたの母の家も、ごく一部の者を残して、村を去ったのです」


 忌々しそうに、牡丹はそう言った。


「故郷である三廻部みくるべ村を捨てたのですよ。その昔、村を去った獅子堂ししどう鰐渕わにぶちと同罪。あなたはそうした罪人の子孫なのだということを、忘れないように」


 質のいい着物をまとい髪を結い上げた、ひよりの母よりも年上の女性は、幼い子供に呪いの言葉を突きつけた。


 他の人には見えないものが見える。そのことを知られなければ、異端視されることはないと思っていた。


 そうした特性などなくても、この家の者には歓迎されていないのだと、わかってしまった。




 猪俣の家に引き取られてから、一年ほど経った。


 村外れの森の中にある神社の掃除をするのが、牡丹から仰せつかったひよりの役目だった。いつものように古びた神社の敷地を箒で掃き、落ち葉を集めながら、一緒に掃除をしている男の子と他愛ない話をする。


「あのね、あと何年かして年頃になったら、わたし、村長様と結婚するの」

「……え」


 青葉あおばは目を丸くさせて唖然とした。普段、あまり表情を崩すことがない男の子のびっくりした顔を見ることができて、牡丹から言い渡されたことを話題に出した甲斐があったと思った。


「村長の伴侶は」

「奥方様はもう何年も前に亡くなっていて、後妻に入るんだって」

「村長はもう結構な年だったはずだが」

「滋養になるものを沢山召し上がっているから長生きだよね」


 辺境の村を治める志熊しぐま登作とうさく。村長のおかげで村の民は生きていける、三廻部村はうまく回っていっている。


 ――あなたがこうして生活できているのも、村長の慈悲なのですよ。


 牡丹はたびたびそう言った。


「それで、村長様もそろそろ身体に不調が出てきているから、村長様とその家の方のお世話をするんだって」

「世話なら下男下女にさせればよかろう」


「わたしがやらないと意味がないの。恩返しのためだから」

「引き取って世話してやったのだから恩を返せと?」

「うん。それから、お父さんとお母さんの葬式を挙げてもらって、お墓を作ってもらった恩も返さないと」


 青葉は箒の柄を握りしめ、眉根を寄せた。


「……死者のために生きている者が犠牲になるなど、なにが恩返しだ」


 青葉はたまにおかしなことを言う。牡丹の言葉はあの屋敷では絶対だ。恩は返さなければならない。猪俣の家に世話になった分、村長に還元しなければならない。それが当然の摂理だ。そう教わってきた。


 牡丹の言いつけを破ったら罰を受ける。世話をしてもらえなくなる。食事を出されなくなり、冬の土蔵に閉じ込められる。大切にしていたものを燃やされる。いくつか持って来た両親の形見は、屋敷で暮らすうちにだんだん少なくなっていった。


 ――親がいないあなたは、一人で生きていくことはできません。


 だから逆らってはいけない。あの屋敷のやり方に疑問を持ってはいけない。この村はもっと貧しい生活をしている者ばかりだ。それに比べたら、ひよりは恵まれているのだから。


 本来なら、こうして神社の子供に自分のことを話すことすら、牡丹はいい顔をしないだろう。だが、牡丹も猪俣の屋敷の者も、この古びた神社にまでは来なかった。


 村の神事や祭りを執り行い、村人が集まる神社は他にある。ひよりも掃除の役目を振られるまでは、村外れにこんな神社がひっそりと建っていることを知らなかった。建物が傷んでいるところがあっても直される気配はなく、村人から忘れられているかのような神社だ。


 だが、この場所は猪俣の屋敷にいるよりも心が安らいだ。静謐な空気、緑の匂い。言葉が少ない男の子との交流。


 ここで掃除をしている時間は、ひよりにとって息をつけるひと時だった。


「あと、罪滅ぼしのために」

「罪?」


 不可解そうに青葉の眉が顰められる。


「実はね」


 牡丹から聞かされたこと、村を捨てた者の子孫だということを、青葉に打ち明けた。


「……村長の一族に連なる者が、そのような些細なことを罪だと断じたのか」


 ひよりの耳には断片的にしか届かなかった声。だからひよりは、そのとき青葉がなにを考えていたのかわからなかった。


 しばらくした頃、屋敷の大人たちが騒然としているのがひよりの耳に入った。猪俣の当主と牡丹は村長の屋敷へ急ぎ、残された下男下女は、廊下ですれ違うとちらちらとひよりに視線を向けた。


 その日の夜。帰宅した牡丹に呼ばれ、滅多に顔を合わせたことがなかった猪俣の当主に告げられた。


「小鳥谷ひより。お前はこの村の神に見初められた」


 思いも寄らないことで、咄嗟に理解できなかった。


「六年後、神のもとへ嫁ぐことが決まった」


 村長の後妻になると言われたときも驚いたが、このときの驚愕はそのときの比ではなかった。


 もっとも驚こうがどうしようが、村長や猪俣の当主、そして牡丹に言われたことなら、受け入れるしかないのだが。

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