第2話 武器はフライパンで

 獣の咆哮がドーム状の空間に響き渡る。その声の圧力だけで、風化した石壁がパラパラと崩れ落ちるほどだった。ロックバード——少女がギルドランク上位指定と称するだけの脅威が、今まさに二人を襲わんとしている。


「来るわよ!」


 少女の叫びに、リュウジは反射的にフライパンを構えた。不恰好この上ない構えだが、彼にとってはこれが唯一の武器だった。


 そのフライパンは、正確には鍋に近い形状をしていた。深めの底と幅広の口、長く太い柄——煮る、焼く、揚げる、茹でる、何でもこなせそうな万能調理器具。異世界に飛ばされた瞬間、なぜこれが手元に現れたのかは分からない。しかし、今はこれにすがるしかなかった。


「——ッ!」


 ロックバードの巨大な嘴が閃き、リュウジは反射的にフライパンを前に突き出す。鋭い衝突音が響き渡り、彼の体はボールのように吹き飛ばされた。


「クソッ……!」


 背中を地面に強く打ちつけ、肺から空気が一気に吐き出される。視界の端で、少女が素早く詠唱を始めていた。


「終わりなき凝結。刹那に散り行く水霊たちの宴。凍てつく氷は飛礫となりて、硬い飛礫は矢となりて。穿て——アイスニードル!」


 彼女のダガーから放たれた無数の氷の針が、ロックバードの黒い羽毛を貫こうと飛翔する。しかし、その硬質な羽は簡単には傷つかず、浅く刺さっただけで砕け散った。


「……ダメね、決定打にはならないか」


 少女が舌打ちをしながらバックステップで距離を取る。リュウジは苦笑しつつ立ち上がった。


「いや、十分だ。俺にも少し考えがある」


「はぁ?何よ、そのフライパンで何を——」


 少女の言葉を遮るように、ロックバードが突進してくる。その瞬間、リュウジは地面に落ちていた小石をフライパンで強打した。


 カァン!


 甲高い音が反響し、ロックバードの動きが一瞬止まる。まるで獲物の悲鳴を聞きつけたかのように、怪鳥は音のした方向に顔を向けた。


「なるほど、音に反応するタイプか……」


 リュウジはニヤリと笑い、フライパンを再び強く叩いた。


「おい、こっちだ!デカ鳥!」


「アンタ、正気!?気を引いてどうするのよ!」


「いいから、次の魔法を用意しておけ!」


 ロックバードは翼を大きく広げ、再び突進してくる。リュウジはフライパンを片手に、ギリギリまでその攻撃を引きつけた。


「今だ!魔法を、もう一回!」


 少女が即座に詠唱し、氷の針が放たれる。しかし、今回は違った。ロックバードが嘴を突き出した瞬間、リュウジはフライパンを地面に叩きつけ、砂埃を巻き上げた。


「目くらまし……!?」


 視界を奪われたロックバードは氷の針を避けることができず、脆弱な喉元に何本かの針が深々と突き刺さった。


「効いた……!?」


 しかし、勝利を確信したのも束の間、ロックバードは怒りに満ちた咆哮を上げ、力任せに翼を羽ばたかせた。


——ゴォオオオッ!


 突風がドーム内を吹き荒れ、床にヒビが入る。立っているので精一杯。ふわりと少女の華奢な体が宙に浮き、地面に打ちつけられるように落下する。


 ロックバードは隙を見せた獲物に容赦はしない。咆哮と共に怪鳥の嘴が少女を襲う。


「させるか!」


 リュウジのフライパンが間一髪のところで攻撃を去なす。さらに体を張って盾となる。


「逃げて!床が——」


 少女が叫んだ瞬間、リュウジの足元が崩れ始めた。


「うわぁぁっ!」


 彼は咄嗟に少女の手を掴もうとしたが、間に合わない。二人は崩落する床と共に闇の中へと飲み込まれていった。


◇ ◇ ◇


 静寂が訪れた遺跡の底——。


 先に目を覚ましたのは少女だった。彼女は痛む身体を起こし、周囲を見渡す。薄明かりの中、倒れ伏すロックバードの巨体が視界に入った。崩落に巻き込まれ、岩に押し潰されたその姿は、もはや動く気配すらない。


「……死んでる、の?」


 呆然と呟き、ふと隣に視線を移す。そこには、意識を失ったままのリュウジが横たわっていた。


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