あの頃マックノートシアターで 

@Fnyoi

あの頃マックノートシアターで

祖父から引き継いだ、錆びた鉄骨の柱にトタンが張り付けられただけの木工所の一角、腰より上がガラスになっている出入り口としての四枚引違い戸の脇に、昭和63年と製造年月の記されたプレートが付けられているプレス機と並んで、傷だらけのアップライトピアノが置かれている。

 雪が、工場こうばの前の電柱に付けられている何年も交換されていない街灯のぼやけた光に照らされて、星のようにキラキラと積もっていく中、俺はその傷だらけのピアノの修理をしていた。

 少し前のある日、ピアノを荷台に積んだクレーン付きのトラックが工場の前に停まり、そのあとをついてきた車から妹が降りてきた。妹は業者にピアノを工場の中に置くよう指示し、ものの10分ほどでピアノはトラックから下ろされ、妹からサインを受け取った業者は颯爽さっそうと帰って行った。

「おい、何なんこのピアノ、え、一体何?」作業中だった俺が妹の方に駆け寄って聞くと「私たちの小学校が何年か前に廃校になったでしょ、で、来年解体されるらしくて、ピアノが捨てられるって言うから貰ってきたの、なんか勿体無いし、お兄ちゃんピアノ好きでしょ」と俺の肩を叩きながら言った。

「いや、俺もう弾くのやめたし、それにこれどうみても壊れてるだろ」

「お兄ちゃん昔ずっと弾いてたからちょっとぐらいだったら直せるんじゃないの?また弾いたらいいじゃん。どうせ何もしてないんでしょ」

「いや、お前そんな簡単に……」

「まぁ無理だったら無理だったでいいじゃん。別に弾かなくてもいいし、工場にピアノおいてあったらなんか格好よくない?」

 妹は腕時計に目をやり「もう行かないといけないからあとは好きにしてー」と車に乗り込んで行ってしまった。

 妹の言う通りなのは癪だが、仕事のあとは酒を飲んで昔のレコードを聞くことしかやることのない俺は、その捨てられたピアノをベタベタと触っている。

 ピアノなんてもう弾かないけど、暇だからとりあえず直してみるだけ、飽きたらやめればいいと始めた修理だったが「こんなの無理だろ」と何度も呟きながらも何故かまだ続いている。俺は修理に関しては素人同然で本や動画などで集めた知識だけでは分からないことばかりだった。イライラしては何度も工具を投げ捨て、少し時間が経つとまたそれを拾い上げ、修理を続けることを繰り返していた。

 ペダル部分はそのままで良かったが弦は錆びていたので220本全て交換して、鍵盤は88個全て取り外して磨き、ピンや内部の清掃、音を鳴らすアクション部分は全て取り外し消耗部の確認をして最後には調律を行う。無限とも思われる作業を続けているとまたイライラがつのっていく。休憩がてら近くの自動販売機で冷えた手を温める缶コーヒーを買うために外に出ると、まん丸な月だけが黄色く輝いていた。降り積もった雪に全ての音が吸い込まれて、音一つしない。こんな何も無い所、もう希望も何もないんじゃないかという気がした。無限の作業を再開し、錆びた弦を外し終わってアクション部を分解していると、外が突然真っ白に光った。光が強過ぎたせいで視界が白く霞んで見えなくなり、慌てて目を手で覆った。一瞬のあと、覆った手の隙間から薄く目を開き、徐々に視力が戻ってきたことを確認して手をどかした先には、黒のテカテカしたスーツを着てシルクハットを被った人間のようなものがピアノの前の椅子に座っていた。、体の周りには湯気のように白く光るガスを纏わせていて輪郭がぼやけており、顔は青白く発光している。

 「私は彗星です」とそいつは言った。

 

 

 そいつが指をはじいたのかパチンと音がすると、テンポを上げ跳ねるようなリズムにミックスされた「星に願いを」が両手で耳を塞ぎたくなるほどの爆音で鳴り出した。そいつは音楽に合わせて左右の足を交互に開いたり閉じたりしながらリズムを刻み、曲げた肘を肩の高さに上げ上半身を振りながら俺の方に近づいてきた。

「まったくもって!」音楽が止まる「理解し難いかと存じますが、私は紛れもなく彗星なのです」さっきまでの曲がBGM のように小さくなって流れ出す。

「私は星の宝石売りです。宝石を買いませんか」

 踊りながら俺に10センチほどの厚みの長方形の箱を手渡してきた。中には色とりどりのパステルカラーの金平糖が詰まっていた。そいつは指でつまみ出すように金平糖の中からルビーやアメジスト、サファイヤといった宝石をいくつも取り出しそれらを淡い色の上に並べた。

