第2話
桜花女学院は初等部•中等部•高等部からなる、美と礼節を重んじる女生徒を教育する品行方正謹厳エスカレーター式の、いうなればお嬢様学校だ。女学院というだけあって、生徒募集要項にはきっちりと"女子100名"の文字が並んでいる。
何も性差的に物を言うつもりは無いが、飯原くんは男の子だ。パンツルックの制服も用意されていない、女子生徒を募集する女学院にパンツルックの男子生徒が、しかもクラスにただ一人在籍しているというのは特別扱いが明々白々の見え見えであるが、これにはちょっとした事情がある。
我らが桜花女学院は、将来的に共学化する。つまりいずれ生徒募集要項から”女子”の字が消えることになるのだ。けれどまだ消えてはいない。共学化は確定だが、現在は試験段階のプレ期間なのだそうで。(きちんと正規の手順で手に入れた、公示されている情報である)
プレ期間は去年から──つまり私が転校してくる一年前、飯原くんらが一年生のときに始まった。実は飯原くん以外にも、二年生には各クラスに一名ずつ男子生徒が、そして現在の一年生には各クラスに二名ずつの男子生徒が在籍中だ。
男子生徒が入学するにあたって設備や規則などに不備が無いか確認しながら徐々に共学化を目指していくのが学院経営者の心算らしい。プレ生徒に選ばれたのが飯原くんたち、というのが隠されてもいない事情の種明かしだ。
さて、男子生徒ならば、お金持ちならば、家柄が良ければプレ生徒は誰でも良いのか?
そんなことも無い。プレ生徒には制度協力の礼として入学金などの補助が出るため、現在に限って資産と家柄は関係ない。選出方法は卒業生または在校生ないしは入学者による推薦、のちに学院側の選定により決まる。飯原くんは推薦と選定を乗り越えし、美と礼節を重んじそうな生徒として見事入学を果たしたのだ。
ところで、飯原くんを推薦したのは、一体どこのどちら様なのだろう。
「はぁ……いつ見てもデカい……」
授業を終えて、放課後。美も礼節の欠片もない台詞を垂れながら見上げるのは、アイアンフェンスを等間隔に挟む煉瓦造の塀。その向こうには背の高い木々に周囲を彩られた一軒のお屋敷がそびえ立っている。セレブとブルジョワと背伸びをした成金で構成される高級住宅街は、ただでさえどこも土地が一スケール違うが、こちらのお屋敷は壮絶に格別だ。
「いつ来てもそう言うね」
「いつ見てもそう思うからさ」
飯原くんは正面の門扉を通り過ぎて、塀伝いに裏口まで歩いていく。正面門扉よりも比較的慎ましやかな門の横にあるチャイムを鳴らした。
「飯原ニントと
程なくして男の人の声がして、何言か話すと、門扉が勝手に開いた。
これまた贅を尽くした裏庭に入ると、すぐに執事さんがやってきた。少し入ったところにあるサンルームに案内されて中に足を踏み入れると、少女が一人座っている。
「いらっしゃいませ」
「お邪魔します、カイカちゃん」
飯原くんの頬に花の色が移る。
彼女こそ――私が山桜桃目さんと慕い、飯原くんがカイカちゃんとお慕いしている――山桜桃目カイカさんであり、飯原くんを入学推薦した張本人である。彼女は絹の髪を揺らしながら、まるで蕾に水を遣る女神のように微笑んだ。
飯原くんの隣にいる私に気がつくと、
「為梨さんも!いらっしゃいませ。もしかして……二人ともお見舞いに来てくれたのかしら。ごめんなさい、わたくし、どこか悪いわけではないの」
優しく声をかけてくれる。私はこの場に似つかわしくない所作で片手をぶんぶん振りやんわり否定した。
「いやいや。飯原くんについてきただけだから。お気になさらず」
山桜桃目さんはそばに侍っているメイドさんから何か耳打ちをされていた。さっきより少しばかり翳った顔で彼女が言う。
「お二人とも、来てくださってありがとう。良かったらお茶でもいかがかしら」
「ありがとう、いただくよ。お茶会しながら脅迫状についても教えてくれる?」
