第2話 ソ・ユンソ
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いつもMayHeavenを応援してくださり、ありがとうございます。
この度、メンバーのソ・ユンソは体調不良のため、しばらくの間活動を休止する事となりました。
復帰の目処が立ち次第、ご報告いたします。
今後ともMayHeavenへの変わらぬご声援をよろしくお願い致します。
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破竹の勢いでワールドワイドのミュージックチャート上位を席巻する、多国籍女性アイドルユニット「MayHeaven」のファンの多くは、この報に落胆の声を隠せずにいた。
彼女に対する、純粋に体調を気遣う声から下世話な憶測まで、そんな風なSNSのトレンドがやっと落ち着いてきた頃。
メンバーの一人である『ソ・ユンソ』は、日本を訪れていた。
観光ではない。
彼女にかけられた『呪い』の解法に少しでも近づくため、とある男の元へ赴いていたのである。
『
ご用命の際はこちらまで:***-***-****』
ソウルで衝撃的な出会いを果たした、天然アフロの中年オヤジだ。
これは、その男が去り際に残していった名刺であった。
成田空港からタクシーの後部座席で揺られること1時間半。ユンソは得たいの知れない不安に襲われていた。
「대단한시골(……田んぼしかない)」
―――千葉って首都圏よね?
――――幻でも見てるのかしら……
―――――まさか呪いの影響で脳がっ?!
「はっ…はっ……はっ」
過呼吸一歩手前のユンソをよそに、タクシーは停車する。
「お客さん……大丈夫ですか?
着きましたよ」
「あっはい……大丈夫です」
ユンソはクレジットカードで手短に支払いを済ませると、バツが悪そうに「どうも」とだけ言ってタクシーを降りた。
―――唐墨……唐墨……ってコレ?
先ほどまで感じていた不安をよそに、タクシーを降りた大通りから細い路地へ折れると、程なくしてその表札は見つかった。
神頼みとして訪れたその場所は、敷地は広いものの、ありふれた日本家屋といった感じで、キョウトにある寺や神社を妄想していたユンソにとっては少々肩すかしであった。
「ビィイイイーーーッッッ!」
呼び鈴を押すと、押した側がびっくりするくらいの強烈な電子音が鳴り響く。
「……はいはい どちら様ですか」
しばらくして玄関の引き戸がスライドすると、割烹着姿の恰幅の良い老婆が姿を見せた。
「先日ご連絡さしあげたソ・ユンソです
カラスミジンク様にご相談しに伺いました」
ユンソは知っている限りの丁寧な日本語で用件を伝えると「ああ、旦那様のね」と老婆は合点のいった様子で頷き、玄関に入るよう手招きをした。
「お邪魔しま……」
ユンソが玄関の敷居をまたいだ瞬間であった。
両目の潤いが急速な勢いで発達したかと思うと、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出し、石打ちの土間にぽっぽっと染みを作っていく。
「이상한(あれ……どうして)」
―――体中の重りが外れた開放感
―――ひと時も許されなかった、かつての安寧
―――私は覚えていた
それは、彼女が半年ぶりに感じた『日常』そのものだった。
「大変じゃったろぅ
だけどもう、なぁんの心配もいらんよぉ」
老婆は母親が子どもをあやすように、ユンソの背中を優しくポンポンと叩くと、彼女は堰が切れたように号泣し、その胸元にしがみつくのだった。
「ずっと……ず~~~っと怖かったんだよ~~~!!!」
「あぁ怖がった」
「아무도 상담할 수 없었다~~~!!!」
「辛がったねぇ」
「$%&`*+#$!=@#*#$%~¥$#~~~!!!」
「なぁんも心配するごとねーよぅ」
ユンソは、仕舞いには母国語と日本語の入り交じった支離滅裂な言語を叫び、それに対し老婆がいちいち相づちを打つ、そんなやりとりが延々と続くのだった。
「おいババァ 腹減ったから何か作ってくれ
……あン? なんだそいつ」
そんな空気を切り裂くかのように、突然目の前に現れた股引一丁の男。
もじゃもじゃの天然アフロはユンソが探していた『
「ちょっ……ズボンくらい履きなさいアナタ!
こっちは客人よ!」
泣き顔を見られて恥ずかしかった所為もあり、ごまかすように抗議するユンソ。
「ああン? 自分の家で何着ようが勝手だろうが
フル○ンでないだけありがたく思え
……ていうか誰だおめえ」
「フル……フル!」
うら若い女性への配慮がまるでない粗野な言葉に衝撃を受けるユンソ。
仮にも一千万人のフォロワーがいる人気絶頂アイドルである。
配慮が過ぎる事はあっても、ぞんざいに扱われるなど1ミリたりとも思っていなかった筈だ。
「旦那様……わざわざ大韓民国からいらしったソ様です」
老婆はゆったりとした口調で、主人に事の成り行きを告げる。
そして唐墨家の結界に入った事で、ユンソにかけられた呪いが弱化した事も
「なんだよてめえか
ずいぶんと遅かったじゃねえか」
土間に突っ立っているユンソの顔をのぞき込みながら言う。
「しょうがないじゃない
公演のリスケとか……色々大変だったんだから」
恨めしげにユンソが答える。
「まずはサングラスをとれ
あと上半身も裸になれ 今すぐだ」
「あ~はいはい」
確かに失礼だったわ、心の中でそう思いながらユンソはサングラスを外す……が。
―――上半身裸になれ……へ? 何言ってんのコイツ?
「何固まってんだ 時間がねえんだ 早くしろ」
甚九はいたって真剣である。
「변태!(変態)
このっ…セクハラおやじ!
あんた誰に物言ってるか分かってるわけ?
冗談じゃ済まされないわよ!」
「……おいバアさん」
甚九は面倒臭そうに舌打ちしながら老婆に視線に送ると「はいはい」と言った風に老婆はユンソの上着の両端を指先でつまんだ。
―――ぺろり
自称アイドルの透き通るような地肌が露わになった。
といっても背中側だけであるが。
「あ…あ…あ……あ、あんたら……」
パニック状態のユンソ。
そんな彼女にはお構いなしにと、真っ白な背中に甚九の手のひらが触れる。
「ひぃっ!!!」
「動くな」
無遠慮な腕をふり払って逃げだそうと試みるユンソであったが、甚九の鋭い声で我に返った。
―――
この家の敷居を跨いだ時から、彼女に基本的な社会通念が戻り始めていたのだ。
寂しさ、楽しさ、腹立ち、恥ずかしさ、それに人気アイドルとしてのプライド。
ソウルで見た光景に一時の安らぎを覚えたのと同じで、甚九がそばにいるせいでユンソの中にいる『何か』が今だけなりを潜めているに過ぎない。
きっとこの家の外に出れば、全てが元の状態に戻ってしまうのだろう。
そう察したユンソは、この男に身を任せるしかなかったのだ。
甚九は壁面検査でもしているかのように、持ち上げた中指で背中を小刻みに叩きながら反応を確かめる。
キヨコと呼ばれた子どもを回復させていた時の動きに似ていた。
「ここだな」
だいたいの当たりを付けた甚九は、ユンソの背中に「ギュっ」と固いものを押し当てる。
「뜨거운!!!(熱あっつ!!!)熱い熱い熱い熱いアツィイイイ!!!」
大騒ぎするユンソだが、なんとか我慢している。
「本当に熱いか?」
「当たり前でしょうがあ! 火傷してたら訴えるから……ね…って」
言いかけたところで、甚九が手にしている物を見たユンソは、阿呆のようにきょとんとする。
「これが本当に熱いか?」
「それって……」
『ハーゲンダッツ バニラ味』
円筒形の見覚えのあるパッケージには、うっすらと霜が覆われているのであった。
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