第37話 広島国際コンサートホール
あとは、繰り返し曲を通して感覚と表現を磨き上げていくのみ。
残された時間は、あっという間に過ぎ去ってしまった。
土曜日も朝から、学校で最後の追い込みをしてお母さんに駅まで送ってもらった。
アリスの全日本以来の新幹線。あの時の記憶が蘇ってきて、少々気恥ずかしい。
「切符ある、楽器ある、スマホ、モバイルバッテリー、エントリーシートある、制服……は着てるから大丈夫――」
「もう、散々家で確認したでしょ? 和奏ってば、お父さんに似て変なとこで心配性ねぇ」
ポケットやらリュックサックを開けて、忘れ物がないか確認する私を見て、お母さんが呆れたように額に手を当てながら言う。
「急に心配になっちゃったんだって」
「大丈夫だって。ま、いざとなったらお母さんが届けに行ってあげるから、心配せずにいってらっしゃい、ホラホラ」
「い、いってきます!」
改札まで着いてきてくれたお母さんが、私の背中をぽんと押す。
「奈々美さん、ありがとうございました」
「いいのいいの。会場までついて行けなくてごめんねぇ」
「いいえ、それではいってきます」
私、実の娘ぞ。これから高校初コンクールだっていうのになんだか雑じゃない?
それに、ちゃんと吹けるか少し不安だ。
気持ちを押し込めるように、足早にアリスと改札を通ろうとした時、背後からお母さんが声をかけてきた。
「そうそう和奏」
「ん?」
足を止めて顔だけで振り向くと、お母さんが拳を突き出してニヤリと笑っていた。
「色々あったみたいだけど、和奏とアリスちゃんなら大丈夫。いっちょ、かましてきなさい!」
「――うんっ!」
お母さんは、やっぱりお母さんだ。
ズルいや。ちょっとだけウルッときちゃったじゃないか。
背中越しにヒラヒラと手を振りながら、改札を通って駅のホームへ上がる。しばらく待っていると、列車の接近がアナウンスされた。
『まもなく、十一番のりばに東京行きの列車が参ります』
会場があるのは、お隣の広島県。
私たちの住んでいる山口県から新幹線で四十分くらいの距離にある。
『次は広島、広島です。お降りの際は――』
アリスと少し遅めのお昼ご飯を頬張っていたら、すぐに到着した。
会場までは、広島駅から路面電車に乗り換えて移動する。
『袋町、袋町〜』
見慣れない景色だ。
それに、電車のすぐ隣を車が走っていて驚いた……。
「着いたね」
「ええ、ここから十分くらい歩くのですよね?」
「そうそう。慣れない道だから、ゆっくり行こうね」
全日本ジュニア器楽コンクールは、器楽と名のつく通り出場部門が多岐に渡る。そのため今日と明日の二日間開催で、今日は金管・打楽器部門が行われている。
私たちの出場するフルート部門は、明日のお昼から審査が行われる予定だ。
「今日は、エントリーと会場の下見でしたよね?」
「うん。今の時間だと金管のプログラムが始まってるかもね」
現在、十四時三十分。
私たちが泊まる予定のホテルを通りすぎつつ、ゆっくりと会場へ向かう。
「こんにちは、明日のエントリーに来たんですけど……」
「あぁ、エントリーはあちらの職員が対応しますよ」
入口近くで黒い帽子を被った係員を見つけたので、声をかけてみた。
すると、通路をはさんだ反対側にいる、椅子に座っている赤い服を着たおじさんに声をかけるように言われた。
「教えていただいて、ありがとうございました!」
近づくにつれて、長机に【エントリー受付】という張り紙がしてあるのが見えた。人混みを避けて歩きつつ、長机に座っている赤い服のおじさんに話しかける。
「あの、事前エントリーで来ました……南條と千代野です」
「はいはい、何部門ですか?」
「あ、フルートです」
それを聞いたおじさんは、長机の後ろに置かれているラックから一冊のファイルを取り出してきた。
「南條さん南條さんっと。あぁ、ありました。八代高校の南條さんね」
「はい、そうです」
「えーっと、それじゃあ協会から届いた書類を出してくれますか?」
「あ、はい――これですか?」
慌ててリュックを前に回して、書類の入ったクリアファイルを差し出した。
「そうそう! うん、うん……よし。これで受付は終わりました。お二人とも、明日はこちらのリボンを服の左肩の部分に着けてきてくださいね」
蛍光ペンで書類にチェックを付けたおじさんから、クリアファイルと赤いリボンを二つ受け取る。
「はい、分かりました!」
出場者は、吹奏楽コンクールと同じく肩口から二の腕のあたりに、リボンをつけておかないといけないらしい。
新品の制服に安全ピンで穴を開けるのは、ちょっと抵抗があるけどしょうがない。
クリアファイルを仕舞って踵を返そうとした時、おじさんが思い出したように声をかけてきた。
「あぁ、それと――出場者は、お渡ししたリボンを付けていれば、会場の出入りが自由に行えます。会場の方も見て行かれるといいかもしれません」
「そうなんですか! ご親切にありがとうございます!」
まさか今日も無料で入れるとは……。
それならありがたく会場の下見をさせてもらおう。
「アリス、制服に穴開けちゃうけど……いいかな?」
「はい、一思いにやっちゃってください!」
肩のリボンをヒラヒラとさせながらホールに入ると、途端にエントランスのざわざわとしたざわめきが遮音された。自然と、声を潜めて会話をしてしまう。
「わぁ……これは広いや」
「ホールの匂いがします……」
出入り口近くのいい席が空いていたので、遠慮なく座らせてもらう。
しばらく待っていると、次の出場者がツカツカと靴を鳴らしながらステージ袖からやってきた。
一気にホールの照明が絞られて、それまでどこかざわざわしていた観客が一斉に口をつぐむ。
「始まるよ、アリス」
「ええ。初めてのホールですし、響きをよく聴いておきましょう」
「うん」
『プログラム二十番、トランペット協奏曲 変ホ長調 Hob. VIIe-1。岡山県、
姉妹だろうか。
同じ制服を着ている二人の顔立ちは、よく似ている。
ステージでトランペットを構える少女に注目が集まっていく。
ピアノの方を見て、アイコンタクトを取った後、軽快な前奏とともに演奏が始まった。
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