出し抜けに言った飯原くんに、山桜桃目さんがはっと目を見開いた。それからゆるゆる、肩の力を抜いてため息をつく。
「……すぐ帰っていただこうかと思っていたのに、ニントくんも為梨さんも、いつも耳聡いですのね」
お客様にお茶を振る舞ってから帰ってもらおうという、育ちの良さが仇になった。飯原くんが来た時点で追い返していた方が賢明だったろう。
メイドさんに紅茶を頼むと、山桜桃目さんはたおやかに着席を促した。楽しいお茶会の始まりである。
私がお昼に胸ポケットから取り出したのが、話題の脅迫状だ。ゴミ的内容なので、紙切れなのだ。
──キラメキをあなたに、ユスラメ・コスメ。
このフレーズは、とある化粧品会社のキャッチコピー。どちら様かといえば、山桜桃目さんのお父様の。
山桜桃目カイカさんのお家は、長く続く製薬会社の偉い代表取締役であるお父様とお母様の、偉いご家庭である。ユスラメ•コスメはその化粧品ブランドだ。
栄耀栄華の位と、豪華絢爛なお屋敷と、錦繍綾羅な人々。妬み嫉み羨む人間は、彼らの持つ財産と同じくらい山程いる。いるというのも、私は直に見たことがあるので、断定調なのである。キラメキの傍にはクラヤミあり。山桜桃目家にはたびたび脅迫状が投げ込まれたり、御令嬢であるカイカさんが誘拐されかけたり、毒を仕込まれたりする。
サンルームには柔らかい日差しが入り込んで、山桜桃目さんの周りが光をまとっている。命を狙われているとは思えぬほど優雅に紅茶を召し上がっている。
ふと気づくと飯原くんが、そばに控えているメイドさんを見ていた。紅茶を運んできてくだすった、妙齢の麗人である。
「初めまして」
山桜桃目さんがいるというのに余所見とは中々大胆だなんて思っていたら、飯原くんはそうご挨拶をした。メイドさんはすかさず丁寧にお辞儀をする。
「まぁ。そういえば
山桜桃目さんが丁寧にそうご紹介してくれた。
「六月頃からこちらでお世話になっております。い……、お客様方につきましては、お嬢様からお伺いしております。親しい御学友と」
親しいどころか、と私は視線だけを飯原くんに投げて寄越した。じろんと横目で、言外に口封じをされたので黙っておく。
「それで……脅迫状の話だけど」
気を取り直した飯原くんが切り出した。脅迫状の内容は以下要約、『山桜桃目カイカの誕生パーティを中止しろ。さもなければ彼女の命は無い』という旨のもの。
「パーティを狙ってくるのは久々だな……。中止するの?」
「ご招待している方々がいらっしゃいますから……と言いたいところなのですが、お父様は強行でもやるおつもりのようですね」
「屈するもんか!みたいな?」
茶化してそう言ってみたが、山桜桃目さんは神妙に頷いた。
「ええ。いつもの悪戯だろうと……。ただ、お母様は怖がっておりますから……わたくしを当日まで外出させないくらいですし」
「だから今日お休みだったのか」
御子長さんはお嬢様の後ろに控えたまま、かしましい会話を聞いているようだった。
「ところで、招待客ってどんな人が来るの?」
尋ねると、山桜桃目さんは顎に指を添える。
「そうですわね……為梨さんもご存知の方でしたら、神長さんや水仙さんの家の方々もいらっしゃる予定ですの。水仙さんご自身がいらっしゃるかは少し……分かりませんが」
水仙さんならば、教室のときよろしくお眠かもしれない。
「やっぱり、来るのはお金持ちなんだねー。神長さん水仙さんはお家の人が招待したってこと?山桜桃目さんは誰か招待したの?」
山桜桃目さんはゆるやかに首を振った。まぁ、自分が狙われてる危険なパーティに好き好んで人を呼びたくはないだろう。
飯原くんは私から山桜桃目さんへ視線を滑らせると、珍しく勇ましい顔つきで微笑んだ。
山桜桃目さんは誰も招待していない、ということは?
「じゃあ、招待状は余ってるってことだな」
そういうことだね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます