第23話 休日

 それから三日後、吹部に新たな入部希望者が現れることもなく、吹部は新入部員二人が入部することで存続が決定した。


 生徒会の顧問でもある秋山先生が、五月に入って吹部の部活内容を変更してくれたおかげで、私たちは大手を振って音楽室を使用することができるようになった。


「さて、これで吹奏楽部は正式に活動が認められましたので、音楽室で練習して構いませんよ」

「ありがとうございます、先生!」

「秋山先生、大変お世話になりました」


 ちなみに、吹部の顧問は前任の先生が異動となっていたため不在で、アリスの事情に理解のある田村先生に決まった。田村先生はソフトテニス部の副顧問との兼任となるらしい。


「えーっと、音楽のことは全く分からないんだけど、俺が吹部の顧問ということになる。頼りないかもしれないが、南條も千代野も何かあったら遠慮なく呼んでくれよ」

「「よろしくお願いします」」


 新生吹奏楽部が始動するのは、五月六日。

 世間はゴールデンウィークというやつだからだ。


 かと言って、私が練習を休むというわけではない。むしろ、朝から晩まで練習できるチャンスの四連休だ。これを無駄にするようでは、いつまでたってもブランクはそのまま。


 よって、毎年恒例の家族旅行は中止。

 代わりに、夫婦水入らずで日帰り温泉に行ってきてもらうことにした。



 ――ということで、私は休日にも関わらず学校にやってきていた。

 バスもそうだったけど、学校も人の気配が少なくて、なんだかここを独り占めしている気分になる。


 教室のある棟は、ひっそりとしていた。

 渡り廊下を渡って、もう一つの教員棟にやってきた。


「失礼しまーす、南條です」

「おや、南條さん?」


 音楽室の鍵をもらおうと、職員室に入ると秋山先生がデスクに座ってコーヒーを飲んでいた。


「おはようございます、南條さん。今日は早いですね」

「おはようございます! 時間を無駄には出来ませんから!」


 先生は感心感心と頷く。

 教室を使用する際の注意点を聞きながら、音楽室の鍵を受け取る。


「こちらが音楽室の鍵です。無くさないように気を付けてくださいね」

「ありがとうございます……これ、ペンギンですか?」

「あぁ、東京の修学旅行でもらったお土産らしいですよ?」


 受け取った音楽室の鍵には、鍵の何倍も大きなぬいぐるみがぶら下がっていた。

 どことなく気だるげな瞳のペンギンが、私を見つめている。


「なんというか、独特な表情ですね?」

「ええ、妙に癒されますよね。一体なんのキャラクターなのかは分かりませんが……」


 このぬいぐるみの正体は、先生もよく分からないそうで曖昧に笑っている。


「――そういえば、千代野さんと一緒ではないんですね?」

「あ、あはは……アリスは朝が弱いので……」


 ふと、思い出したように先生が呟いた。

 それに対して、私は苦笑いすることしかできなかった。


「もしや寝坊、ですか?」

「はい……どうやら寝坊みたいです」


 またもや、アリスはピアノ椅子の下で眠っていた。多分あれは、お昼まで起きない。

 幸いにも、太一さんが家にいるらしいから問題はない。


「生活リズムが崩れると体調を崩しやすいので、気をつけるよう言っておいていただけますか?」

「あはは……アリスに、よく言い聞かせておきます……」

「ありがとうございます。さて、少し話が長くなってしまいましたね」


 秋山先生に促されて職員室を出ると、教員棟の四階にある音楽室まで階段を上る。

 鍵を差し込んで、音楽室の扉を開ける。


「授業で何回か来てるけど、やっぱり音楽室は落ち着くなぁ……」


 私を出迎えたのは、日光がカーテンにさえぎられて薄暗い音楽室。

 リュックとフルートを置いて、カーテンと窓を全開にする。


 朝の音楽室、に光が射す。

 グランドピアノの天板が、キラリと光を反射して輝いて見える。


「わぁ……今日からここが私たちの部室なんだ」


 四階は、見晴らしが良い。

 遠くには、山々が広がっているのが見える。いつも下から見ている景色なはずだけど、こんなにも素晴らしいものだとは思わなかった。


 爽やかな風に吹かれて、緑豊かな自然が心を潤してくれる。


「風が気持ちいい……それに――」


 耳を澄ませれば、体育館からはバレーボールのスパイクの音だったり、野球部がバットでボールを打つ音、ソフトテニス部のラリーの音が聞こえてくる。


 緑に囲まれた学校。シンとした静けさの中に、部活に励む音が混ざり合って心地よい春の日。


「今度は、アリスとこの音を楽しみたいな……」


 まさに、絶好の練習日より。

 アリスが寝坊さえしていなければ、完璧だった。


 まあ、やってしまったものは仕方がない。

 切り替えていこう。


「さてさて、音楽室では初めての音出しですな」


 こうして、長い長い半日が始まった。

 窓の外から響いてくる掛け声を聞きながら、基礎練習から始める。


 棚に入っているメトロノームのねじを巻いて、机の上に置く。

 振り子ペンデュラムをそっと押してやると、カチ、カチとテンポを刻み始める。


「フーーーー……スッ、フーーーー……」


 顔の前に手をかざして、ブレストレーニングを始めた。

 意識するのは長く、細く、力強く、息継ぎは一瞬で、だ。


「フーーーーーーーッ」


 顔の前から、だんだんと手の位置を遠ざけていく。

 手を精一杯伸ばしても、しっかりと息が当たっている感覚があればOK。


 ロングトーンがブレブレだった私が、まずやらないといけないのがブレスを安定させることだ。


 まだまだ一日は始まったばかりだ。

 道のりは、まだまだ長い。

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