 ズドン、と俺に顔を近づけて一音一音リズムをつけ歌うように

「今があなたの岐路らしいですよ♪」音楽が始まりそいつはクルクルと回転しながら俺から遠ざかる

「どれか選んだ方がいいですよ🎵」片足を高く上げる

「どれか一つお買いなさい🎶」ピアノの椅子に足を組み、上になった足の膝の上で手を組み合わせて座った。音楽は鳴り続けている。俺は色々と理解が追いつかず何も話せずにいると「まったくもって」組んでいた手を両翼を開くように振り上げた

「お似合いになると思いますよ、あっ」上げた両手を胸の前辺りでパチンと叩いた。「それなんかどうですか」

俺の胸の辺りに何かが触れているのを感じて、その場で顔を下に向けると飴玉みたいなアメジストがネックレスとして首にかかっていた。顔を上げ正面に視線を戻すと、

 俺がピアノを弾いていた。

 

満場の観客がグランドピアノのサイズに合わせた円形のステージをぐるりと囲み、そのステージで俺が歓声を受けながらピアノを弾いている。最後列から少し離れた場所で俺は自分の完璧すぎる演奏をしばらく聞き入っていた。

「良くお似合いで」俺は少し遅れて驚き横を振り向くと、「お買い上げ、どうもありがとうございました、素晴らしい買い物だと思いますよ、まったくもって」そう言ってそいつは手を振ってヒョイと消えた。だらっと開いていた俺の口からは少し涎がたれていた。

 

 演奏が終わり、盛大な拍手を受けながら俺は立ち上がった。インタビュアーがステージに上がってきて「最高だったよ!」と言って握っているマイクを俺に向ける。拍手の音はどんどん大きくなっていく「ありがとう俺も最高だったよ」と早口に興奮気味で言い、最前列へ笑顔を向けると可愛い笑顔が俺とぶつかった。大好きだったあの娘が俺とお揃いのネックレスを首から下げて、一生懸命に何度も手を叩いている。もう一度あの娘に向けて大きく歯を見せるように笑った。それから俺は手を大きく広げ、他の観客に向かっても笑顔を振った。

 鳴り止まない歓声と拍手。俺は手を広げたまま天井を見上げるようにのけぞり、目を閉じた。喝采に混じりインタビュアーの荒ぶった声が聞こえる。

「今夜のマックノートシアターで最高な演奏をしたこのプレイヤーは–––––––」  

 


 目を開けると天井の梁からぶら下げられた蛍光灯の光が揺れていた。俺はのけぞっている体を起こして、横に広がった口を閉じ広げていた手を戻した。何度か首を振って周りを確認したが、彗星は消えており胸のネックレスも無くなっていた。

 俺は黙ったまま椅子に座り、まだ弦とアクション部分を外されたままの音の鳴らない鍵盤に右手を置いた。置かれた指は抵抗なく沈んだ。

 

 俺はずっとトム・ウェイツのようなピアニストになりたかった。小さい頃にトム・ウェイツのライブを初めて見て、親にピアノを習わせて欲しいと言った時からずっと弾き続けた。大学三回生の頃、俺が初めてナイトクラブで演奏することになり、ノルマのためのチケットを同じゼミの人に配ってた時、普段は恥ずかしくて中々話すことも出来なかったあの娘に「よかったらみんなで来てよ」とチケットを渡すと「ありがとう、みんなでいくね」と言ってくれて、本当に来てくれた。ステージに立った時に客席側を見ると教授と一緒にあの娘がゼミの仲のいい数人で来てくれていて、二つのテーブルに分かれて座っているのが見えた。隣には一緒に楽しそうに喋るフジ君が座っていた。

 卒業をした後もふたつ先の市に住むあの娘とは年に数回、新年の挨拶やライブのお知らせなど簡単なやり取りが続いていた。あの娘にチケットを送ると何度か来てくれたことがあって嬉しかった。隣にはいつも知らない男が座っていた。

 5年前にあの娘が大学の同じゼミだったフジ君と結婚したことを知った。才能も限度を感じ、あの頃よりも徐々に弾く頻度が減ってきていた俺は、その知らせを本人から「そういえば私結婚しました。同じゼミだったフジ君となんだけど、覚えてる?」とLINEにて告げられた。俺は次の日にはピアノを楽器屋に売って、弾くことをやめた。

 

 沈んだ指を持ち上げて座り直し、トム・ウェイツのグレープフルーツムーンを弾いた。一度叩いた鍵盤は沈んだまま戻ってこない。沈んだままの鍵盤に震える指を叩きつけて弾いた。「ああなりたかった」と口からこぼれた。初めてあの娘がライブに来てくれた光景を思い出した。視界がぼやける。ピアノからなるはずだった音は積もった雪に吸い込まれて消えていく。鍵盤を叩く音だけが工場に響いた。


                (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの頃マックノートシアターで  @Fnyoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る